peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

岩手県立博物館「発掘された日本列島2015」を観る!(その9)2016年2月6日(土)

2016年02月19日 | 遺跡、石器・土器、古墳、

瓦塚窯跡(かわらつかかまあと)茨城県石岡市:日本最大級、合計34基の窯跡が密集!常陸国を支えた手工業生産の中心的拠点

(下)11号窯跡の内部:10世紀前半に操業されたと想定される。

(下)瓦塚窯跡で作られた、時代の変遷を映す瓦たち

(左)8世紀半ばの軒丸瓦と軒平瓦:丸=幅15.7㎝、平=幅17.5㎝。いずれも平城京の瓦をモチーフとした文様。 (右上左)9世紀前半の軒丸瓦:幅15.9㎝、文様が在地化し、2枚1対の複弁だった花弁が1枚1対の単弁となり、18枚に増加。(右上右)9世紀後半の軒丸瓦:幅16.9㎝、花弁は単弁20枚に増えている。


「世界の椿館・碁石」の椿・武蔵の光(むさしのひかり) 2015年12月10日(木)

2016年02月19日 | ツバキ(椿)

2015年12月10日(木)、「世界の椿館・碁石」(岩手県大船渡市末崎町字大浜280-1)に行ってきました。大温室内の「原種椿」コーナーに置かれていた鉢植えの武蔵の光(むさしのひかり)という名の椿が、淡桃色地に白の覆輪ぼかしが入る、一重、猪口咲きの花を咲かせていました。

椿・武蔵の光(むさしのひかり)ツバキ科 ツバキ属 Camellia japonica cv.Musashi-no-hikari

[花]白地に紅の縦絞り、一重~半八重、太い筒しべ、中輪。[花期]12~3月。[名札より]

http://blog.goo.ne.jp/pea2005/e/61e566a962b16cfb0e082175f4b4548d [椿「武蔵野光(むさしのひかり)」:peaの植物図鑑、2008年2月28日] 


岩手県立博物館「発掘された日本列島2015」を観る!(その8)2016年2月6日(土)

2016年02月18日 | 遺跡、石器・土器、古墳、

2016年2月7日(日)岩手県立博物館(盛岡市上田字松屋敷34)で開催中[2016(平成28)年1月14日(木)~2月28日(日)]の特別展「発掘された日本列島2015 新発見考古速報」&「海に生きた歴史~復興発掘調査が語る一万年の海との共生~」[2016(平成)28年1月14日(木)~3月6日(日)まで]を観に行ってきました。

「発掘された日本列島2015」は、文化庁などが主催するもので、埴輪など埋蔵文化財などが大好きな妻に連れられて、ここ数年毎年観に行っているものです。

ことしは、「新発見考古速報」19遺跡412点の速報展示のほか、次の2つの特集も展示していました。特集1 復興のための文化力~東日本大震災の復興と埋蔵文化財の保護~(7遺跡)、特集2 全国史跡整備市町村協議会50周年記念(2遺跡) 

「写真撮影可」だったので、沢山写真を撮ってきましたが、展示物の大部分が、見終わってから売店で購入してきた書籍に綺麗な写真付き掲載されていました。

甲塚古墳(かぶとづかこふん)栃木県下野市:全国初! 下野国の大型古墳から、女性が布を織る様子を表わした埴輪が2個体出土

(上と下)馬の形の埴輪:(左)高さ106㎝、長さ推定95.6㎝ (右)高さ105.5㎝、長さ推定95.8㎝

左側の馬は胸懸けに鈴を付け、輪形の鐙(あぶみ)を装着している。右側の馬は馬形埴輪の先頭に置かれており、口元に付けられたf字形の鏡板や、胸元の馬鐸、壺形の鐙、横座り用の足置き板など装備品が豪華であるため、被葬者の馬と考えられる。

(下)馬形埴輪の復元模型:CG技術で鮮やかによみがえる、埴輪の彩色

(下)円形に配置された埴輪群:機織(はたおり)形埴輪の出土は全国初

(上)右側の石室に向かってぐるりと列を成す馬や人の形の埴輪たち。真ん中に機織形埴輪があった。

(上左)復元高88.5㎝。女性。人物埴輪列の最後尾で出土。頭に器を載せ、右手にひさご形の容器を持っている。(上中)高さ87.5㎝。女性。頭に箱形の器を載せ、円文様の上衣を着ている。(上右)高さ95.6㎝。女性。頭に鉢巻きを着け、両手を腰に当てている。

 機織形埴輪:写真右側のように基台の上に織機と女性(胴体のみ残存)が載っていたと考えれれる。織機の全長は73.2㎝。左側の機織形埴輪は、両腕の破片を除いて人物部分は欠損しており、残存高さは53.7㎝。

(下)機織形埴輪の復元イメージ図

(上)CG技術で制作された機織形埴輪の復元イメージ図

(上左)高さ97.1㎝。男性。髪を束ねた美豆良(みずら)が特徴。小刀を持っている。(上中)高さ107.6㎝。帽子をかぶり、鍬(くわ)と思われる農具を担いでいる。(上右)残存高56㎝。男性。人物埴輪列の先頭。最も石室に近い場所で出土。右手を前に掲げている。


