ジュンが死んだら星になるからね。星になって、あなたのこと見守ってあげる。やきもち焼かないから、安心して結婚していいよ。
ほんとうは口惜しいけど、一生独身でいてなんていうの可哀そうだから我慢する・・・・。
じゃ、一足先に行くわね。
たぶん、100光年ぐらいに先に行っているから追いついてよ。
ジュンは空のどこかにいて、あなたのためのハンモックをつくっておくからね。あなたも星になったら、ジュンのところへ必ず来てね。
浩二の机には、ジュンからの手紙が載せてある。
ジュンが息をひきとる三ヶ月前の消印だ。
浩二とジュンは、中学生のとき知り合い、以来高校二年生まで仲良く付き合ってきた。
家が近いこともあって、互いの両親も公認の交際であった。
一歳違いの兄妹といった目で見ていたのか、あまり異性を意識した注意など親からされたことがなかった。
だから浩二の母親など二人を家に残したまま平気で出かけることもあったし、ジュンの方も「いってらっしゃい」と玄関口まで送り出し、帰ってくるまで何時間も宿題にかかりきりで時間を忘れているということもあった。
「ふわふわするものを捕まえたい」
あるときジュンが言った。「・・・・綿アメみたいで、ピンク色していて、なんだか楽しいことがいっぱい詰まっているもの」
「それって、なんだろう。・・・・目の前に置けるもの?」
浩二が確かめた。
「そうねえ、顔を近づけるとかすかに音楽が聴こえてきて、みんなが幸せな気分になれるもの。・・・・モノではなく、煙のようなものでもなく」
「わかんないなあ。・・・・わかんないけど、わかった。ぼくもジュンと一緒にさがしてやるよ」
「ありがとう」
幼い会話がしばらく続いた。
ジュンはキラキラした目で浩二を見上げた。
浩二はよく動くジュンの唇に見惚れていた。真ん中で丸く伸縮したり、端っこがぎゅっと締まったり、ぽってりとしたピンクの輪が独立した生き物のようにうごめいていたのだ。
(捕まえたい。ジュンの唇が奏でる音楽を採譜したい・・・・)
ふわふわして、みんなが幸せな気分になれるものをみつけるんだ。・・・・浩二はジュンの輝く表情を見つめながら、こころの奥でうなずくのだった。
だが、その願いは中断することになった。ジュンの体がとつぜん動かなくなったからだ。
原因不明の麻痺・・・・。腕や脚の筋肉だけでなく、目蓋や頬や口の周りにも強張りが広がっていった。
そして間もなく入院、一度見舞いに行ったほかは会わせてもらえない状態が続いていた。
ジュンの手紙が短く、熱っぽかったのは病気のせいだったのだ。
まだ指を動かせる時期だったのに、宇宙にただよう自分を空想していたのは、死を予感していたからだろうか。
いま思えば、ジュンの大好きだった星雲への思いが、送ってきた手紙にこめられていたような気がする。
ジュンはよく星雲図鑑を開いて、一つ一つの特徴を浩二に説明してくれた。
これは暗黒星雲、これは馬頭星雲・・・・と、浩二の後ろから身を乗り出して星雲の成り立ちまで解説してくれた。
浩二の肩に軽く手を置いて指さすとき、ジュンの頬が微かな体温を放射し浩二の頬に火照りを伝えてよこしたこともあった。
忘れられないのは、ジュンが一番気に入っていた『らせん状星雲』を見せてくれたときのことだ。
浩二と並んで見ていたのに、写真に魅入られたように急に黙りこくってしまったのだ。
「ジュン、ジュン・・・・」
不安になって、浩二が声をかけた。「ジュン、だいじょうぶ?」
「ああ、わたし、いま、この星雲に見つめられていたの」
「・・・・」
そうなんだ、たしかに宇宙の創造主みたいな目をしているよなあ。見つめていると逆に覗き込まれているような気がしてくる。
浩二は心の中でそう応えた。
「これって、まだ発見されて間のない星雲なのよ。2002年にハップル宇宙望遠鏡が偶然に撮影したんだって」
「えっ? そんなに最近?」
