実家の犬のぎんじが天国へ旅立ちました。
10歳でした。
Takと同じ年に生まれた、Takのお友達。
冷たい雨の降る午後、じーちゃんの見守る中、息を引き取ったそうです。
ぎんじは「フィラリア」に侵されていました。
病気については多くを語りたくありません。
ぎんじのお父さんはじーちゃん(my養父)。
10年間、ずっとじーちゃんと一緒でした。
昨今のペットの飼い方と違って、服を着せられることもなく、部屋に入れて貰うこともなく、
庭の犬小屋で暮らし、朝晩じーちゃんと散歩して、餌を貰って、、、
時々家出して、車にはねられて骨を折ったことも…
近所のお友達の家にひとりで遊びに出かけたりも…
10歳といえば、もう老犬…と思っていたけれど、まだ60代なんだって、、、
60代といえば、私のバンドのメンバーの方たちの世代だと思うと、まだまだ若い…
ぎんじは、この半年ほど、だんだん元気がなくなって、食事をとっても痩せていっていました。
病気が判明して、とにかく、美味しいものを食べて、体力をつけるしかない…とのことで、特に治療などすることもなく、過ごしてきました。
旅立った日のの朝も、犬小屋から出て、庭のお気に入りのすみっこにうずくまっていたとか。
両親が、買い物や用事で出かけて、じーちゃんだけ、先に帰ってきて、
辛そうなぎんじを呼び寄せて、「ここで寝とれ」と声をかけて横にしてあげたたとたん、
ふた呼吸して、息絶えたのだそうです。
ぎんじは、前日までじーちゃんと散歩に出かけ、食事もとっていました。
散歩は、だんだん距離も短く、途中でなんども休憩するようになっていたとか。
それでも、散歩の時間を楽しみにしていたようです。
旅立つ直前まで歩いたり、食べたりして、主人に看取られて息をひきとることができたのは、幸せだったのかもしれません。
…というよりも、じーちゃんが帰ってくるのを、最期の命を振り絞って健気に待っていたに違いありません。
「ぎんじが死にました」…と母からメール。
家族で集まって、お通夜をすることに。
じーちゃんは、目はどこにいったのだというほど泣き腫らした目で、いつもと違う顔でした。
ダンボールで作った棺に、眠ったように横たわっているぎんじは、
まだお腹のあたりがあたたかくて、ちょっとごわごわした毛並みや、やわらかい耳はそのまま。
ほんとに眠っているみたいでした。
ぎんじは、触ろうとすると、いつも喜んで尻尾をふって飛びついてくるので、
こんなに長い間ゆっくり撫でたり触ったりしたことがありませんでした。
「ぎんじ、いい子だったね、お疲れ様、やっとお家に入れてもらえたんやね」
ぎんじに会って、最初に出た言葉でした。
私たちが遊びにいくと、いつも、家族団欒の中に入れてもらいたがっていたぎんじ。
ぎんじの頭にストレチアを飾りました。
天国にいけますように…
胸には、テッポウユリとデンファレ。
棺の傍に、「おりん」と、お線香が置かれてあったので、私はお線香をあげて手を合わせましたが、
Takは教会の子供なので、仏具の横に正座して、
手を組んで頭を垂れて「天国へいけますように」とお祈りをしていました。
じーちゃんは、これからぎんじのいない日々、本当に悲しくて寂しいことでしょう。
かわいそうだった…という思いでいっぱいのようです。
でも、私は、あんなに慈愛深いじーちゃんのもとで一緒に暮らすことができて、
ぎんじは極上の幸せものだったと思っています。
じーちゃん、ほんとにありがとう…という思いで旅立っていったと信じます。
ぎんじ、さようなら。
天国で、思い切り走り回って遊んでね。
時々は、私たちの夢の中にも遊びにきてね。