ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

ジョアン.ジルベルト

2006年09月12日 | 音楽


最近、S君から借りてよく聴いたのが、この「ジョア
ン.ジルベルト」。
ボサノバでは有名らしいが、なんせこの手は聴いたこ
とが無かったので、知らなかった。
以前だったら、絶対聴くことの無かったボサノバを、
結構心地よく聴いてる自分が今いるわけなのだが、よ
くここまで門戸が広がったものだ、と自分の音楽趣味
の変遷にある種の感慨を持ってしまう。

そこで、この二三ヶ月だけで新たに聴いた音楽(ラジ
オ以外で)を振り返ってみると、この「ジョアン.ジル
ベルト」以外にも、クラシックの「コダーイ」(これ
も借り物)、ジャズの「菊池成孔」(これは貰い物)と
「Fay Claassen」(これも同一人物からの貰い物)、
と結構あった。
番外編で、「スクリャービン」というのも。

良いものは良い、と言ってしまえばそうなのだが、「プ
ログレッシブ」オンリーの嘗ての自分からすれば、今
の姿は想像できない。
単に年取っただけ、とも言えるが、まあここは幅が広
がったことを素直に喜びたい。

そんな、現在の音楽的趣味の状況がよく分かる、車の
カセットテープの内容を最後に報告。
「ドアーズ」「トーキングヘッズ」「ブライアン.イ
ーノ」「ベック」「プリンス」「ローリー.アンダー
ソン」「ジャクソン.ブラウン」「フィリップ.グラ
ス」「チェット.ベイカー」。
いざ並べてみたら、プログレッシブの流れに沿ったも
のが多く、大分偏っていた。
三つ子の魂百までも、か。


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鰻4

2006年09月11日 | 食べ物


いい加減、鰻に行かないと、人には、我慢の限界と言
うものがある。
ということで、いよいよ今回が最終編。

藤原組長似の、すし屋の主人から教えてもらった鰻屋
は、すぐに見つかった。
外見は、ちょっとしょぼいぞ。
幹線沿いによくありそうな、ちょっと煤けたような、看
板がでかい和風の建物。
店内に入る。
外見と同じセンスでまとめられている。
水垢がこびりついた水槽。
何故か、漫画がずらっと。
改めて、「しょぼいなあ」(嘆息)。
店の旦那は、スポーツ新聞片手にテレビを見ている。
完全に、町の定食やの雰囲気だ。
これで客に、営業マンでもいれば完璧。
しかし、誰もいなかった。

こんなしょぼい雰囲気の店だが、メニューは本格的な
鰻屋のそれだ。
鰻しかなく、しかも値段はほぼ2000円以上。
営業マンがいないわけだ。
こういう時の常で、一番下から2番目くらいのものを
頼む。
一番安いメニューにすれば良いのに、まだまだ修行が
足らない自分を実感するとき。

それで、肝心の鰻だが、店の外見に似合わずちゃんと
作ってるようだ。
焼きから始まって蒸しと、30分以上かかる。
ひょっとして、漫画はそのためか。
こちらは、久しぶりにスポーツ新聞を熟読する。
鰻の到着。
たれの甘さは適度、鰻も臭みは無い。
焼き加減もまあまあ。
東京の老舗の鰻に比べると、焼き蒸しの丁寧さなど、
洗練度は足らないが、田舎にしては良いほうではない
か、と思ったが、ここで重要なことに気付いた。
自分は、わざわざこんな所まで来るほど鰻が好きだっ
たのかと。

確かに、昔は好きな和食ベスト3だった。
因みに他の2つは、鮨と蕎麦。
しかし、他の2つは相変わらずその地位を保っている
が、鰻に関してはどうだろう。
一年を通して、食べたいと思う時もあまりないし、実
際食べるのも年に一度あるかないかだ。
結局、なんとなくもやもやした気持ちを抱えながら、
しょぼい店を後にしたのだった。


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鰻3

2006年09月10日 | 食べ物


サーモンは、脂以前にどうやら問題があるらしいが、
当然のこと、この藤原組長似のすし屋には置いてない。
サーモンが置いてあるかないかというのは、すし屋の
判定基準として使えるかもしれない。
しかし、残念なお知らせが。
子供たちの一番好きなすしネタは、このサーモンであ
る。
以前テレビで報じていた。
常に一位かどうかは分からないが、好きなネタである
ことは、多分間違いないだろう。
大丈夫か。
くるくる寿司の威力は計り知れない。