「そう、みずがめ座にある惑星状星雲なの。地球から650光年のところにあるんですって。こんなに近い星雲ってめずらしいのよ。わたし、なんだか行けそうな気がするの」
ジュンは楽しそうに目を輝かした。
それとも、あんなに明るかったのは、何か希望につながるものを見出していたのか。
それとも、それとも、ジュンは彼女に忍び寄ってくる病魔を払いのけようとして、明るさを装っていたのだろうか。
ジュンが死んで教会でお別れを告げた日、ジュンのお母さんが形見の品物を渡してくれた。
ちいさな宝石箱に、銀のくさりのロケットが入っていた。
「この写真、ジュンが高原の写真館で撮ったものよ。・・・・浩二さんにいつ渡そうか、迷っていたみたい」
母親の手から贈ることになって、悲しみが膨らんだのだろうか、ジュンのお母さんの目から涙があふれた。
「ありがとう。ぼく大事にします」
浩二は、学生服の胸に押し当てて誓いを立てるように言った。
「うれしいわ、ジュンも安心して天国に行けるでしょう」
天国・・・・と、浩二は頭の中で反芻した。
教会から帰ってきたばかりの浩二には、ジュンのお母さんのいう天国がなんとなく想像できた。
きらめく光と花園と、天使や神々がジュンを迎えてくれる様子を思い描いていたに違いない。
(だけど、ジュンが向かったのは別のところ?)
『らせん状星雲』の形が目に浮かんだ。
ほんとうに、あれは創造主の目のようだった。らんらんと光る黒目の部分は深いブルーで、じっと見ていると吸い込まれそうになる。
やや赤みがかった水晶体が、目頭と目尻の方向へ鋭角に伸び、30度の角度で地球を見下ろす。
ジュンはいま、星雲へ向かって光の速度で飛んでいる。あるいは、それ以上の速度で・・・・。
(わからない。わからない。人が死ぬってなんだろう?)
田舎の祖父が死んだとき、浩二は庭先をすり抜けていったお祖父ちゃんの後ろ姿を見た。
小学四年の夏休みのことだった。
山王の家で昼寝から覚めたばかりの浩二がぼんやりと築山を眺めていると、白っぽい浴衣姿の祖父が縁側近くの敷石の上を無言でスーッと通り過ぎていったのだ。
(おじいちゃん!)
声を掛けようとして、喉もとまで出かかったことばが絞られたように詰まった。
まだ眠りから覚めていなかったのか、それとも白日夢を見ていたのか。なにか変な気がして呆然と見送ったような記憶がある。
幼いころ、浩二はひと夏を母の実家の象潟で過ごしたことがある。
海の家の経営で忙しい伯母たちに代わって、浩二の相手をしてくれたのはもっぱら祖父であった。
外出のときはいつも麻の上下服にパナマ帽をかぶり、後ろ手に掌を重ねてぴんと背筋を伸ばして歩いた。
(じいじ、じいじ・・・・)
浩二がちょこちょこと追いかけるのを愉しむように、わざとゆっくり追いかけさせるのだ。
そのくせ、転んで泣き声をあげたりすると、慌てて駆け寄り浩二を抱き上げる。そのまま細身の体で頭上高く「たかい、たかい」を繰り返し、たちまち機嫌を直させる。
浩二はそのとき眼下に見たパナナ帽の反りを忘れない。帽子のつばではなく、木型によって頭頂部がつくり出すなだらかな湾曲についてだ。
円く盛り上がり緻密に折り曲げられた草紐による網目が、真夏の太陽光線を受けてかすかな虹色を反射していた。
いま思えば、宇宙のどこかにある星の浅いクレーターのようだ。乱反射する光のぶつかりが淡いミドリやオレンジを分離して、沈んだ影の上に束の間のプリズム効果を生み出していた。
祖父にはずいぶん可愛がられ、楽しい思い出ばかりが浮かんでくるが、真っ先に映像となって甦るのはパナマ帽の照り返しだった。
垢抜けた身なりと言葉遣いは商社員だった時代の名残りだろうが、築山の前を通り過ぎていった浴衣姿の祖父ももうひとつの現実だったとおもう。
死は、すべての終わりではなく、続きの始まりなのだ。
浩二の中では、「じいじ」も「ジュン」も遠ざかっていく途中にあって、ジュンの言うとおり遥か彼方で再び出合う運命なのかもしれなかった。
