(私はクリスチャンではありません。
教会の言葉でいうなら「求道者」という立場です。
教会用語など、理解しているつもりでも、不適切かもしれませんので、ご容赦願います。)
私は、キリスト教の葬儀に初めて参列しました。
鈴木一也さんの葬儀は、10人ぐらいの親族の方と、数名の高校時代のご友人と、
30人以上の教会の方たちの参列やお手伝いによって、とても和やかにあたたかく行われました。
たった1日だけれど、シオン教会のクリスチャンとして生きた鈴木さんのことを、
教会の方たちは、同じ教会員としてあたたかく受け入れてくださるのだと、感動しました。
クリスチャンの葬儀は、神さまの御もとに帰っていったことをお祝いする式のようでもあります。
ほんとうに、あたたかで、晴れ晴れとした雰囲気の中、鈴木さんの「亡骸」はお花でいっぱいに飾られ、賛美歌が高らかに歌われ、明るい奏楽が流れます。
奏楽は、SYOさんが担当してくださいました。
SYOさんはクリスチャンですが、別の教会に所属しています。
けれども、鈴木さんとのこれまでの交流から、自らこの日の「奏楽」を願い出てくださいました。
私も、「特別賛美」として歌を捧げました。
仏式と違って、息を引き取ったその瞬間に、もう魂は天国にあり、神さまがその後のことは全て責任を持ってくださる。
四十九日間、冥土の旅をして、1週間ごとに関門?を通過することもありません。
なので、ここにあるのは鈴木さんの「亡骸」なのです。
亡骸に合掌したり、語りかけたりはしません。
希望者が手を挙げて自由に思い出を語る時間が持たれました。
本来ならば、これは「前夜式」(仏式でのお通夜のようなもの)で、こころゆくまで行われるのだそうです。
…が、親族のご希望で前夜式はありませんでしたので、葬儀の中でこの時間が持たれました。
彼が親族の方たちと絶縁状態にあった理由は、過去の破天荒でむちゃくちゃな人生に親族一同、多大な迷惑を被った、
親族の中に、このような「異分子」みたいなのがいることは、許しがたいものがあった…ということは、察するに余りあります。
私自身も、親族の立場だったとしたら、きっと一生かかわりたくないと思っていたに違いありません。
だって…と、この先はこれ以上この場には書けません。
私は、そのご親族に対して、彼がご自分の病気を告知された最後の1年は、そうではなかった、とても幸せだったのだ、そして、社会人として波乱万丈のむちゃくちゃな人生に船出?する前の、
高校時代の彼に戻ってきたのだということを伝えたくて、彼との出会いから天に召されるときまてのことを喋りまくりました。
そして、高校の同窓生みんなで、彼が私のレッスンに初めてきたときに歌って聞かせてくれた「校歌」を歌いました。
そのせいで、きっと牧師先生の「式辞」の時間は相当短縮されてしまったのでは…m(_ _)m
「式辞」では、聖書のみことばを引用しながら、牧師先生がお話をしてくださるのですが、
聖書では有名な箇所で、クリスチャンでなくても知っている人が多いと思われる箇所でした。
ひとつは、イエス・キリストが十字架に架けられたとき、左右に一緒に十字架に架けられた犯罪人のうちのひとりが、自分の罪をみとめてキリストを信じたとき、
「あなたは、今日わたしと一緒にパラダイスにいます」という箇所。
もうひとつは、これも有名な、ルカの福音書の、「放蕩息子の帰還」の箇所です。
先生は、葬儀の段取りに教会にいらした親族の方から故人のむちゃくちゃな生き様を、繰言のように聞かされて、すべてご存じでした。
だから、「極悪人の死刑囚が、処刑される直前に、信じてすべてを許された」お話をされたのです。
彼こそ、「許し」を渇望していた人だったのではないでしょうか。
それから、、、
何よりも、牧師の加藤先生のお働きには、本当に感動しています。
教会は、クリスマスのこの時期、いろんな行事で本当にどの方も、お1人お1人、役割があり、とても忙しいのです。
もちろん先生はその筆頭です。そんな中での、鈴木さんの洗礼を迎えるための準備に2度も、それも、タイトな予定を調整して病院に駆けつけてくださり、
洗礼式も、鈴木さんの体調の悪化で予定を早めましたが、ギターを持って、牧師先生ご夫妻、それに立会人として教会の方もいらしてくださいました。
病院では、この時間、特別に個室が用意され、ギターの伴奏で賛美歌を歌って、鈴木さんの受洗をお祝いしました。
そして翌日には、息を引き取ったとの知らせですぐに駆けつけてくださり、お祈りをしてくださいました。
鈴木さんの亡骸はすぐに教会に移され、葬儀の段取りが行われ、翌日が納棺式、翌々日が葬儀…なのですが、