で、主人は嘆息する。
「あんなものに慣れちゃうから、本物なんか分かるは
ずないよ」
「近海ものも少なくなったし、もうやめちゃおうかな」
「折角出したって、客がわかんねーんだから」(この
辺になると大分エンジンがかかってっくる)
変に自分なりの基準を持つと、こういう事態に追いや
られる。
マーケティングに沿ったコンビに的味が、この先更に
勢力を増すのは目に見えている。
「はああ」と嘆息のシンクロを主人として、大体お開
きとなる。

まあ、こんな藤原組長似の主人が、鰻の話をしている
時にある店を紹介したのだった。
おおー、いよいよ本丸に近づいてきた。
ここでK(城の主人公、カフカのkであると言われて
いる)は考えた。
「このまま、鰻に行って良いものだろうか」
「先ほどの部屋では、角を曲がったところにそれがあ
ると言われた」
「果たしてそれが、私が目指してるそれである保証は
どこにもない」
角を曲がったKは、思ってた以上に伸びている廊下に
軽い眩暈を覚えた。
紋切り型カフカ的迷宮。

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鰻2

2006年09月09日 | Weblog
すし屋の主人との「競輪話」は、いつでも盛り上がる
話題であるのだが、肝心の鮨はどうなのかという、す
し屋にとっては最も大事な話があるわけだ。
これに関しては、でかさを売りの初期から年を経るご
とに洗練され、今は適度なシャリに適度なネタとバラ
ンスのよい状態になっている。

そして、個人的に好にきなネタの、コハダ、アナゴ、ゲ
ソ、昆布締めの白身、たまにある煮イカなど、充分に
旨い物を出してくれる。
それに、かんぴょうなどの地味なネタもおろそかにし
ない。
今は、トロトロトロと、うるさいくらいにマグロのト
ロだが、そんなものより旨いネタは五万(確認してな
いが)とある。
例えば鰯なんかも、ちょっと締めれば(締めは好みだ
から)絶対トロにも負けない。
鯖もしかり。
最悪なのは、サーモンのトロ。
養殖で脂まみれの魚は、ハマチで懲りたのではないか。
マグロも最近では蓄養だし、どこまで脂が好きなのか。

願うのは、資源が枯渇しないことのみ。
一時、鰯が獲れなくなり高騰したが、あの時は本当に
心配した。
食べられなくなることではなく、海が死に向かってい
るのではないかと。
この点に関しては、森造りから始め、乱獲も含め本気
で関係者には考えてもらいたい。
「美しい日本」ってそういうことじゃないの、とまた
ベクトルがそっちの方向へ。

と、今日も話は鰻にたどり着かなかった。
なんだかカフカの「城」みたいでいいなあ。
鰻の周りを延々と歩き続け、気が付いたときには鰻の
存在も忘れている自分。


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2006年09月08日 | Weblog
というわけで(ここは大胆に省略)鰻を食べてきた。
この鰻屋は、甲府にあるすし屋の主人のお勧めなのだ
が、まず、何故信州から甲州の甲府のすし屋なのか、
という不思議を説明したい。

このすし屋は、元々は幹線沿いの、みかけはよくある
すし屋として営業していた。
当時から繁盛していて、今で言う「行列の出来る店」
だった。
何故受けていたかと言うと、ねたの鮮度は勿論のこと、
それ以上に客を魅了していたのが、そのねたの大きさ。
とにかくでかかった。
今だったら、そんなものを売りにしているところは絶
対行かないが、こちらが子供のころ(親に連れられて)
の話だ。
それだけで感動物だったのだ。
思えば素朴な時代だった。

で、店は順調に発展して、お決まりの改装拡張。
今だったら、そういう店は絶対行かないが(ちょっと
しつこいか)、当時は時代が。
更に客は入るようになり、主人は「うはうは」。
しかしここからが違っていた。

