紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

中学時代の英語教師

2006-05-12 11:13:08 | 15・心に残ること
私は、杉並区にある西宮中学という学校に通っていた。もう今からウン十年(?)も前のことになるのだけど。
そこでの3年間、2人のユニークな名物教師(?)に英語を教わった。

1人はブルイン。もう1人は吹氏。
どのようにユニークなのかといえば、その3年間、授業中も、先生のことを、先生を付けて呼んだことがない。
いつでも、ブルイン、吹氏。ニックネームで呼んでいたのだ。その頃は、当たり前だったけれど、かなり変わっているということに、だいぶだってから気が付いた。

その中学の同期生に、有名人がいる。イッセイ尾形氏。
もう1ヶ月ほど前になるが、彼がスポニチ文化芸術大賞を受賞したそうである。
すばらしい! おめでとう!!

その授賞式の場で、演じたのが「英語教師」だという。
友人のYさんが送ってくれた新聞コピー(トップ写真)をみると、これはまさしく吹氏ではないか。
吹氏の写真をちょっと載せてみた。(西宮中学時代のもの)

そして、5年ほど前に、イッセイ尾形氏と桃井かおりさんの二人芝居を見に行った時に、一緒に写してもらった写真もちょっと載せてみよう。実際に会ってみると、昔の中学時代のまんま、という感じだった。



注)このBlog記事に載せてある記事、写真は急いで見てね! すぐにリンクをはずすかも。

21 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
昨日はすいませんでした (おけけ)
2006-05-12 11:31:02
疲れすぎて、夜九時には寝てしまいました。



 吹氏がこれを見てるといいねえ。
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おけけへ (紅蓮)
2006-05-12 12:07:39
これは、おそらく吹氏が見たら、怒られそうなので、そうしたら、ソッコーで削除と思っています。



最近風邪もはやっているみたいなので、身体を大事にしてください。早寝が一番!
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Unknown (トントン)
2006-05-12 13:53:15
吹さんモデル!見てみたい。



中学時代、休み時間、廊下で

「トン子(あの頃から、こう呼ばれていた)、妹が入ってきたか?」

「う~ん!」

「可愛い子じゃないか」

その日は、急いで帰って

「ねえねえ、吹さんが、あなたの事可愛いって、私の事なんか言っていた?」

「うん」

「なんだって?」

「トン子は、おもしろい!!」

私はひっくり返りそうだった!吹さんの、思い出。
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ブルイン (おけけ)
2006-05-12 18:09:44
吹さんの話ばかりだと、ブルインが天国で焼き餅やきそうだからブルインにも言及。



教室の中を歩き回りながら、机の上に時計など高価なものが置いてあると必ず聞きましたね。「Is not it yours?」

 自分のものであれば「No」と答えるのが正解なのだけれど、ひっかかると時計などを持っていってしまいましたね。

印象に残っているのは、ベレー帽をかぶってパイプをいつもくゆらせていたことです。



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トントンへ (紅蓮)
2006-05-12 18:26:28
チョー笑えた

コピーをくれたY・けめちゃんによると、吹氏も見たいといっているそうである。イッセイ尾形氏が演じているDVDなど、もしあるようなウワサを聞いたら、教えてね。
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おけけへ (紅蓮)
2006-05-12 18:30:05
そうね。ブルインが焼き餅やくわね。

でも、一説によると、イッセイ尾形氏はブルインも演じているそうだよ。

ブルインの授業は、もうこわすぎだった。ブルインが笑うところ見たことない。
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もう見ました (にのじ)
2006-05-12 23:07:48
ので、リンクはずしてもかまいませんよ(笑)。

中学時代の同級生とはびっくり。わたしも1回だけ、見に行ったことがあります、原宿でやったときの公演です。かれの人間観察力は、もしかしたら中学時代に培われたのでしょうか。
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みんなの記憶 (多美)
2006-05-13 01:20:44
すごいねえ、みんなよく覚えていますね。

ブルーイン氏(私は伸ばして発音してました。)は亡くなられたのですか。知りませんでした。ブルーインはとにかく怖かった。でもおかげさまで、英語の勉強必死にやったような気がします。吹氏は「しぼられ用」だったでしょうか、そんなプリントをどんどん作ってくれて、見事にのせられていっぱい勉強しちゃったなあ・・・ほんとに楽しかった日々でした。
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おっ! (紅蓮)
2006-05-13 06:33:28
にのじ教授に、ヤバイことしているの見つかっちゃったね。

正式にいえば、このBlogの3枚の写真・画像は、載せてはだめよね。



彼の洞察力は、どこで培われたのでしょうね? デビューするまでけっこう苦労したという話しも伝わっているし、その頃なのかもしれません。中学時代は、スポーツ少年でしたね。
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多美ちゃん (紅蓮)
2006-05-13 06:36:59
しぼられ用! なんとなつかしい名前。

あれは楽しい勉強だったね。吹氏の英語は、やる気のおきる英語だった。海外にいった時、みんなの通訳しようとしたら、発音悪くて、全然通じなかった話には笑ったけど。



ブルインは、62歳だったといったかな。吹氏がたまたま東京に出てきて、ブルインのお宅をたずねた時に、お留守で、ちょうどその頃、病院にいて亡くなったことを後で知ったといっていました。まだ若かったですね。
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ブルイン?吹貝? (久我山散人)
2006-06-01 11:20:52
始めまして、突如失礼します。実は仕事中に急にへんなギモンがわいて来まして・・・あの中学の時の英語の教師・・・ブルイン。えばっていたが、なんか食わせ者じゃなかったのか?って。ははは。



それで、急きょブルイン/英語/中学と検索いたしましたらここにぶつかった次第であります。あはは!吹貝!・・・おや?この写真は卒業アルバムじゃないかな。ん?ん?尾形?・・・ということでまた検索したらイッセー(イッセイではありません)氏とボクは誕生日が1週間違うだけ。びっくり。
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久我山散人さんへ (紅蓮)
2006-06-01 13:34:57
うわー、ビックリ。久我山とは、またずいぶんローカルな……。

コメントありがとうございます♪

ブルインに習ったということは、同じような世代の方でしょうか?



