妹さえいればいい。 第12話 妹さえいればいい?
とまとめさえすればいい △+
しかしまあこんなにサックリと「ラノベ作家」になっていいのかしらん
ってのはあるねえ、なんならボクもなれそうな気がしてきたよw
伊月くん「妹さえいればいい」って以外はそんな変なことはしてないのよね
普通に小説が好きで、それなりに不幸で、そして「ラノベ的」に幸福で
異世界に召喚されたりするのに比べれば何とも
「普通」に「主人公」やってたかと、しかしそれに「本人」は「気づかない」
というかそれがないのことの「飢餓感」が丁度いい具合に
作家としてのモチベーションになっているのだから、しまつが悪い。
しかしこいつを「明るい自己言及モノ」としてかたつけてしまうのも乱暴だね
「ラノベ作家の日常」って題材はまだ消費期限がきていない素材だし
それの「まわしかた」の芸の成熟はさすがだね、おおむね
「たのしいラノベ」の判定は「オンナノコの脱がし方」と「食欲」と「だべり」
でできているんでそこに「商品」としての価値があるわけで
それだけだとアタマがふやけてくるから「コショウ」的に「悩み」が
振りかけられているわけだ、そういう「コスパ」のいい作品が当作品の
持ち味で、そして「それをやりきれさえすればいい」
という覚悟がこの作品の安定感に繋がっているとおもう。
クジラの子らは砂上に歌う
第12話 ここに生まれてよかった とまとめ △++
とかく「都市」とか「ヒト」がいっぱいいると余計なことばかりに
関わらなければならなくなるから思い切って「全滅」させるか
あるいは少なくともこうやって「移動」しつつ
数は制限しますってやらなきゃならない。
当作品はそれを「がっつり」真面目にやってる時点で半分ぐらいは成功していたね。
「砂」のセカイとそこにおよぐ「クジラ」に対する強力な想像力が
「残酷なセカイ」に住む住人たちの「生」を肯定させる領域にまで
達していたかとおもう。まあ、逆に言えばそんだけぼくたちは普段
生ぬるい「生」を生きていて、すり減った感覚で存在しているってことだ
それの行き着く先も当作品で示されていて「ヌース」に感情を食われた
何者かってことなんだろう。それだけ「安心です、大丈夫です」っちゅうのに
ヒトは弱くて、でも「それだけじゃない」ってここでちょっと想い出させてくれた
そのことに感謝したいとおもう。
Infini-T Force 第12話 I'LL FIND... とまとめ △++
「父と子のはなし」とかテーマとしてとっくに「絶滅」してしまったような
題材なのにそれが「タツノコ」の手によってそれこそ「火の鳥」のように
再生してしまったイリュージョンにまずは驚いておこうとおもう。
そのテーマもやっつけでなく勢揃いしたタツノコの敵味方が
それぞれテーマを巡っておおむね一貫して闘ってきたからこそ
胸にしっかりと残るものがあったかとおもうのね。
ケチをつけておくとボクはさいきんの「CG的処理」に
「ずしっとくるヤバさ」ってのはあんまり感じないので
エンタメ的にたのしんでたいがいおしまいなんだけど
当作品がそれを「越えよう」としてる部分があってそれは
「笑顔」っすよね、やっぱり。「笑(えみ)」の「笑顔」を見るための
再生と破壊の戦い、馬鹿馬鹿しいけど立派な理由だわな
というのも「CG」で「笑顔」を納得させるのは相当難しいチャレンジで
それはこれから「本物」にしていく「闘い」が続いていくわけで
そういう意味でも「多次元モノ」で「ヒロイン」がおかざりにならずに
その意義を見事に果たした作品としても記憶されるべきかとおもう。
アニメガタリズ 第12話 ミノア、カタルシス とマトメデス △+
「10話までで真面目なことは全部やってあとはオマケで好き放題」とか
どこの制作のパロディなんだw
まあ「好きなモノを「語る」ときの気分」ってやつですよね
無責任で、楽しいあれ。「真面目」にかたるのはもう立派なやつが
いくつもあるから、当作品はちょっと「軽め」にやってるのがもち味だ。
でもまあその「軽み」がいいとこにふれていた気もするね
「面白い要素全部ぶちこみ」で破綻していたり、アニメで現実のモチベーションを
取り戻したり、海外勢の今時のアニメの付き合い方とか
ネットでみんなで調べ物をして遊ぶとか、「さきっぽ」のほうだ
ってかんじで10話まではポップにたのしんでいたんだけど
問題は最後の2話だわな、「ちがうだろー」ってやつだw
「アニメのセカイが現実に干渉してきた」なんてボヘミアンラプソディーなネタ
おもしろくなるわけがないww
でもまあその最後のアタマの悪い無駄使いがちょっと懐かしい「熱」を
かんじないでもなかったかもしれないねえ。
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