「従業員も雇い、確かにだいぶ儲かった」(ここから
は主人の独白)
「しかし、何故か心は満たされない」
「俺はこんなことをしたかったのだろうか」
「金儲けだけが目的だったのか」
「違う、鮨がすきなんだ」
という心の経緯があったかどうかは知らないが、ある
時、折角広げた店を縮小した。
従業員もなくし、自分だけで握るようにした。
理由は、目が行き届かなくなるから。
職人気質だね。
そんな主人の気質も含め、好きな店としてずっと何年
も通い続けることになったのだ。

今は、更に幹線から裏通りのようなところに移り、一
人で握り続けている。
構えも、一見だとちょっと入り辛いような、構え。
店先にビールの空き箱がおいてあるような店とは違っ
て、酔っ払いがふらっと入れるような雰囲気ではない。
しかし、店の雰囲気とは違って主人は(藤原組長に似
ている)、競輪好きだ。
ちょっと競輪に話をふると、もう止まらない。
「最近の競輪は分からない」から始まって、経験談を
交えつつ、いつもと同じような話が二時間ばかり続く。
普段は、そういう話を出来る相手もあまり来ないだろ
うから(競輪親父が来るような店ではないので)、ど
うしてもそうなってしまう。
今なら、「この前のオールスター競輪の武田、思い切
りが悪いよなあ」とかなんかで盛り上がることだろう。

と話は、ちっとも鰻に進まないが、今日はすし屋の主
人の話と言うことで。

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サッカー

2006年09月07日 | サッカー


昨日のイエメン戦、日本らしさ満載でした。
ゴール前の決定的なシュートチャンスを、全く惜しく
も無い、というレベルまで引き下げる技術。
今や、日本のお家芸と言っても良い。
はたまた、打つべき時に打たない、思い切りの悪さ。
押し込まれたときに、ばたばたするディフェンス。
もうこれは、体質としか言い様がない。
監督がどうのという問題ではない。

子供のころから、馴れ親しんだやり方というのは、一
朝一夕では改善されない。
これは、相当長い目で見ないと駄目かもしれない。
果たして、マスコミは我慢できるか。
我慢できるわけ無いなあ。
うるさい雑音との戦いが待っているオシムも大変だが、
プロとしての手腕には期待してますから。

そんな中、ヘラクレスの平山は解雇だと言う。
プロ意識の欠如が理由。
なんだかなあ。
期待してたのに。
結局、唯のオタクゲーム小僧だったのか。
前日本代表も、移動バスの中でゲームをやっていたの
が、一部では問題になっていたが、ゲームでリラック
ス前にやることをやれよ、と思う人は多い。
日本人が作ったゲームで、どんどん低能化する日本人。
どうにかならんとですか。

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秋の虫

2006年09月05日 | 生き物 自然


いよいよ、エンマコオロギの季節となった。
それにしても、蝉で夏を感じ、コオロギで秋と、つく
づく虫好きである。
人によっては、それが植物だったりするわけだが、ど
うも虫好きの方が、「オタク」系の称号を与えられが
ちだ。
まあ、それはどうでも良いが、最近富に感じる虫を毛
嫌いする傾向には、ちょっと異議を唱えたい。

気味の悪いもの、異物を排除しようという差別の構造
が、底流にあるのではないかと感じるからだ(これは
応用可能な便利なフレーズです)。
最初から異物と認定されると、それが当然なものとの
同意が形成され、集団の常識として固定化され、一つ
の文化的枠組みの中にそういった価値観が組み込まれ
る。
そうなると、その一員として穏やかに暮らすためには、
周りと同じような身振りが自然と出来るようになるこ
とが肝要。
違う感性、違う意見を持つと、その集団の中では居心
地が悪くなる。
虫に関しても、徐々にその傾向が強くなってきている。
虫嫌いが、常識的振る舞い或いはセレブ的振る舞いに
なってきている。
これが虫程度で収まるなら、確かに「オタク」の遠吠
えで済むが、虫が人に変わる危険性があることを、実
は危惧するのだ。
虫一つで、その傾向が見て取れるのだ(ってちょっと
強引か)。

