ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

秋の虫

2006年09月05日 | 生き物 自然


いよいよ、エンマコオロギの季節となった。
それにしても、蝉で夏を感じ、コオロギで秋と、つく
づく虫好きである。
人によっては、それが植物だったりするわけだが、ど
うも虫好きの方が、「オタク」系の称号を与えられが
ちだ。
まあ、それはどうでも良いが、最近富に感じる虫を毛
嫌いする傾向には、ちょっと異議を唱えたい。

気味の悪いもの、異物を排除しようという差別の構造
が、底流にあるのではないかと感じるからだ(これは
応用可能な便利なフレーズです)。
最初から異物と認定されると、それが当然なものとの
同意が形成され、集団の常識として固定化され、一つ
の文化的枠組みの中にそういった価値観が組み込まれ
る。
そうなると、その一員として穏やかに暮らすためには、
周りと同じような身振りが自然と出来るようになるこ
とが肝要。
違う感性、違う意見を持つと、その集団の中では居心
地が悪くなる。
虫に関しても、徐々にその傾向が強くなってきている。
虫嫌いが、常識的振る舞い或いはセレブ的振る舞いに
なってきている。
これが虫程度で収まるなら、確かに「オタク」の遠吠
えで済むが、虫が人に変わる危険性があることを、実
は危惧するのだ。
虫一つで、その傾向が見て取れるのだ(ってちょっと
強引か)。

例えば、加藤元幹事長宅の放火。
思想的には明確な次期総理(その他は無さそう、にど
うしても見えるし、取り巻きの若手がまたオームの信
者のような、思考停止)。
彼を喜ぶ勢力が勢いをつけると、こういう事態も増え
るよの良い例だ。
異物を排除の原理が常識化するのが恐いのだ。
この点に関して、あまりに鈍感なのではないだろうか。
意見をはっきり言うというのが受けてるらしいが、そ
れは、単なる思い込みが強く思慮が欠けてる故のこと、
とも言えるのだ。

どうも、最近、批判の矛先があの次期総理に向かって
いく。
ベクトルが。
無理やりの嫌いもあるが、一番は、あのおばさん顔が
どうしても好きになれないから(この点に関しては、
大騒ぎしているおばさんファンと同程度です、はい)。
大衆演劇のスターにしか見えないのだ(ここはちょっ
と意味深長)。
しかし、もうそろそろこの話題はいいかな。
秋の虫から、秋の総裁か...。
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