その間にも、クリスマスの準備や、いろいろな会やコンサートなどが催され、その準備も行われています。
「牧師」とは、本当に自分の身をすべて神に捧げきって働く方なのだ…
葬儀の日の朝には、日曜の主日礼拝が、普通にありました。
クリスマスの「アドベント」の期間でもあり、特に大切に行われます。
その後、すぐに教会の方々が会堂の机などを撤去して、葬儀会場に模様替えをし、お手伝いの教会の方々には、用意されているおにぎりが振舞われました。
私は、「おにぎり」のお手伝いに行かなくていいのだろうか…と気になっていたけれど、
疲れていたし、気分も滅入りまくっていて、朝早くから全然てきぱきと行動ができませんでした。
牧師先生の、ご自身のお体の疲れはいかばかりかと思うのですが、いつも教会のメンバーの方たち、震災の被災者の方、教団のことや、その他、私の窺い知れないことなど、
気の遠くなるような膨大な人々の思いやかかわりを抱え、すべて祈りで「神さま、支えてください」といって、一瞬一瞬を過ごされていらっしゃるのだと思います。
あまりにもスゴすぎて、言葉になりません。
先生は、出棺のあと、私に「斎場まで行っていただけませんか」と仰いました。
親族でない私は、ここで自分の役割は終わったつもりでした。
斎場まで行くのは差し出がましいと…
先生は、斎場では、賛美歌を歌って最後のお見送りをする、賛美歌を私がひとりで歌うのも寂しいので…というようなことを仰いました。
そうか、賛美歌を歌うのか、ほな、行かなくちゃ!
意外にも? この場を早く終わらせたい…という雰囲気満々のご親族の方も、賛美歌は高らかに歌われていました。
そして、「主の祈り」(天にましますわれらの父よ、、、)が、ここで初めて捧げられました。
ご親族の方たちにも「主の祈り」のコピーが配られましたが、みなさん、一緒に読み上げられていました。
最後のお見送りが終わって、私は失礼しましたが、先生は集骨まで斎場にいらっしゃるとのことでした。
夕方からは、教会で、今月23日の、クリスマス・ストリートライヴのリハがありました。
私は、斎場を出てから、SYOさんとTakと3人で、遅~いランチにいって、リハにまた教会に戻ってきました。
ストリート・ライヴのことは、また別途、ご案内もさせていただくし、記事も書きます♪
とにかく、みんなものすごくお疲れの中、リハはきっちりやりました。
私にとっても、長い長い1日でしたが、特に牧師先生ご夫妻は、本当にお疲れだったことと思います。
でも牧師先生ご夫妻には、こんなことは、きっと「特別」なことじゃないんだろうな…
リハが終わって、器材を片付けて、一段落したところで、ライヴのメンバーの方が帰られたあと、先生に、今日の斎場でのあのあとのことをお聞きしました。
先生は、キリスト教とは全く関係もなく、この場を早く終わらせたいと思っていらっしゃる親族の方がたのところにひとり残っていらしたのです。
それは、クリスチャンになった鈴木さんの遺骨の一部を分骨というかたちでも持って帰るという役目があるからです。
親族の方々は、遺骨なんか、できればその場で捨ててほしい、無理ならゴミとして出したっていいと思っているに違いないのです。
それぞれ自分の家には持って帰りたくない、骨になっても入ってきてほしくない、、、
さらに、加藤先生は、そういうなんだかまるで「四面楚歌」みたいな状況の中でも、
このご親族の方たちと教会との出会いは、「キリストとの出会い」との思いから、ことばでなく、ご自身のからだで伝道していらっしゃるに違いない…と思いました。
でも、それでも、先生も奥さまも、疲労困憊のご様子でした。
朝の主日礼拝から葬儀、ライヴのリナーサル…それ以前から次々とスケジュールをこなされて
「あ~~疲れた」と、講壇?(会堂の正面)の縁に座り込んでシールド(マイクや楽器のコード)を巻いていらっしゃいました。
人間なのだから、当然のことなのです。
私はこの長い1日が終わって、牧師先生ご夫妻と語りあったことが、いちばんリアルで、
これからの自分の人生にも、大きな意味を持つものだろうなあ…と感じました。
…父と鈴木さん
立て続けに二人の死をお見送りしました。
私にはなにも悔いは残っていません。
これからの日々は、思い出は自分の胸のなかに収めて、これから一緒に生きていく私の大切な人たちと、毎日を大切に過ごしていきたいと思います。
いつものことですが、だらだらと長い文章にお付き合いくださり、分かち合ってくださった方がたには、本当に感謝しています。ありうがとうございました。