WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

春の嵐

2011-03-14 | 人生妙なり
この記事は、ご本人の了承を得て書いています。


まず 災害に遭われた方がたに心よりお見舞い申し上げます。








私のところにヴォイストレーニングにいらしているJINさん(仮名)の大切な方が、岩手で被災され、行方がわからなくなっています。
JINさんは、その方と地震直後からずっと携帯で話をされていたそうです。一度telを切ったら二度と繋がらないだろうから、このまま絶対に切るなと言いながら。

…津波が来たその時刻に突然電話が切れてしまったとのこと。

自宅でレッスン中の私のところに、JINさんから「大変なことになった」と連絡がありました。
「彼女が津波に飲まれた。これから助けに行こうと思う。」

私は、レッスンの前に、車の中で地震のニュースを知り、帰宅後すぐにTVをつけて、丁度津波のリアルタイム映像を見たところでした。
あの波に…




JINさんは、癌と糖尿病という二つの病気に現在立ち向かっていらっしゃいます。

彼は、ある日、私のところにTELしていらして、ちょっとした問い合わせの「ついで」のように、かるぅ~い感じで「ヴォーカルを習いたい」と仰いました。
ついででもなんでも、大歓迎。
成人男性のヴォイストレーニングは未経験なので2~3回は、テストレッスンで、私の中でで見通しがたてば、きちんとレッスン料をいただきますということにしました。

JINさんが最初にレッスンにいらしたとき、何か歌ってみてくださいというと、高校の校歌を歌って下さいました。
彼と私は、高校の同窓だったのです。学年はビミョーにズレているし、TELをいただくまで、彼のことは全く知りませんでした。
私は、音楽部でしたので、高校の校歌は忘れようもありませんが、普通科の男子が校歌をワンコーラス全部覚えているなんて、ちょっと感動しました。

そして、毎週レッスンに自転車で通うことになりました。
「雨が降ったらどうするの?」
「傘をさして歩いて来ます。私は、糖尿病なので、運動が必要。ちょうどいい運動になる。」
さらに癌も患っていること、余命を宣告されていたけれど、運動しながら、毎日の仕事や、JINさんと二人暮らしで、転んで車椅子生活になってしまったお母さまの介護を楽しくこなしているうちに、余命の期限?を越えたけれど、こうして普通に社会生活を営んでいます…と、、、

なんと厳しい状況なのだろうと思ったけれど、JINさんの冷静でこともなげで、軽そ~~なトークに、私は逆に励まされたのでした。
そして、彼の人生は、「余命」じゃなくて、「これからの人生」と思ったし、今でもそう思っています。

何度かレッスンしながら、私は、JINさんには、本格的な声楽の発声で、イタリア歌曲をゼヒ歌ってほしいと思いました。
「カラオケ」の練習でなく、身体を楽器のように共鳴させて歌うことの快感を味わってもらいたい。

そして、何週間か経って、彼は、「発声をやっていて、自分でも目にみえて効果を感じる」と仰いました。
え~~っ!!そうなん? 私としては、まだまだ序の口のつもり。
これからずーーっと時間をかけて、「楽器づくり」をしていくのだ。
まだまだ、こんなもんじゃないのよ。
…でも、これまでとは違うものを感じていただけたのはとても嬉しかった。






そんな矢先、JINさんは、治療のため、暫く入院することになりました。

「え~~っ!それは大変。お母さまはどうなるの?」
「大丈夫。母は、タイミングよくインフルエンザで入院中。肺炎になりかかってるから。」
「え~~~っ!!」

JINさんは、いつもこのように、大変そうなことを軽ぅ~~く言うのです。

でもやはり、何か私で役に立てることがあればと申し出ると、キーボードとPCを病室に運びたいので、車を出してくれると助かると…
なんだ、そんなん、お安い御用やわ。
さらに、彼は病院でも屋上で練習できるというので、
「ほな私、出張レッスンにいくわ♪」
ってことになりました。PCとキーボードは早速運びました。


そして、その翌日、地震と津波が東北地方を襲ったのでした。



JINさんは、彼女が被災したのは間違いないので、これから助けにいく、行けるところまで新幹線で行って、オフロードバイクに乗り換える。
今は情報収集や救助計画の立案、救助に必要な物資の調達や荷造りに忙しいので、バイクの手配できそうか、当たってみてくれないだろうかというのです。

助けにいくったって、その身体で…

外出許可を取って、助っ人も手配して…と、彼の計画は周到で、有無を言わせないところがある。
大切な人を救いに行きたい気持ちはわかる。
一刻を争うことも。
被災した場所も正確にわかっている。
なので、生きているうちに行って、一刻も早く助け出したい。
私だって、自分の命より大切なTakがいるのだ。そんなこと、当然だ。

