ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

2006年09月08日 | Weblog
というわけで(ここは大胆に省略)鰻を食べてきた。
この鰻屋は、甲府にあるすし屋の主人のお勧めなのだ
が、まず、何故信州から甲州の甲府のすし屋なのか、
という不思議を説明したい。

このすし屋は、元々は幹線沿いの、みかけはよくある
すし屋として営業していた。
当時から繁盛していて、今で言う「行列の出来る店」
だった。
何故受けていたかと言うと、ねたの鮮度は勿論のこと、
それ以上に客を魅了していたのが、そのねたの大きさ。
とにかくでかかった。
今だったら、そんなものを売りにしているところは絶
対行かないが、こちらが子供のころ(親に連れられて)
の話だ。
それだけで感動物だったのだ。
思えば素朴な時代だった。

で、店は順調に発展して、お決まりの改装拡張。
今だったら、そういう店は絶対行かないが(ちょっと
しつこいか)、当時は時代が。
更に客は入るようになり、主人は「うはうは」。
しかしここからが違っていた。

「従業員も雇い、確かにだいぶ儲かった」(ここから
は主人の独白)
「しかし、何故か心は満たされない」
「俺はこんなことをしたかったのだろうか」
「金儲けだけが目的だったのか」
「違う、鮨がすきなんだ」
という心の経緯があったかどうかは知らないが、ある
時、折角広げた店を縮小した。
従業員もなくし、自分だけで握るようにした。
理由は、目が行き届かなくなるから。
職人気質だね。
そんな主人の気質も含め、好きな店としてずっと何年
も通い続けることになったのだ。

今は、更に幹線から裏通りのようなところに移り、一
人で握り続けている。
構えも、一見だとちょっと入り辛いような、構え。
店先にビールの空き箱がおいてあるような店とは違っ
て、酔っ払いがふらっと入れるような雰囲気ではない。
しかし、店の雰囲気とは違って主人は(藤原組長に似
ている)、競輪好きだ。
ちょっと競輪に話をふると、もう止まらない。
「最近の競輪は分からない」から始まって、経験談を
交えつつ、いつもと同じような話が二時間ばかり続く。
普段は、そういう話を出来る相手もあまり来ないだろ
うから(競輪親父が来るような店ではないので)、ど
うしてもそうなってしまう。
今なら、「この前のオールスター競輪の武田、思い切
りが悪いよなあ」とかなんかで盛り上がることだろう。

と話は、ちっとも鰻に進まないが、今日はすし屋の主
人の話と言うことで。

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