浩二は進級と同時にオカリナを買った。
ピアノよりもバイオリンよりも、ジュンが奏でる音楽に親和していると確信したからだ。
深夜、浩二は空を見上げながら『みずがめ座』の位置を探した。
十月も終わりに近い山王の空は珍しく澄んでいたが、星座が見えるほど澄み渡ってはいなかった。
宵の口、上弦の月が天に懸かり、ひときわ輝く金星と会話しながら空を移動していった。しかし、南の低い位置に描き出されるはずの星座を見出すことはできなかった。
浩二の部屋は二階にあったから、屋敷林に邪魔されたわけではない。どんなに晴れていても、東京の空に星座を描けるはずはないのだ。
まして、ジュンの向かった『らせん状星雲』の位置など判るはずもない。
それでも浩二は星座表で位置を確認し、ベランダに出て見当をつけた。ジュンの奏でる歌に耳を澄ますため眼を閉じた。
水瓶を担ぐ少年の「みずがめ」から零れた水が、蛇のようにうねって足元に流れ落ちる。
少年は、ワシに攫われオリンポスの山に連れ去られたトロイアの王子ガニメデス・・・・。水の行き着く先には、口を開けた『うお座』の魚が待ち構えている。
なんとロマンチックな空想なんだろう。目を閉じれば神話の登場人物が大空を駆けめぐる。
ジュンの歌に思いを集中していると、浩二の耳奥にかすかな調べが聴こえてきた。それは銀器かガラス器を触れ合わせるような透明な音で構成され、永遠に途切れることないヒビキの網をかぶせたような音楽だった。
(あ、そうだ・・・・)
浩二は心の中で手を拍った。
ジュンの歌には、オカリナよりもハンドベルがふさわしい。
再び目を閉じて耳を澄ますと、宇宙から降る星屑のように音が降ってきた。浩二はジュンの奏でる音楽を脳裏に採譜した。
目を開けると、折りしも流れ星がひとつ、浩二への合図のように夜空を横切った。
「ジュン、ぼくも必ず会いにいくからね」
100億光年離れていようとも、ジュンの歌を携えて追いかける事を約束した。(たとえ650億光年先の星雲まで行き着いていても、ぼくは訪ねていくよ)
浩二はまたも図鑑で見た神秘な創造主の眼を思い浮かべ、その中心のブルーの瞳が放つまなざしの魔力に魅入られていくのだった。
(おわり)
ほんとうは口惜しいけど、一生独身でいてなんていうの可哀そうだから我慢する・・・・。
じゃ、一足先に行くわね。
たぶん、100光年ぐらいに先に行っているから追いついてよ。
ジュンは空のどこかにいて、あなたのためのハンモックをつくっておくからね。あなたも星になったら、ジュンのところへ必ず来てね。
浩二の机には、ジュンからの手紙が載せてある。
ジュンが息をひきとる三ヶ月前の消印だ。
浩二とジュンは、中学生のとき知り合い、以来高校二年生まで仲良く付き合ってきた。
家が近いこともあって、互いの両親も公認の交際であった。
一歳違いの兄妹といった目で見ていたのか、あまり異性を意識した注意など親からされたことがなかった。
だから浩二の母親など二人を家に残したまま平気で出かけることもあったし、ジュンの方も「いってらっしゃい」と玄関口まで送り出し、帰ってくるまで何時間も宿題にかかりきりで時間を忘れているということもあった。
「ふわふわするものを捕まえたい」
あるときジュンが言った。「・・・・綿アメみたいで、ピンク色していて、なんだか楽しいことがいっぱい詰まっているもの」
「それって、なんだろう。・・・・目の前に置けるもの?」
浩二が確かめた。
「そうねえ、顔を近づけるとかすかに音楽が聴こえてきて、みんなが幸せな気分になれるもの。・・・・モノではなく、煙のようなものでもなく」
「わかんないなあ。・・・・わかんないけど、わかった。ぼくもジュンと一緒にさがしてやるよ」
「ありがとう」
幼い会話がしばらく続いた。
ジュンはキラキラした目で浩二を見上げた。
