意志のなかにいる

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キジノタイトルヲニュウリョクシテクダサイ (アニメ感想)

2014-03-28 19:53:23 | アニメの感想2014年 春








ディーふらぐ! 第12話 
このままだと友達永遠にゼロ人だよぉ とまとめ △++










俺がスキをつくる









なんちゅうか「遠慮」ってのがまるでない作品だったなあ
最終話で「子供の頃の幼なじみの思い出バナシ」とか平気で出してくる神経w
「出番」が欲しいなら脇役でも尺をとって語り続けるずぶとさ
「このハナシをしたいからこのキャラを動かして~」ていう算段がないから
視聴している側も展開が読みづらいことこの上ないね、というかすぐに諦めたw
スポーツで言うならドッジボール的な楽しさよな、攻撃を受けてもまだ愉しめるし
その攻撃は四方八方から滅茶苦茶にくるから「運動神経」にそれ程責任がいらない
そういうワケわからんけど楽しい!って感じがアニメーションという声と動作が
ついてますます勢いづいていたかとおもう。
わけても堅次君のツッコミは変幻自在の津田くんのとは違ってまっすぐで
それゆえに事態にブーストがかかっていく気持ちよさがあったね
気がおけない友達とバカ話をしている時のようなそんな時間だった
あーたのしかった















そにアニ -SUPER SONICO THE ANIMATION-
第12話 「ここにいまうs♪」 とまとmぇ △++










いぜん「そに子がハナシを主導してるのでなくまわりの人が引っ張ってる」って
感想を書いたのだけど、「スターレイン」の回のあたりからちょっと意見が変わりまして
「そに子からもらった元気を周りの人がおかえししてる」って画、なのかなってやつ
小鞠ちゃん言うところの「幸せスパイラル」の実践編というところ。
最終回はそのあたりを出し切ればよいという、そしてそれをやってもらいましたというとこ。
そに子ちゃんは大学生設定なんで高校生ほど無責任ではなく、かといって社会人ほどガチでなく
「幸福」を追求できていた気がするね、これはこれでなかなかない設定ではある
ある種「幸福」ってのを売りものにしている会社のマスコットとしては
ひとつの到達点かもしれないね、そしてそれを最も喜んでいるのはそに子が
ただのニトロ+のいちマスコットだったころからごひいきにしていた諸兄のかたがた
なんじゃなかろうかと、その人達もきっと視聴していて「幸福」だったに違いないとおもう















東京レイヴンズ 
第24話  to The DarkSky -魂呼(たまよばい)- とまとめ △+









あれだよね東レのハナシを動かしているのは「喪失」ということなのね
それが「北斗」であったり「夏目」であったりあるいは皆さん様々に
何かを「失っている」ワケで、一方で「泰山夫君祭」とか「式神」とかに
よって「死者」が甦る手段があるわけで、それは「ゾンビ」とは違う意味合いをもっていて
その極めて当邦的な死生観が「陰陽道」をとおして描かれていたかと。
最初の「死生観」が曖昧なのだからその物語の主人公まわりは未熟者で曖昧で
あるのが相応しく、対して「技」に通じた大人達は様々に「できる」わけで
そのあたりの対比はしっかり描かれていたかとおもう。
ラノベ的に「超常」の力を持つモノ達がおそらくその社会にいるであろう
「普通の人々」達のことなんてこれっぱかしも考えずにやりたい放題やってるのも
まあそこは若人らしく「視野狭窄」っちゅうことである程度は納得がいくし
そういう我が儘なふるまいが実にジュブナイルらしく、苦くて、瑞々しかった
何か変な「安全結界」貼ってるハナシばっかりの中で15年ぐらい前の
「電撃文庫」的なそういう懐かしいニオイのするハナシだった
この作品の原作は富士見だけどさ。














