「むざんやな甲の下のきりぎりす」
タイトルは奥の細道に収められた芭蕉の句「むざんやな甲の下のきりぎりす」から取った。
当時は「きりぎりす」は「こおろぎ」をさしていう言葉で現在の「キリギリス」は「はたおり」と呼んだようだ。
ここに登場する甲〈かぶと〉は敵将・斎藤実盛の首に涙した義仲が、多太神社に兜を奉納したという史実が句の背景にある。〈義仲=清和源氏の祖〉
また「むざんやな」は謡曲『実盛』の一節「あなむざんやな」を踏まえる。
再掲すると句意は「意に添わぬ戦い 」に巻き込まれて命を落とした実盛の首に涙した義仲は、小松市〈石川県〉多太神社に兜を奉納した。
〈実盛は老いを隠すために白髪を染めて出陣したと伝えられ、そのことが「むざんやな」であり涙を誘う因である〉
参考=多太神社の歴史は長く、武烈天皇5年(503年)の時に創建されたと伝えられています。 大鳥居の真っすぐ先に拝殿があります。 拝殿へ向かう参道沿いには、松尾芭蕉碑や斉藤実盛の銅像、八幡様の兜の像が祀られています。 この日は秋祭りで、拝殿の扉が開いて中を拝見する事が出来ました。〈一般人の投稿〉
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