例えば、加藤元幹事長宅の放火。
思想的には明確な次期総理(その他は無さそう、にど
うしても見えるし、取り巻きの若手がまたオームの信
者のような、思考停止)。
彼を喜ぶ勢力が勢いをつけると、こういう事態も増え
るよの良い例だ。
異物を排除の原理が常識化するのが恐いのだ。
この点に関して、あまりに鈍感なのではないだろうか。
意見をはっきり言うというのが受けてるらしいが、そ
れは、単なる思い込みが強く思慮が欠けてる故のこと、
とも言えるのだ。

どうも、最近、批判の矛先があの次期総理に向かって
いく。
ベクトルが。
無理やりの嫌いもあるが、一番は、あのおばさん顔が
どうしても好きになれないから(この点に関しては、
大騒ぎしているおばさんファンと同程度です、はい)。
大衆演劇のスターにしか見えないのだ(ここはちょっ
と意味深長)。
しかし、もうそろそろこの話題はいいかな。
秋の虫から、秋の総裁か...。
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カレー

2006年09月04日 | 食べ物


蓼科で、夏メニューのカレーでやられたからというわ
けでは無いが、再びカレーを食べに行った。
どうも短期カレーモードに入ったようだ。
今回は、違う店。
しかも、間違っても夏メニューなど置いてあるところ
ではない。
元々、前回のヴェジタリアンカレー屋より安いところ
で、その点では何の心配も要らないのだ。

当初は、自転車で行って昼間からビールでも飲んで(
今は自転車でも飲酒運転になるから要注意なのだが)
と、魅力的な計画を立てていたのだが、走り出したら
雨が降ってきてUターン。
結局、車で。
今回の店も、蓼科と同じように現地の人間が調理担当
する、所謂本場スタイル。
カレーに限らず、外国料理は、出来る限り本場スタイル、
変に日本風にしてないものを食したい。
その地の、長い歴史の上で出来上がった料理こそが魅
力的なのだから。

インド人或いはネパール人或いはパキスタン人或いは
バングラデシュ人、はたまたスリランカ人と思われる
店の人に案内されて料理を頼む。
ナンとカレー二種、そしてタンドリーチキン、インド
風ソーセージ野菜サラダ、それに飲み物が付いて13
00円、お安い。
しかも、基本的に食べ放題、といっても巨大ナン一つ
で充分すぎて、とてもお変わりなど出来ない(現実的
には)。

味の方はと言うと、ナンに関しては、こちらの方がで
かいが蓼科の勝ち。
どうも小麦そのものが違うように感じる。
こちらのでかい方は、普通の薄力粉の香り。
甘みも強すぎ。
焼き方も、ふわふわしてるがぱりっと感が乏しい。
それではカレーの味は。
これも蓼科の勝ち。
ここのは、スパイシーさが全然足らない。
トマトの味が強すぎ(まろやかにするためか)。
辛さも殆どない。
ひょっとして日本人ようにアレンジしてしまったのだ
ろうか。
そうだとしたら、残念!
ただ、インド風ソーセージは旨い。
本場を連想させる味だ(想像)。
ビールに合いそう。

総じて、あまり旨くは無いが、単品でいけるものもあ
るし、安いし、現地の人には頑張ってほしいしで、こ
の先何度も行くことにはなるでしょう。
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ノイシュバンシュタイン城

2006年09月03日 | Weblog
「美の巨人たち」で「ノイシュバンシュタイン城」を
取り上げていた。
これは、バイエルンの狂王と言われたルートヴィッヒ
2世の作った城で、白鳥城と呼ばれ、ディズニーランド
の城(どれのことか見たこと無いから知らないが)の
モデルとなったことでも有名だ(と思う)。
この、白鳥城の名前は、てっきり城の姿から来てるの
かと思ってたが、ワーグナーの「ローエングリン」が出
典だったとは知らなかった。
そういえば、今現在FMでワーグナーがかかっている。
これは「今日の偶然日記」(架空)に書かなくては。

ルートヴィッヒ2世に関しては、映画「ルートヴィッヒ
神々の黄昏」を見れば、よく分かる。
その、城道楽の蕩尽ぶりとか、耽美的な世界で陶酔す
る姿とか。
監督のヴィスコンティは、自らも貴族の出で(確か)、
この手の映画では(他にも「山猫」とか)そのリアリティ
ーぶりが半端ではない。
その、華麗な世界を見るだけでも一見の価値がある。
それに加えて退廃味も。