浩二はよく動くジュンの唇に見惚れていた。真ん中で丸く伸縮したり、端っこがぎゅっと締まったり、ぽってりとしたピンクの輪が独立した生き物のようにうごめいていたのだ。
(捕まえたい。ジュンの唇が奏でる音楽を採譜したい・・・・)
ふわふわして、みんなが幸せな気分になれるものをみつけるんだ。・・・・浩二はジュンの輝く表情を見つめながら、こころの奥でうなずくのだった。
だが、その願いは中断することになった。ジュンの体がとつぜん動かなくなったからだ。
原因不明の麻痺・・・・。腕や脚の筋肉だけでなく、目蓋や頬や口の周りにも強張りが広がっていった。
そして間もなく入院、一度見舞いに行ったほかは会わせてもらえない状態が続いていた。
ジュンの手紙が短く、熱っぽかったのは病気のせいだったのだ。
まだ指を動かせる時期だったのに、宇宙にただよう自分を空想していたのは、死を予感していたからだろうか。
いま思えば、ジュンの大好きだった星雲への思いが、送ってきた手紙にこめられていたような気がする。
ジュンはよく星雲図鑑を開いて、一つ一つの特徴を浩二に説明してくれた。
これは暗黒星雲、これは馬頭星雲・・・・と、浩二の後ろから身を乗り出して星雲の成り立ちまで解説してくれた。
浩二の肩に軽く手を置いて指さすとき、ジュンの頬が微かな体温を放射し浩二の頬に火照りを伝えてよこしたこともあった。
忘れられないのは、ジュンが一番気に入っていた『らせん状星雲』を見せてくれたときのことだ。
浩二と並んで見ていたのに、写真に魅入られたように急に黙りこくってしまったのだ。
「ジュン、ジュン・・・・」
不安になって、浩二が声をかけた。「ジュン、だいじょうぶ?」
「ああ、わたし、いま、この星雲に見つめられていたの」
「・・・・」
そうなんだ、たしかに宇宙の創造主みたいな目をしているよなあ。見つめていると逆に覗き込まれているような気がしてくる。
浩二は心の中でそう応えた。
「これって、まだ発見されて間のない星雲なのよ。2002年にハップル宇宙望遠鏡が偶然に撮影したんだって」
「えっ? そんなに最近?」
「そう、みずがめ座にある惑星状星雲なの。地球から650光年のところにあるんですって。こんなに近い星雲ってめずらしいのよ。わたし、なんだか行けそうな気がするの」
ジュンは楽しそうに目を輝かした。
それとも、あんなに明るかったのは、何か希望につながるものを見出していたのか。
それとも、それとも、ジュンは彼女に忍び寄ってくる病魔を払いのけようとして、明るさを装っていたのだろうか。
ジュンが死んで教会でお別れを告げた日、ジュンのお母さんが形見の品物を渡してくれた。
ちいさな宝石箱に、銀のくさりのロケットが入っていた。
「この写真、ジュンが高原の写真館で撮ったものよ。・・・・浩二さんにいつ渡そうか、迷っていたみたい」
母親の手から贈ることになって、悲しみが膨らんだのだろうか、ジュンのお母さんの目から涙があふれた。
「ありがとう。ぼく大事にします」
浩二は、学生服の胸に押し当てて誓いを立てるように言った。
「うれしいわ、ジュンも安心して天国に行けるでしょう」
天国・・・・と、浩二は頭の中で反芻した。
教会から帰ってきたばかりの浩二には、ジュンのお母さんのいう天国がなんとなく想像できた。
きらめく光と花園と、天使や神々がジュンを迎えてくれる様子を思い描いていたに違いない。
(だけど、ジュンが向かったのは別のところ?)
『らせん状星雲』の形が目に浮かんだ。
ほんとうに、あれは創造主の目のようだった。らんらんと光る黒目の部分は深いブルーで、じっと見ていると吸い込まれそうになる。
やや赤みがかった水晶体が、目頭と目尻の方向へ鋭角に伸び、30度の角度で地球を見下ろす。
ジュンはいま、星雲へ向かって光の速度で飛んでいる。あるいは、それ以上の速度で・・・・。
(わからない。わからない。人が死ぬってなんだろう?)
