山口県の岩国にある錦帯橋は幼い頃に行っただけで、私は物心がついてからは訪れていない。
先日、宮島に行った帰りに立ち寄りました。
思った以上に趣のある場所だった。
錦帯橋は確かにメモリアルな橋ですが、それと同時に岩国の錦帯橋の周辺がよく保存されていて、きわめて味わい深いものがあります。
残念ながら曇りで日差しがなった。
めがね橋です。
山の上に岩国城があります。
バリアフリーじゃありません。
油断してキョロキョロしながら橋の上上を歩いていると、、、きっと転びます。
見ればわかりますが、階段の蹴上がりが一段一段違います。
芸がこまかいでしょー。
錦帯橋の脇に大きな河川敷の駐車場があります。
観光客からは目障りだと、、、評判が悪いけど、これだけのスペースを取れるのは、たぶんここしかない。
錦帯橋を写真で撮るには方向が決められてしまうと、写真を撮りたい観光客に評判が悪いのだ。
だけど、、、車を遠くに止めさせたら、それはそれで問題がある。
岩国城へはロープウエイで登ります。
眼下に岩国のまちが広がっていきます。
遠くに岩国飛行場が見えてきます。
すぐ近くです。
駐車場がこのように見えてくるので問題があるそうですが、、、仕方ないんじゃないかーーー。
あの広い駐車場が満杯になったら、錦帯橋の混雑は、、、想像するだけで空恐ろしいほどです。
きっと原宿の竹下通り状態になるのでしょう。
今日は平日なのでガラガラです。
観光地なので外人さんもいますが、どちらかというと白人系が多い。
ここは時代劇の映画撮影でもよく使われるそうです。
こちらから見ると住宅が見えるけど、反対方向の景色は現代的なものは何も見えなくて、いい感じです。
佐々木小次郎が燕返しの極意を習得したのは錦帯橋の上でとなっていますからーーー。
勤怠橋にかかる柳の木を飛ぶ燕を切っていたんでしょーーー。
残酷な話です。
柳の木は見なかったが桜の木はいっぱい植わっていた。
錦帯橋は石組でやるアーチを、力学を考えて木材を巧みに組み合わせて造られている。
日本の木工技術ここにありーーーて感じです。
なんだかわからないでしょうーーー。
錦帯橋の橋脚部分で、川上に向かって尖っています。
大きな石を連結して、どちらに力がかかってもバラバラにならないように石のかすがいが埋め込んである。
応力が集中するのは先端の3つの石、、、。
現代の土木工事者が見ても、、、完璧な設計だそうです。
岩国城の中は入らなかったが、ふもとの城下は見事なものです。
岩国のお殿様は普段はこちらの方に住んでいたのだろう。
お堀があることから、下にもそれなりのお城があったかもしれな。
岩国城は山城ですが、こちらは平地ですからお堀があるのでしょう。
この城下の脇に佐々木小次郎の銅像があったらしいが見逃してしまった。
佐々木小次郎が宮本武蔵と決闘した巌流島は瀬戸内海の島なので岩国から近い。
銅像があるということは、佐々木小次郎はこの藩のおかかえだったのだろう
最後は岩国名物のレンコンコロッケ。
岩国に来たら、、、そりゃ食べなきゃいけません!
レンコンがカリカリして、ころものサクサク感とあいまって美味しいです。
錦帯橋の周りの詳細地図です。
岩国は山口県ですが広島との境です。
錦帯橋そのものも見所満載ですが、錦帯橋の周辺が幽玄を感じさせる不思議な場所です。
似ている感じのところは、お伊勢さまと、、、比叡山の琵琶湖側の坂本の町です。
お伊勢さまの五十鈴川は神聖な感じがします。
大きな川ではないが、錦帯橋の下を流れる錦川と同じく、川底に平らな石を敷き詰めてあります。
いかにも神聖な川の様相です。
比叡山坂本は街全体が石造で、山の中腹なので街全体が傾斜地です。
その市内のいたるところにある側溝に綺麗な清流が流れていた。
坂本の町は秘められた聖地という感じです。
なぜか、、、それは信長の比叡山焼き討ち事件の後、町を復興作り直したのが明智光秀だからです。
比叡山焼き討ちを信長から命ぜられたのが明智光秀で、信心深い光秀は後年に丁重に町を復興させた、、、。
明智光秀は信心深い人だったので、比叡山の焼き討ちはしたくなかっただろう。その罪滅ぼしに比叡山坂本の町を復興させた。その後、光秀の信長に対する謀反、それと秀吉の光秀討ち、、、歴史から比叡山坂本はその時から消された、、、。その静寂さが坂本に今なお流れています。強烈なインパクトを感じた町です。
比叡山坂本は、日本の歴史の闇が凝縮された土地なんです、、、。
錦帯橋のこの周辺はそんな暗さもなく、お伊勢のような宗教がかった事もなく、いたって平明な静けさです。
ぜひ、錦帯橋は行って見ることをお勧めします。
2013年10月 歴史から消されたまち坂本
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