でも、じゃあ、お母さまはどうなるの…

母は入院中だから大丈夫。
彼女を助けたら帰ってくる。

私には止める権利はない。JINさんのヴォイストレーナーという、「ご新規さん」だし。
彼がそれほどまでに望んでいることをそんな私に頼んできているのだから、できることを協力するべきなのか。

JINさんは、その日、最後に「準備することが多すぎて、今夜は出発できないし、きっともう彼女は死んでいるので、それなら一刻も早くいっても意味がない。これから母親に会いにいく。明日出発することにした。もう帰ってこないと思う。また連絡する。」といってTELを切りました。

私は、そのあと、どどぉぉぉ~~~っと後悔が押し寄せてきました。






でっ。
結局、JINさんは、そのあと被災地にいくことを止めたのだそうです。
昨日の朝、連絡をいただきました。
状況からして彼女が生きている可能性は殆どない、
あったとしても、自力で捜して助け出せる状況ではないと判断したそうです。
私も全く同じことを考えていました。
彼女の生存の望みや、今後の救出については、レスキューに委ねるほかはないと。

私は思わず
「あ~~~よかった、ほんとによかった。」
と、大声をあげました。
「もっと早く連絡くれよヽ(`Δ´)ノ」


お母さまと会って、どうか思いとどまりますように、お母さまが行くなと説得してくださいますように。
私は、正直いって、JINさんの彼女よりも、JINさんよりも、彼のお母さまのために真剣に祈りました。
あんなに真剣にお祈りをしたのは初めてかも。

祈りが届いたというよりも、いつもどこまでも沈着冷静なJINさんの判断だったのだろうけど、私はこれだけは言わせてもらうわといって、TELでJINさんにまくしたてました。

「母がどれほど息子のことを思っているか… いたずらにに命を削るようなことはしないでほしい。お母さまのために生きてほしい、お母さまより先に死んだらイカン」

「それはわからん」

…と、JINさんは言いました。
それはもちろん、誰にもわからない。

私がJINさんの母だったら…
TakがJINさんのようなことを言い出したら…

私は、「私のために行くのをやめてほしい」とは、やはり言えなかったと思う。
母とはそういうものだ。

だけど。
亡くなってしまった可能性が高い命と、生きている命…
低すぎる生存率に賭けること…
命の重みについて、これほど考えたり迷ったりしたことはありませんでした。
私が迷っても仕方がないのだけれど。


これから、JINさんは病院に戻って、きっと何事もなかったかのように治療を続けると思います。情報収集は続けながら。
私は近々、病院に出張レッスンに行きます。

同じ病院に、私のとても大切な人が入院しているので、本日お見舞いのついでに出張レッスンの下見もしてきました。
病院の屋上庭園は、見晴らしもよくて、しかも音響もとってもいいのよ♪
JINさんは、電話で、傍にいらっしゃるお母さまに「ヘアカラー」の話をしてたし、私は、「出張レッスンにいくんやから、月謝はちゃんといただくわよ」などと話しました。
安堵の会話やーーーホンマ。日常が戻ってきたって感じ。
JINさんと電話を切ってから、再び連絡があった昨日まで、どんなに長かったことか…







被災者の方がたの「日常」が一日も早く戻りますように。

「日常」とはなんだ?

くだらないことを笑ったり、ムッとしたりしながら、冗談いって、、「この味噌汁、味が薄い!」なんて文句いってること…
これが幸せだなんて、全然意識しないこと、、、



昨日、教会の礼拝に、久しぶりに行きました。

その後、昼食の「うどん」もいただきました。
当然のことながら話題は震災のこと。
そして、牧師先生が被災地に視察にいきたいと仰っている計画について、
教会をあげて反対していました。
時期尚早、無謀、救援活動の妨げ、非力…などです。
それはもっともな事には違いないかもしれないけれど、本当に愛する人が被災した時、うどんを食べながらこんなふうに、一も二もなく反対ができるのだろうか?
私だって、反対も賛成もできず、黙って聞いているしかなかったんだけども。

平和とは人を鈍感にしてしまうのだろうか?



…まだあるのです。

でも、そちらは、ご本人の了承を得られませんし、私もここに書けるだけの知性も感性もパワーも不足しまくり。

いちどきに…

春の嵐でしたが、もう過ぎ去りました。
また次の嵐も、次の次も、いつかくる。

先日も書きましたが、
「どんな時にも、どんなに揺さぶられても、地に足をつけて、しっかりと自分の毎日のやるべきこと、相手に対してできることを大切にこなしていこう」
と思います。

真木温泉」で吹雪の中、私に物凄いパワーで語りかけてくれた木のことを思い出します。
凄い出会いだった。
また会いにいきたいなあ…


そして、さらなる「樹のうた」part2や、数年来の懸案の「満開BLUE」…そろそろ本当に時が熟してきたかもです。




合掌





Comments (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする