山形の米どころ、酒田のコメ倉庫の山居倉庫(さんきょそうこ)です。
江戸から明治時代、大正、昭和初期はさぞかし活気があったことでしょう。
山居倉庫で見学できるのは一部だけで、ほとんどは今でも現役で使われています。
山居倉庫は最上川の本流から支流を数百メートル入ったところにあります。
コメの集荷や出荷場は鉄道や車が無かった時代には、輸送手段に船を使うので川べりにありました。
これは模型です。
上の方が最上川で下の小舟が溜まっているのが支流です。
米俵の積込みは人力です。
当時は動力がありませんでしたからーーー。
川べりの石垣の所々が開いていて船を引き上げたりするスロープになっていった。
この船は「小鵜飼船」と呼ばれて50俵ぐらいしか積めませんが、前方に帆をかけられるので船足が速かった。
最上川を支流で使われた小回りがきく船です。
最上川本流で使われるのは「ひらた船」で250俵積めることができた。
日本海を航海するのは千石船のような大きい外洋船。北前船と言われていたやつじゃないか~~~。
山居倉庫には、このような倉庫が9棟あり、1万人が1年間食べられる量のお米を、常に保管していた。
酒田の街には観光客が少ないと思ったが、ここ山居倉庫だけは大にぎわいです。
みなさん車でこられるかなー。
当時を再現した実物大の模型です。
米俵の集荷、出荷は女性の仕事だったそうです。
米俵を5俵もかつげた剛力のような女性がいたと言う。
300kgですよーーー。
こんなに重たい俵をかついでいたら、背が縮みます。
健康には、ものすごく悪かっただろう。
人生40年になってしまうよーーー。
脊椎が圧迫されて腰痛なんてものじゃない!
江戸時代なのか、明治時代からなのか、とにかく現在でも使われている米倉庫群です。
日本の大食料供給地域の酒田の米どころを見てほしい。
北海道、秋田、山形、宮城、新潟、茨木、栃木など日本の食料生産の屋台骨ですから。
江戸時代後期から明治時代の初期の頃まで、日本海は日本の大きな流通の大動脈だった。
この図は、お米の渡来ルートです。
大きくみて、3方からお米が渡来したようだ。
旅は歴史と地理、社会の勉強になります。
山居倉庫は今まで知らなかったけど、面白く見させていただいた。
https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/914987dbd5cfb9e26a0166efdb3739cd
日本海沈む夕日(温海)
https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/b483c563a1634bf053fce7a081ca7123
鶴岡城址
https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/ec092001169c876a5fe1cc7b33a367ef
百けん濠(鶴岡市内の創作料理屋)
https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/c8c853ce1be1a6385fa9e101325cc7c4
致道博物館(鶴岡市内)
https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/239bf491b2a66cd7b07a50d474d70452
月山を見に行ったが(山形県の名峰)
https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/0c585204491c32872a3021fa2b36247a
東北紀行
https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/71049d5eff2557bc774d4e5dd8fa2255