先日、Takが実家にお泊りにいって、私は土曜の夜をひとりで過ごすことになりました。
Takは、5月から、毎週末、「ばーちゃん塾」に通っているのです。
超絶教育ママの権化の我が母が、Takのためにドリルをたくさん買ってきて、これをTakにやらせるというのです。
まっ、それについては、また別途記事にしたいと思っています。
そんなわけで、私は、毎週末の夜をひとりで過ごす日が与えられました。
(ばーちゃんもさすがに高齢なので、いつまで続くかは怪しい)
しめしめ。誰かを誘ってバーへいこう! …と思っていたけど、そう簡単にはいかないのよね(T_T) だって週末だもん、みなさま、大切な人との先約、当然あるでしょ。
ひとりの夜…
がら~~~~~ん…と、広々とした部屋にいると、
ちびっこいTakの存在感がどれほど大きなものかということを思い知らされます。
まるで別の空間のよう。
そして、時間もがら~~~~~~ん…と、広々。
空間も時間も、広々、伸び伸びとしているのです。
でも、そこへ、やがて「寂寥」がひたひたと流れ込んでくる。

「ひとりって、寂しいな」
と、私は感じる。
「ひとりでも全然寂しくないよ、パラダイス♪」なんて私にはあり得ない。
やっぱりひとりは寂しいよ。いつも神さまとともに…いたとしても。
私は、ピアノの出張レッスンで、何軒ものお宅を訪問したことがあります。
ご両親と子供、時には祖父母…などの家族構成、毎週2時間程度の訪問ですが、そのファミリーの「空気」が伝わってくる…というより、流れ込んでくるのです。
「空気」も、その時どきで微妙に変わる。
あまり人びとは気づいていないかもしれないけれど、家族でつくる「おうちの中」の空気って、ものすごく濃密なんだよ。
あたしんちの空気はどんなだろうな…
明るく楽しく幸せなファミリー、私はたくさんお付き合いさせていただきました。
正直いってとっても羨ましい。
明るい光が燦燦と輝いていて、この幸せがいつか収束に向かうことを考えるなんてことは、引き出しの奥に鍵をかけてしまい込んで忘れていていいのです。
収束ってつまり、命には終わりがあるってこと。
家族は、それぞれの命の存在感で、濃密な空間を作り出している。
ひとりいなくなったら、その「ぽっかり」空いたところに無限の寂寞がやってくる。
「寂寞」は「存在」でもないのに、まるで存在しているかのように…

ふと、サイモン&ガーファンクルの「Sound of Silence」が頭の中を流れました。
うーーん、そうだこれだ。
この詞のなかには、私と共通のキーワードがたくさんある。
命のことなんかひとことも出てこないし、「寂しい」なんてどこにも書いていないんだけれど。
こんどはこれを歌おう…
「寂寞」に包み込まれて、闇に目が慣れるように心が慣れてくると、いろんなものが落ちているのをみつけることができます。
まるで、先日凛ちゃんに紹介してもらった「脱出ゲーム」の中に入り込んで、密室の出口のドアの「鍵」を手に入れるためのアイテムを当てもなく捜しているような…(^_^;)
私の創作活動は、こちらの世界に属しています。
長い夜の雑談に付き合ってくれたお友達は、オススメのこの一冊を選ぶとしたら「赤と黒」(スタンダール)だとおっしゃいました。
え~~っ!?
遠い過去の私の印象では、なんだかハラハラドキドキでなおかつロマンティックなまるで冒険小説のような感じで、彼からこの本を推薦されるとは、ものすごく意外だったのでした。ストーリーはさっぱり忘れてしまってましたが。
…でも、また読んでみようかな。
これもまた、「アイテム」のひとつなのかも…