ルートヴィッヒ2世も男色系だったらしいが、ヴィスコ
ンティ自身もそうだったような。
主演のヘルムート.バーガーともそういう噂があった
りなかったり。
そんな監督自身の背景もあり、退廃的な世界もいやに
リアリティーがある。
独特な美の世界は、その手の感覚があってこそ表現さ
れたのではないか、とついつい想像したくなる。

後、映画にはワーグナーも登場するのだが、このワー
グナー役の役者が、ワーグナーの肖像画にそっくり。
これも必見だ。
ロミーシュナイダーも美しかった。
問題は、この映画4時間近くの長編ということだ。
劇的なものを求める人には、退屈極まりない映画なの
だ。
それに、レンタルアイテムとしてあるかどうか。
しかし、もし、「ノイシュバンシュタイン城」に興味があ
るのなら、絶対に見るべき映画である、これは、間違い
ない。
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サッカー

2006年09月02日 | サッカー


巷は「ハンカチ王子」で大賑わいだが、その影でひっ
そりと海外移籍が、実は、活発に行われていた。
鹿島の小笠原が、セリエAのメッシーナ。
グルノーブルの大黒は、同じくセリエAのトリノ。
イギリスのウエストブロミッジの稲本は、トルコのガ
ラタサライと。

これがもし、WCの前の出来事だったら、それこそ大
騒ぎだったと思うが、今の旬はなんと言っても「ハン
カチ王子」だから。
それと、なんせWCがあんな結果だったし、しかも移
籍するのがその張本人みたいなものだし。
しかし、正直なところ、この程度の報道が適度ではな
いかと思う。
結局、マスコミの適度な報道というのは、マスコミが
こぞって注目してない時でないと望めない。
そんな情けない事実は事実としてマスコミは、「ハン
カチ王子」なんかを追うより、次期総理(決まってる
ところがなんとも)の、小泉並みの中身の無さなどを
追ってもらいたいと、個人的には強く思う。
なんせ、同じヨンさま路線のミーハー人気だけで総理
になれてしまう世の中なんだから。

で、新しいクラブに入った選手はどうなのかという一
番重要な問題があるのだが、今までは、過度の期待で、
結果裏切られのパターンが多かった。
しかも、ジャパンマネーが目当ての移籍とか、実力以
外の要素が多すぎ。
今回も、そんな臭いがするが、結果が全ての世界だか
ら、もし主力メンバーとして活躍することにでもなっ
たら、その時は選手の成長を素直に喜べば良い。
選手の実力を見ることを主眼に。
その結果、代表メンバーに選ばれるなら、誰も文句は
言わないだろう。
前任者のような、海外クラブにいるだけでブランド扱
いは、間違っても無いだろうから。
コメント

山椒大夫

2006年09月01日 | 映画


「雨月物語」に続いて「山椒大夫」も、結局見てしま
った。
これを見るのも二度目。
「安寿と厨子王」と言った方が判りやすいと思うが、
溝口健二は、有名な原作ものを映画化するのが好きな
のか、どうもその手が多い。
だからか、話はスムーズに展開して、破綻することは
ない。
つまり、安心して見られる。
これは、良い点でもあるが、反面詰まらなさの要因に
もなりうるものである。

「山椒大夫」は、そんな溝口作品の中でも、かなりま
とまってる作品ではないだろうか。
印象としては、調和の美。
ほぼ同じ時期に撮った「雨月物語]「近松物語」と合わ
せ、この三つは、どれも完成度が高く、隅々まで計算
された物の配置とか、映像に隙を感じさせないのが特
徴。
つまり、どれもよく出来ていて、良い作品だと思う。

これらの作品は、話の筋を知った上で見るという点で
は、歌舞伎(見たこと無いが想像)を見るのに近いか
もしれない。
見るほうとしては、いかに美しく表現してくれるのか、
そんなところに見所を置くという、その見方。
興味がある人にとっては、たまらないが、無い人にと
っては退屈そのもの。
溝口の作品は、その点がはっきり分かれそうな気がす
る。

で、良い作品だとは思うが、好きかと言われると、嫌
いではないという曖昧な所に落ち着く。
個人的には、まとまった良く出来た作品より、破綻が
運動を喚起するような作品が好きなので(この部分無
理やり理屈をつけました)。
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