そうですか。そういえば、イッセーですか。一成さんなので、ついイッセイと書いてしまいました。

今度ともよろしくお願いいたします♪

私もBlogを見せて頂きますね。

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いまはっきりと思い出しました (久我山散人)
2006-06-01 21:05:33
紅蓮さんはボクが学校へいく途中の都営?住宅にお住まいでした。

赤い縁の眼鏡をかけたお人形みたいな少女でしたね。

小学校の文集に、「私は近視ですけれど、それにも良いところがあります。眼鏡をはずすと、周りが美しく見えます」と書いていましたね。

ボクはその文章を見てけっこう気に入って、読み返しては近視になってみたいな~と思ったものです。

・・・なかなか貴重なローカル写真!なつかしいです。
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久我山散人さんへ (紅蓮)
2006-06-01 21:41:44
もしやもしや、それを書いたのは姉のトントン(このBlogでもよく登場する)かもしれません。

私は、眼鏡をかけてなくて、姉は眼鏡をかけていました。

姉もきっとこのコメントを読むでしょう。

もしかしたら、お知り合いの方かもね。

Blogって面白いですね♪



それで、もしお時間がありましたら、右カテゴリーの「9,昔の風景」をクリックしてください。相当古いあの辺の写真をアップしています。

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写真拝見しました・・・ (久我山散人)
2006-06-01 22:07:11
すごいですねえ、これは貴重ですョ。

ボクの家は写真に写っていた銀蔵橋(旧地主の秦銀蔵さんがつくったという話)を渡った右側です。この写真で見ると左右の橋のたもとに家がないので、ボクの小学校1年ころのものですね。・・・ボクの同級生はMひろこさんですよ。
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久我山散人さんへ (紅蓮)
2006-06-01 22:23:37
うわー、ビックリ♪

銀蔵橋って、銀蔵さんが作ったんですか?!



そして、散人さんは、私と同級生なんですね? ビックリ♪ ビックリ♪

散人さんのBlogも見ましたけど、ミュージックが好きで、かなりその世界に詳しいんですね。

もしや、お名前は音に関係するかしら?
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しつこくてスミマセン (久我山散人)
2006-06-01 22:48:45
おかしいなあ。そうそう名前は音に関係ですよ!というかそのものじゃないかい!

・・・ん~なぜか今日の午前中、ブルインっていう名前を思い出して何だか腹がたった(笑)のでなにげなく検索してみたのです。

おかしいなあ、眼鏡かけていたのはお姉さんで、ボクの同級生は・・・紅蓮さん?・・・ではあの文集は?・・・小学校の熊谷先生とか重松先生とか・・・あと忘れた。

・・・あとMさんの家の前あたりにあった電柱にへんな木の支えがあってそこに2度ほど頭をぶつけたことがある。それからMさん家の前は米屋だった。写真のゴミ箱覚えているもん。

・・・悩みはつきない。・・・そういえばMひろこさんは眼鏡かけていなかったかもしれない。
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久我山散人さんへ (紅蓮)
2006-06-02 06:26:57
途中で寝てしまいました。あらためて、再びコメントを。

そうですか。音さんですね。よく覚えていますよ。小学校では、2-4年で確か同じクラスでしたね?

私は、眼鏡を小学生時代かけていませんでした。でも、ずいぶんはっきり覚えているんですね。文章を。



小学校5-6年生は熊谷先生のクラスだったんですか?

もしそうなら、



http://blog.goo.ne.jp/pko-miwa/e/539c9b9c10e206335cfe15b355d1c2d9



とか、



http://blog.goo.ne.jp/pko-miwa/e/6ba5c0bc7cbb3ba2fb146b3799ebaa91



は散人さんと同じクラスの人です。

そういえば、散人さんの家の近くに、芝山さん、奥原さんていましたよね。記憶がつぎつぎによみがえってきます。



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追伸 (紅蓮)
2006-06-02 06:28:04
↑の写真は、女性です。貴子さんといいます。
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おもしろい人形だったら・・私 (トントン)
2006-06-02 09:10:05
久我山散人さんが眼鏡の少女の件でお悩みのようなので・・姉登場!人形のようなという形容が無ければ、私です、と手を挙げるところなのですが・・・

どんな人形なのかしら・・・

で作文の件、そういえば、と柳行李を開けてみたのだけれど・・ない!宮崎先生の時のあれほどあった文集が。そちらにあるのでは?

二年前に、大笑いしながら読んだもののなかに、あったような・・花瓶になったり、何かになったつもりで書いている作文、近眼の姉になったつもりで・・・ありそうでしょ。

あの文集は素晴らしかった!

私も、久我山散人さん覚えています。

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トントンへ (紅蓮)
2006-06-02 15:11:17
人形といっても、いろいろあるよねえ。



文集はあるかもしれない。今度ゆっくり探してみます。花瓶にはなったけど、トントンにはならなかったような……。

甥、姪に笑われたあの作文。ふっふっふ。

昔のを読まれるのは恥ずかしいもんだす。
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