ウィッチクラフトワークス 
第12話 多華宮君とウィークエンド・後編 とまとめ △+











あれよね、多華宮君が守ろうとした「命」って作中では
あんまし描かれなかった「ふつうの人々」や「街」であって
火々里さんの命ととうてい釣り合いがとれているとは思わないのよね
いや、そういうことを選択できる人がいるってのも分かるけど
そんなに「安全結界」が大事か、ともおもう
このおはなしは世間に蔓延しているそういう「不死身」とか「謎パワー」とかを
ぐいぐい多華宮君に押しつけてその反応を愉しむようなそういうおはなしなのね
そういう風にすることによってそれがどれぐらいはた迷惑でいかがわしいものかが
分かるしかけになっている、そしてそれに伴う破壊行為はまあ存分に描かれていたかと
そしてそれが「安全結界」によってそれこそ「魔法」のように元に復元するかも一緒にな
それがアニメーションとして可能になったのはPCによる製作技術の向上があるからで
それはモノの破壊と再生を実にインスタントに行えるワケで
まあ「時代」に即した作品だったんだろうと思う
火々里さんは曖昧な「感情」をもたず、「破壊」と「再生」を行使する
そういう現代的な化身だったのだと思う、「ヒロイン」と「ヒーロー」の枠すら
破壊した彼女はまさしく「炎の魔女」に相応しかったかと。















銀の匙 Silver Spoon(第2期)
第11話  何度でも とまとめ △++










「一度でも失敗しちゃ駄目なのかよ!」ってのはここのとこの
当邦のメンタリティをそのままに現しているかのようですね
みんな口では「失敗を畏れずチャレンジしろ」っていうけど
社会のつくりが失敗者に実に厳しいのだから若人はそれが嘘だとすぐ気がつく
八軒の父親はまだ嘘を言ってないだけマシなんかもしれないね
当作品はそういうある種の「反社会的」な主張を「農業」を通して実にたくましく説得
しているわけで、最近では流行ではない「メッセージ性のある作品」ってことになるね
と、言っても掲示板でデカイ態度で主張することとはまるで意味が違っていて
強力に構築されたひとつの世界観の中で導出されているのだから、芯が違う。
「たかが漫画」を超えて「反骨の精神」をこの作品は有しているとおもう
そして漫画が「娯楽」を超えて「精神の涵養」の領域に達することができるのだ、と
この「巨人」も「魔法」も全然出ない作品は力強く応えているとおもう
ま、こっちはアニメーションだけど、「マルチメディア化」するだけで
その価値はあったかと、あとは「実写」が残ってるね、あっちはアニメ以上に
「迎社会的」でかつ「娯楽志向」だから別の意味でハードルが高い
それすらも超えていくのか、興味はある。















サムライフラメンコ 第22話 サムライフラメンコ・ネイキッド!! とまとめ △(+)












一般に世の中に「ウケがいいこと」と「ノリが悪いこと」ってのがあって
人に何か作品(芸)を提示するのを生業にしている人達ってのはそれに敏感なわけだけど
「特撮のアニメ化」っていうおおよそ「ウケない」ことを最初に志向している時点で
まあ何がやりたいのか、察してしまえたのね。
最初は「特撮ドンキホーテばなし」だったからまだ素直に愉しめたのだけど
それを「ガチ」でやりだしたあたりからどんどんウソくさくなりだして
作品の質も多分それに併せてだらけていったような気がする。
まあ、アニメ的に「盛り上がっていく」ということは多分に「嘘」が混じるもので
それをどう騙していくかが腕の見せ所なはずだと思うのだけど
当作品はまあ実に愚直にそれをやったからねえ「どうだ、嘘臭いだろう!」って
向こう側が主張しているのだから、視聴者には手の施しようがないよ。
そうやって視聴者の信頼を失ってから「裸」とか持ち出してきても
時すでに遅しというか、「一回勝負の物語」の資格を失ったヒーローの
道化じみた抵抗だわなあ、という気がする。
頭でっかちな人はよく「劇」が1回勝負ってことを忘れて「劇」のつくり
そのものにメタ的なことを劇中に言及しだして駄目にしちゃうのだけど
まさしくそんな印象、まあ「普通のアニメに興味はありません」って人にはいいかもね
週30本も40本も作品がある中でそういう趣旨の作品が出てこない方が
「異常事態」なのかもしれん。
















コメント
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