探偵歌劇 ミルキィホームズ TD 第5話 キャロルの身代金 △+
5話目には遅すぎる
内容を見る限り件の人質事件を慮る必要はなさそうだけど
まあいらんトラブルを避けるってことか、作品の内容とは随分異なる大人の対応やなw
まああれですよね「天才子役」って単語の縛りの強さだよねえ
これって「子供のうちはいいけど大人になってそのことに苦しむ」っていう
教訓と凡百の大人になった世人のルサンチマンが入り交じった単語。
まあ、そのあたりの事情に先手を打って「大人になりたくない!」って
やるのが有為かとおもわれる、芸能関係の人だけあって「自作自演」もソツがない
なにより「ミルキィホームズ」が探偵として役に立っている!
とまあ非常にまっとうに見られる1話だったのだけど
「ミルキィホームズ」という作品としてはどうなんっていう一抹の違和感がないでもない
まあアホな人でも千に一つぐらいはマトモなことを言うっていうことかもなあ(ひでえ)
純潔のマリア 第7話 「BELLUM SE IPSUM ALET ―戦争は戦争を食う―」 △+
戦争でモブの人達が傷つけたり殺し合ったりすることと
エゼキエルがマリアを槍で刺し貫くことのどこに差異があるのか
いうところの「地(血)の行い」、欲望がめぐり権力と名誉という
人あらざるところのものに翻弄されることと
そういうものから逸脱したもの同士の抑止劇。
この「地の民」と「物語の人物」とのあらそいってそれこそ「聖書」の
頃から変わらない形式で、それが手塚治虫っていうすごい人を通して
当邦の「漫画」ってところに根付いて、そしてそれが「アニメーション」にまで
その息吹を伝えているってことなんだろう。
「地の行い」ってのは相手が沈黙するまで決着しないけど
「各個とした個人」ってのは相手も認めるに値する個であるならば
「許す」ことができるってことなんだろうとマリアとエゼキエルが
抱き合うシーンをみているとそう強く思えるね
そして芸術は人を「地の行い」から解放する一法であるということを
認識させられる、この作品をみてるとそういう気分になる
冴えない彼女の育てかた 第7話 「敵か味方か新キャラか」 △+
「作品を愛している」派と「作品を通して自己を愛でている」派か
確かにいるよね、作品よりも自分を語りたがる人って(自分もか)
多くの人達はそのあたりの境が曖昧なままに埋没しちゃうけど
そこは仮構のおはなしのキャラクターなんで、ばっちり提示してきた
その「妹キャラ」もハナシにからむのがはやい
メインヒロイン(英梨々)に関係してハナシをつくっているから
そういう「新キャラ」が無理なく導入できるわけだし
また英梨々のキャラクターも掘っていけるという物語の基本的な進め方ではある。
英梨々にとって「創作活動」っていうのは素直になれない自分のキモチを
解消するものって側面もあるんだろうね、「創作活動」ってのには
そういう自己を解放するたのしさも確かに存在する
ただ、そういうかりそめの満足感は真に求めるモノをいっそう浮き彫りにするという
撞着があることもまた真理。
幸腹グラフィティ 第8話 「ほくほく、はぷっ。」 ○
おべんとうはすきです。でもきりんさんはもっとすきです。
あれですよねここ最近増えた「グルメ漫画」って
一方的に「食べる側」なんですよね、「創る側」は意外と薄い。
対して、当作品は「食べる」だけでなく「創る」たのしみも提示しているのがよい
そしてそこには「成功」も「失敗」もあるわけでそういう決着主義的でない味わいがある。
町子さんのクラスメイツや椎名さんの反応と町子さんの笑顔の対比が
きりんに対する愛情の深さの違いってやつで、そういうやり方で
愛情が描けるんだなあって感心させられることしきり。
なんかね、何でも例えば「百合」とか「味」とかそういうものに
一方的によりかからないのがいいんですね、僕達カタギ(?)の
人達にも無理なく幸福をおすそ分けしてもらえるような
そういう美質が当作品にはあるとおもう。
艦隊これくしょん -艦これ- 第8話 「ホテルじゃありませんっ!」 ○
遅れてきた弩級
大和の「秘密主義」「高燃費」ってのを正面から打ち出してきた1話
ここに限らないけど金剛がハナシをリードしてスピードがついてるね
箸休め的なとこだったのだけどそれゆえに柔軟なハナシづくりが
できたのがよかったかと。併せて長門さんの秘密と魅力もオープンに
なっていろいろお得なかんじ。
駆逐艦3人娘が大和を曳航する姿が凛々しいね、欠点が美に変わる
吹雪が1~2話目で海上で苦労していたのがここのおはなしで報われてる
「大和型一番艦、大和です!」が出だしと〆で違う意味を持つのがきれい
当邦の「大和」に対する想いを充分に昇華した1話だったかと。