紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

昨日は母の施設へ

2012-08-12 06:58:33 | 22・両親のこと
昨日はそんなに日差しは強くなかったが、施設に着いたら、汗が吹き出した。
湿気が多かったようだ。

気温も高かったのか、いつもは庭を散歩する人たちもいるが、昨日はほとんど見られなかった。




母が食事の時にいって、途中から、私が食べさせたりしたが、けっこうちゃんと食べるのに安心した。
8割くらいは食べていた。

途中で、下の階にいた時の担当の介護士さんがきたので、私があいさつしたら、母に話しかけてくれた。
母は嬉しかったようで、笑っていた。
母は言葉はあまり出ないが、少しずつでも、よくなる兆候が見られると嬉しい。





母の施設の納涼会

2012-08-06 06:49:18 | 22・両親のこと
昨日は、母の施設で納涼会があったので、姉と待ち合わせて行った。

自転車で行くつもりが、あまりに暑いこの頃なので、森のテラスで姉と待ち合わせ、そこから車に乗せてもらった。

自転車で行く途中、ほんとうに気持のいい夏空が広がっていた。こういう空を見ると、夏は大好きだと思う。
(野川の橋から)







施設では、母はだいぶ言葉が出るようになっていたので、驚いた。介護の人たちとも会話をしていた。
姉はうたどんさん手作りの、とてもステキなネックレスをしていた。




昨日は近くの太鼓グループと、盆踊りの人たちが来てくれた。母は疲れたのか、途中から寝ていた。







帰りがけに、別の階にいる、昔近所に住んでいた人の息子さんにあいさつ。
今年の久我山神社の秋祭りは、10月6日、7日なので、ぜひいらっしゃいと誘ってもらう。
お祭りの役員をしているそうだ。
私の小学校の同級生も2人役員(1人はもう委員長か?)をしているので、できれば誰か誘って行ってみたいけど。
去年も誘ってもらったのに、行きそびれた。








昨日は母の施設へ

2012-07-22 07:46:28 | 22・両親のこと
昨日は、姉と藍屋でランチを一緒にした。
私は自転車で、姉は車で行ったのだけど、その最中大雨が降ってきたので、自転車はそこにおいたまま、車に乗せてもらい、母の施設にいった。

母は眠そうにしていたけれど、話しかけると、ちゃんと答えも返るし、かなり元気になってきたようす。
おやつの、マンゴウプリンも完食して、紅茶もまあまあ飲んでいた。

母の部屋が二階になったので、窓からみえる景色が変わった。
雨にあらわれて木々の緑がきれいだった。
携帯で撮ってみた。




7月8日は母のところへ

2012-07-11 06:30:23 | 22・両親のこと
書かないでいるうちに、日にちが過ぎてしまうので、7月8日(日)のことを書こう。

その日は、姉も行こうとしていたということで、一緒に待ち合わせて母の施設に行った。

母はちょうど食事の最中だった。
担当の介護士さん(キムタクに似た人。姉は、なんとかというグループの誰かに似ているといった ← これじゃあ、誰なのかさっぱりわからないね))に食事介助をしてもらっていた。
驚いたのは、母がシリコンのスプーンを手に持って、こぼしつつも、自分で食べていたこと。
私たちが着いた時には、8割り方食べ終わっていたのだけど、少し残ったごはんを、ゆっくりと食べていた。
こちらの施設に移ってから、驚くべきほどの回復力である。
最後は介護士さんに食べさせてもらっていたが、とてもプロで、食べさせ方のコツを私たちに教えてくれた。

食べさせながら、介護士さんから、アロマテラピーの説明を受ける。
母が好きな香り、嫌いな香りは何か聞かれる。
覚えているのは、母がキンモクセイの花の咲く頃は、においがきつくてね、といっていたこと。
あとは、わからないので、ヒノキの香りだとか、レモン、ライムの香りが好きかも。と、母の好みではなく、自分たちの好みをいった。

