日常 第24話 日常の第二十四話 △+
麻衣ちゃんとか笹原とかよしの姉とか「やりたいことをする」人達が
出ると世界が凍り付きますよねえ、思考がいったんストップする。
そうすると「常識的な流れ」やかけあいがストップしちゃうから
ノリが悪くなるフシがある、脳みその右斜め奥で笑う笑い。
ただ、今回の笹原のように相手が「機械」だったりすると
情味が薄れて純粋な物理コメディとして見られて負担が少ないかも
花咲くいろは 第24話「ラスボスは四十万スイ」 △+
「ぼんぼり祭り」が喜翠荘(スイを喜ばせる為の荘)のけじめになるってんなら
喜翠荘の存続を望む従業員からすればそれに人員を割くのは抵抗があるよな
そういう状況なら「半従業員」みたいな立場の緒花にしかできないことってのが
あるんだろうねえ。
側面は緒花が固めるとして実際的には縁がどんだけぼんぼれるかに
かかっている面が大きい、彼も婚約を期に「一人前の男」への道を踏み出したわけで
そーやって考えると花いろって彼の成長物語的なとこがあったかもなあ
異国迷路のクロワーゼ The Animation
第11話 祈り Prière ○
異国迷路は一貫して「異文化・異者」との接触を描いていますよね
そのブレのなさは美質にまで達しているかと。
視聴しているときも安心して見られるというか入り込めるというか
「異質なモノ」を安心して見るってのは矛盾があるかもだけど。
多分、湯音以上にクロードの方が「異なるなにか」を受け入れるのに
戸惑いがあり、それは理想論ではいかぬ何かを彼が引き受けている
ってことなのかもしれない、そして現実に理想が届かぬからこそ
人は「祈る」のだろうね。
R-15 第10話「湯の町エレジー」 △!
自演☆乙 乙
どんなしょーもないアニメでも視るときはやっぱりちょっと期待してるわけで
それがお手軽にぶっ壊されるってのはどうしても不愉快ですよね
「こんな作品なんてクソくらえ!」って創作側が自身の身を切って
作品内でそれを描くのは感心はしないけどまあ最低限の創作者の礼儀ってもんでしょ
それをゲストさんにさせるってのは卑劣と言っていいかもです
反面教師的に言えばアニメーションで「声」ってのはあだやおろそかにはできないことと
大概つまんない作品でも最低限アニメーションであろうとして頑張ってるのだなあ
っていうのを思い出したことですかね。
ゆるゆり 第11話 「わたしたちのごらく部」 △+
先週の京子のはしゃぎぶりが記憶に新しいなら今回のしおらしさも
ギャップになってて効きがある。
あかりの出番が増えると「何か違う」って感じがするぐらいには
この娘はいじられてるねwちょっと特殊な愛され方ですね
子供の頃の「何か違う」から記憶喪失による「何か違う」まで
一連のはなしづくりの骨太さがたのもしいですね
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