Takが、鼻水だらだらで、また公文に行かずに帰ってきた。
頭も喉も痛く、明日は運動会の予行演習で、吹奏楽は7:10集合で楽器の搬出をするらしい。
でも、部活も運動会リハも休むわけにいかないというので、
じゃあ、今日はもう宿題はいいから、公文の宿題だけ取りにいって、さっさと夕飯食べて寝なさい…となりました。
「夕飯まで、公民の勉強じゃ」
テキストはコレ
大阪府教委が出した「国歌起立斉唱」の職務命令に対し、MBSが府立学校の全校長に対しアンケート調査を行った結果を踏まえて、
2週間ほど前の、橋下市長の登庁時の囲み取材(橋下市長は、毎朝コレをやって、大阪市がこれをYou Tube にアップしている)の際に市長に意見を求めたときの一部始終です。
この様子は、民法や、ネットでも大きく取り上げられ、アクセスも200万を超えています。
観た方もいらっしゃるのでは…
橋下市長は、MBSの記者に対して、「あなたは誰から誰に出された命令かという基本的なこともわかっておらず、私の質問に答えないで、私に意見を求めるとは言語道断!」という意味のことを言って激昂されています。
私は、「君が代」が子供の頃から好きで、Takの卒業~入学の時期でもあるふつーの日本国民の母親且つミュージシャンとして、大阪府の条例については注目していました。
けれども、「職務命令」については、この取材した記者同様、命令の主体と対象者などというのは、あまり深く考えていなかった。
橋下市長は、この記者に対し、激昂しながらも、「パフォーマンス」の目的もあってか、この条例制定~職務命令の発令~校長の裁量などについて、くどいほどに噛み砕いて説明しています。
コレを私はTakに最初から最後まで見せて、日本国憲法をもとに法律が作られ、さらにそれをもとに、各都道府県、自治体の条例が制定されること、
「法の整備」とは、ひとつの法律や条例が改正するということは、網の目のように他の法律と絡み合っているので、理論を構築することはとても大変なことなのだと伝えました。
日の丸・君が代が、国旗・国歌と制定されたのは、Takの生まれた1999年なんだよ。
それまでは、「君が代」は正式な「国歌」ではなかった。
これは、Takにとって衝撃的なことでした。
Takの世代にとって、「君が代」が国歌なのは当たり前。
当時私は、代議士事務所に勤務していたので、法案の審議~採決の過程にはかなり深くどっぷりと浸かっていました。
会議に代理出席して、その内容を代議士に伝えるためです。
ただ、だらだらと代議士の時間を無駄にする報告レポートを書くのでなく、代議士の知りたいことを簡潔にまとめるには、勉強しなくてはいけないのです。
私は、個人的、感情的に「君が代」が国歌と定められたことは嬉しく、感慨深かった。
いとしき「君が代」は、戦争によって深手を負い、針のむしろに置かれ、政治に利用されてきたのだ。
「君が代」になんの罪があるのだ…
しかし、感情論ではなく、「法の整備」です。
橋下氏は、公務員への職務命令の意味を、これもまた、噛み砕いて説明されています。
私個人的には、氏は無知な記者の質問を逆利用して、パフォーマンスを行っているんだなあと感じます。
それは、Takに見せても「うんわかる」というほど、市民レベルで。
彼は途中で「くだらないからもう答えない」と言いながら、「あなたの質問をもういちど、何がいいたいのか最初から言ってください」と言う。
そこで、噛み砕いた説明をしています。
本来なら、この質問は、取材の最初の3分で終わり…という程度のことなのを、この際だから、激昂して注目を集めながら市民レベルで語り、物議を醸そうという意図だろうと私は感じました。
ところで、この「囲み取材」の模様は、民放で大きく報道されたようなので、チェックしてみましたが、
とある番組では、橋下氏が記者の女性に執拗に詰め寄るところだけをクローズアップしていたり、橋下さん、こーゆうパフォーマンスは、これから国会へと目論んでいる人には、もう限界ですよ…とか、
民放各社の意図によって、このように構成されるものなのだということも、よ~~~~~くわかりました。
これは激しく感じました。
原発についても推して知るべし…です。
でっ、Takともいろいろと話が炸裂している間に、本日の晩ゴハンの鰆の塩麹漬けは、スミと化してしまいました( ̄_ ̄|||)
罰として、私は、近所のココイチのカレーをテイクアウトしてきました~~~
(5年前の記事を追記させていただきます)
君が代は 千代に八千代に さざれ石の いはほとなりて 苔の生すまで
私は、このうたから心に広がる風景は、ミレーの「晩鐘」です(冒頭の画像)
これは祈りのうたです。
万葉びとにとって、国を統べる王の顔などみたこともなく、
まして、自分の住むくにがどのくらいの広さで、どこまで続いているのか知りようもない。
私がこのうたをうたうとき、「君が代」という言葉は「世界」のことだと感じます。
1日の農作業を終えて、夕陽が沈むとき、今日も健康で働けたことを感謝し、貧しくとも家族がこれからも健やかで、そして自分達を取り巻くこの世界の平安がいつまでも続きますようにという祈り。
自分を取り巻く世界を、「われらが世」や「この世」ではなく「君が代」とうたって、世界を統べる、大いなる叡智のあることを感じて、敬虔に祈りを捧げるうたなのです。
これが、私が君が代をうたっていて感じる、自分なりの解釈です。
解っていて、あえてミュージシャンとして・・・。
いい社会になるといいね。
それにしても、お魚の炭化は惜しい。議論、お勉強の時は、くれぐれも
ご注意を!
鰆の炭化、ほんとに残念です涙
全くの炭状態になってしまいました~~
歌を歌っていると、目の前に風景が広がります。
私は、「君が代」を歌うとき、いつものどかな田舎の農村の風景が自然に浮かびます。
どの歌も、詩とメロディーを繰り返し歌っていると、心にそのうたの「心」のようなものが、自然に入ってきます。
あまり得意でない英語の歌もです。
あまり何も入ってこない歌もあります。
私は、「心」をもった、風景が広がる歌が好きなんです。
歌うとしたら、意味や背景を理解できているのか。
歌わないとしたら、それは信念を持っての事なのか。
「君が代」はなんだか余計な事情がいろいろとまとわりついていて、なかなか素直に歌えない歌なのですよね。
国歌なのに寂しいと思います。
が、TAKAMIちゃんの持つ「君が代」の風景は、「君が代」の解釈として素晴らしいと思う。
共感を覚えました。
これからは力まず、より自然な気持ちで歌えそうです。
ああ…嬉しい
>これからは力まず、より自然な気持ちで歌えそうです
私のブログの記事を読んで、たった一人でも、そんなふうに共感してくださる人がいることが、
本当に嬉しいです。
「君が代」のうたは、本当に重い荷を背負わされて時代を歩まされ、痛々しい…と思います。
こんなに純粋で美しい歌なのに、、、
「解釈」と本文に書いてるけど、理屈でなく、
なんども歌ってると、心に広がってくる風景です。
詞もメロディーも、ものすごくシンプルで美しいでしょ?
以前から何度か書いてるけど、私は「君が代」を自分のアレンジで、LIVEでそのうち歌うつもりなのよ~~ん♪