この日は、梅雨時にもかかわらず、まあまあの天気なので、ご家族の人と車椅子で散歩している人も見られた。
母も梅雨明け頃には外に行けると、介護士さんにいわれた。







リコーダーアンサンブル発表会

2012-07-02 16:56:40 | 22・両親のこと
昨日は、午後から発表会に行くので、初めて母の施設に午前中にいった。
母は、いった時は穏やかに寝ていたが、声をかけるとすぐに起きた。




食事時ではないので、何をしてあげようかと考えて、手をさすってあげることにした。

母は、今回の入院の時から、右腕の曲げ伸ばしをすると、力が入って、こわばるようになった。
それで、私の指をにぎるようにいうと、とても力を入れて、ふるえる感じでにぎる。
左手は、やわらかくにぎることができる。

右手もゆるくにぎれるように、グーパーさせたり、ちょっと腕を動かしたりしていると、少しこわばりが軽くなった感じがした。
寝たきりなので、マッサージや、軽く足を動かしてあげるといいかなと思った。


昼前に施設を出て、立川に移動。

11:00~4:30まで、友人の良流娯さんや、他のグループの「リコーダーアンサンブル」の発表会があった。
全部で16グループと、ゲストの方々の演奏を、途中から聴いた。

良流娯さんたちのグループ「ミルクティー」
曲目は、組曲「サーカス」   きれいなフィリスが    少年時代




初めて六重奏に挑戦したということだったけど、ワンポイントで、オレンジのスカーフをつけて、みな楽しそうに演奏し、前回より上手になっていた。
そして、趣味を同じくする仲間が和気藹々として、とてもいい雰囲気だった。これからも、一緒に高い目標をめざして行くのだろう。

リコーダーのアンサンブル演奏を聴くと、音の奥深さに感動する。

最後は、先生の松浦孝成さん他、プロのゲストの演奏。やはりプロですね。聴き惚れました。




そして、全員合奏は、迫力があった。




とてもすてきなコンサートだった。

昨日は母の施設へ

2012-06-27 16:57:45 | 22・両親のこと
昨日は晴れていたので、自転車で母の施設へいったも。けれど、いろいろな手続きがあって、母のところへはほんの少ししか顔を出せなかった。




退院したので、保険の請求をした。
基本、入院した時の保険請求は、本人がすることになっているらしい。でも、そんなことは無理なので、私がすることにした。
そのために、たくさんの書類が必要になった。

本人がするなら、入院の証明書や本人の証明書などがあればいいらしい。
でも、母とは名前が違う私が請求するとなると、私の戸籍抄本、母の戸籍謄本両方ないと、私が次女だという証明ができないそうだ。

まあ、そんなこんなの書類を整えて、近くの郵便局にいったのだけど、着いてから、1時間もかかって、やっと請求が終わった。そのうち、母の口座に、入院保険金が振り込まれることになる。

母は、介護士さんの話しによると(ちょっとキムタクに似た青年)、自分でスプーンを持って、食事をしているそうだ。
少し前は、食べさせてあげても、口をあけずに食べなかったことを考えると、よくここまで回復したものだと思う。




午後は広間でクイズなどをやっていた。






母が退院

2012-06-15 22:22:52 | 22・両親のこと
2週間前に退院する予定が、その日熱がでて、入院が長引いていた母が、今日ようやく退院した。

2週間前と同じに、病院へのあいさつ、施設へのあいさつに伺った。

最初いった時にはとまどっていたようすの母も、姉と私がしばらくいると、少しリラックスしたようであった。

今日もまた、たくさんの方にお会いし、このY会には、父の時から10年以上もお世話になったことを、あらためて感じた。
それにしても、母が10年ほど(もっとか)お世話になった内科のI垣先生が、今年の春に体調を崩し、亡くなられたのには心底驚いた。
享年66才。母を最期までみてくださるものと思っていた。
付き添いの私たちにはこわかったが、とても患者思いのお医者さまで、ほんとうにいろいろと話しを聞いてくださる先生だった。