「岩手県立花きセンター」のゼブリナ・ペンジュラ  2015年12月3日(木)

2016年02月18日 | 植物図鑑

2015年12月3日(木)、岩手県立花きセンター(胆沢郡金ケ崎町六原頭無2-1)に行ってきました。「花の館温室」「亜熱帯度温室」エリアに植栽されているゼブリナ・ペンジュラという名のツユクサ科の植物が、ゼブラ(縞模様)の綺麗な葉を沢山展開していました。

ゼブリナ・ペンジュラ ツユクサ科 ゼブリナ(シマムラサキツユクサ)属 Zebrina pendula

 ゼブリナ(シマムラサキツユクサ)属は、メキシコおよびグァテマラに4種ある多年草で、茎は下垂する。トラデスカンチア属に非常によく似ており、近縁の植物である。

ゼブリナ・ペンデュラは、メキシコ(アメリカ熱帯雨林気候区)原産の多年草。葉は先の尖った卵形で長さ5~7㎝、幅3~4㎝、表面は白緑色で光沢を帯び、中央に太く、縁に細い暗緑紫色の線がある。葉裏は暗紫色。茎の節から根を出し、四方に拡がる性質があるので釣り鉢に向く。よく日光に当てて乾かし気味にすると特有の美しさになる。[誠文堂新光社発行、日本インドア・グリーン協会編「熱帯花木と観葉植物図鑑」より]


芦東山記念館館長講座「盛岡藩家老席日記『雑書』にみる旅、その2」 2016年2月17日(水)

2016年02月17日 | 講演会

 2016(平成28)年2月17日(水)芦東山記念館(館長:細井 計(ほそい かずゆ)、一関市大東町渋民字伊勢堂71-17)の館長講座第5回盛岡藩家老席日記『雑書』にみる旅、その2(13:00~14:30時)が開催されました。今回は、「参勤交代」が主な内容でした。 

 

 参勤交代制:(1)制度化されたのは、寛永12年(1635)武家諸法度(ぶけしょはっと)

 大名小名在江戸交替相定むるところ也、毎歳夏(注:旧暦4~6月)四月中参勤致すべし従者の員数近来甚だ多し、且つは国郡の費(つい)え、且つは人民の労れ也、向後それ相応を以って、これを減少すべし、

これに違反した大名には罰則が科せられた…寛永13年(1636)、3代藩主南部重直は参勤遅滞と無届けによる新丸石垣築城により逼塞を命じられている。

 今度出府の儀遅滞、並びに盛岡新丸石垣築城数か条を咎めて重直公逼塞仰せ付けらる(『奥南旧指録』)。

(2)参勤交代が一時的に緩和された時期があった…幕府の財政立て直しのため、享保(きょうほう)7年(1722)~享保15年(1730)。[1716年4月、将軍家継死去(8歳)。8月、紀州藩主徳川吉宗、将軍となる。「享保元年」となる。]上米の制を定め、参勤期限を在府半年に緩和。

 御代々御沙汰もこれ無き事に候えども、万石以上の面々より米指し上げ候よう、仰せ付らるべしとお思し召し候、左候はねば、御家人のうち、数百人も御扶持方召し放さるべきよりほかこれ無く候ゆえ、御恥辱をも顧みられず仰せ出され候、高壱万石に付き百石の積り指上げらるべく候、…これにより在江戸半年宛御免成され候間、緩々(ゆるゆる)休息致し候ようにと仰せ出され候、(『雑書』享保7年7月12条)[盛岡藩の場合は、10万石だから1000石を上米。(この年に限り半分だけ上納)。

1730年(享保15年)4月、上米の制を止め、参勤期限を旧に復す。

 水野和泉守(忠之)様仰せ渡され候は、御勝手向き御不調に付き、近年上げ米仰せ付けられ、御用も弁ぜられ、御機嫌に思し召され候、右上げ米、今年にも御用捨遊ばされたく思し召し候えども、いまだ御勝手向き相調えがたき旨に付き、来年より上げ米御用捨遊ばされ候、これに依り、来年より参勤交代の儀、前々のとおりたるべく候(『雑書』享保15年4月23日)

(3)参勤交代の大幅緩和…文久2年(1862)の幕政改革:3年ごとに大幅緩和された。

[1月、坂下門外の変(老中安藤信正、水戸浪士らに襲われ負傷。2月、家茂と和宮の婚儀挙行。4月、島津久光、藩兵を率いて入京し、朝廷に公武融和策を建議。8月、生麦事件。閏8月、会津藩主松平容保を京都守護職に任命など](以下省略)

http://blog.goo.ne.jp/tom33aa/e/f04b1fd92e8a0615e7d53bec3a243fb5 [盛岡藩の参勤交代]

http://iwate-isn.sakura.ne.jp/bunkasalon/50kai.htm [盛岡藩雑書の世界]