今日のカモたち。やはり、2羽しかいない。




今日は母の病院へ

2012-06-10 16:01:41 | 22・両親のこと
前回、退院しそびれた母のところに、久しぶりでいった。
私も体調が悪く、もしうつるような病気だと困るので、なおってから、3日以上たつまでは、行くのをやめていた。

母は、退院できなかったが、熱もすぐに下がって、肺炎ではなかったようである。
今日も、点滴をしていたが、輸液で水分補給などをしていた。

わりと元気で、話しかけると、すこしは答えてくれた。

前回看護師さんから、食事介助はしないでくださいといわれたので、食事時間をはずしていった。
足や手をマッサージしてあげて、そう長居はせずに帰ってきた。

東京は、昨日梅雨入りした。アジサイが目立つ庭になっていた。



そして、中庭の池には、なんとカモの赤ちゃんが生まれていた。5月14日に生まれたそうである。

今年は、中庭には出られないので、ガラス越しにしか写真が撮れなかった。
10羽以上生まれたらしいが、2羽しか見あたらなかった。







帰り際にまた見に行ったら、ヒナだけ2羽寄り添っていた。今年の母カモは、ヒナたちだけにするなんて、ちょっと自覚が足りないかもしれない。



昨日は母の施設と病院へ

2012-05-31 14:27:15 | 22・両親のこと
母はあまり食事はすすまないものの、昨日退院するとの連絡をもらった。
退院した後は、今までの施設にもどるのだけど、身体介護が必要になったので、違う階でお世話になることになった。

それで、お世話になった病院へのあいさつ、今までの施設へのあいさつ、そして、今後お世話になる施設へのあいさつをしに、昨日は姉と一緒にいった。

ところが、退院して、次の施設にいき、バイタルなど測ったところ、また熱があることがわかって、病院に逆戻り。
またしばらく入院することになった。

状況はなかなか厳しいものの、どちらにいっても、みなさん温かい言葉をかけてくださって、ほんとうにありがたいことだ。

父がお世話になった介護士さんやら、たくさんの人に昨日はお会いした。
病院に戻ったところで、高校時代の友人のT・しょうちゃんにもバッタリあった。
いつ以来でしょうか。5-6年ぶりかも。母上が入院されているということだった。

今年Y会では、バラの花が一気に咲いたような気がする。
今は見頃。母も一緒に見に行けるとよかったけど。










そして、今日は、体調がイマイチの娘と心ちゃんが、家に来た。
赤ん坊がいて、体調を崩すと、赤ん坊の世話はしなくてはならないので、なかなかよくならない。
2-3日ゆっくりして、体調を万全にしてから、家に帰るといいね。


今日は母の病院へ

2012-05-19 17:47:27 | 22・両親のこと
今日はすばらしくいい天気で、自転車日より。
自転車に乗って、母の病院にいった。
5月のこの時期は、Y会の庭は、バラの花が咲き乱れて、ほんとうに心が浮き立つ。




最近は、母の具合もあまりよくなく、会いに行くのも心が重いことが多いが、一瞬バラの花の美しさに心が慰められる。







そして、今日は私が、食事介助をしたが、最初にむせてしまい、びびってしまった。
あまり量を食べさせられないでいると、若い看護師さんが来て、もっとちゃんと食べさせてくれないと困ります。
かわってください、といわれた。

そうしたところ、看護師さんは、すごい勢いで、リズムよく食べさせ始めた。
私だと、めったに口も開いてくれないのに、不思議である。
私が1時間かけても、ほんの数口しか食べさせられなかったごはんの器が、5分くらいで空っぽになった。
プロだなあと、感心した。

主治医のO前先生にも、初めてお会いした。
顔を合わせるなり 「この間お話しした・・・・についてですが。」 といわれ、
「???」 であったが、すぐに姉と間違えているのに気づいた。
「はい。姉から聞いております。」 といったところ、
「あ~、お姉さん?・・。」 と、先生も私が妹の方であることに気づいたようであった。