田舎の祖父が死んだとき、浩二は庭先をすり抜けていったお祖父ちゃんの後ろ姿を見た。
小学四年の夏休みのことだった。
山王の家で昼寝から覚めたばかりの浩二がぼんやりと築山を眺めていると、白っぽい浴衣姿の祖父が縁側近くの敷石の上を無言でスーッと通り過ぎていったのだ。
(おじいちゃん!)
声を掛けようとして、喉もとまで出かかったことばが絞られたように詰まった。
まだ眠りから覚めていなかったのか、それとも白日夢を見ていたのか。なにか変な気がして呆然と見送ったような記憶がある。
幼いころ、浩二はひと夏を母の実家の象潟で過ごしたことがある。
海の家の経営で忙しい伯母たちに代わって、浩二の相手をしてくれたのはもっぱら祖父であった。
外出のときはいつも麻の上下服にパナマ帽をかぶり、後ろ手に掌を重ねてぴんと背筋を伸ばして歩いた。
(じいじ、じいじ・・・・)
浩二がちょこちょこと追いかけるのを愉しむように、わざとゆっくり追いかけさせるのだ。
そのくせ、転んで泣き声をあげたりすると、慌てて駆け寄り浩二を抱き上げる。そのまま細身の体で頭上高く「たかい、たかい」を繰り返し、たちまち機嫌を直させる。
浩二はそのとき眼下に見たパナナ帽の反りを忘れない。帽子のつばではなく、木型によって頭頂部がつくり出すなだらかな湾曲についてだ。
円く盛り上がり緻密に折り曲げられた草紐による網目が、真夏の太陽光線を受けてかすかな虹色を反射していた。
いま思えば、宇宙のどこかにある星の浅いクレーターのようだ。乱反射する光のぶつかりが淡いミドリやオレンジを分離して、沈んだ影の上に束の間のプリズム効果を生み出していた。
祖父にはずいぶん可愛がられ、楽しい思い出ばかりが浮かんでくるが、真っ先に映像となって甦るのはパナマ帽の照り返しだった。
垢抜けた身なりと言葉遣いは商社員だった時代の名残りだろうが、築山の前を通り過ぎていった浴衣姿の祖父ももうひとつの現実だったとおもう。
死は、すべての終わりではなく、続きの始まりなのだ。
浩二の中では、「じいじ」も「ジュン」も遠ざかっていく途中にあって、ジュンの言うとおり遥か彼方で再び出合う運命なのかもしれなかった。
浩二は進級と同時にオカリナを買った。
ピアノよりもバイオリンよりも、ジュンが奏でる音楽に親和していると確信したからだ。
深夜、浩二は空を見上げながら『みずがめ座』の位置を探した。
十月も終わりに近い山王の空は珍しく澄んでいたが、星座が見えるほど澄み渡ってはいなかった。
宵の口、上弦の月が天に懸かり、ひときわ輝く金星と会話しながら空を移動していった。しかし、南の低い位置に描き出されるはずの星座を見出すことはできなかった。
浩二の部屋は二階にあったから、屋敷林に邪魔されたわけではない。どんなに晴れていても、東京の空に星座を描けるはずはないのだ。
まして、ジュンの向かった『らせん状星雲』の位置など判るはずもない。
それでも浩二は星座表で位置を確認し、ベランダに出て見当をつけた。ジュンの奏でる歌に耳を澄ますため眼を閉じた。
水瓶を担ぐ少年の「みずがめ」から零れた水が、蛇のようにうねって足元に流れ落ちる。
少年は、ワシに攫われオリンポスの山に連れ去られたトロイアの王子ガニメデス・・・・。水の行き着く先には、口を開けた『うお座』の魚が待ち構えている。
なんとロマンチックな空想なんだろう。目を閉じれば神話の登場人物が大空を駆けめぐる。
ジュンの歌に思いを集中していると、浩二の耳奥にかすかな調べが聴こえてきた。それは銀器かガラス器を触れ合わせるような透明な音で構成され、永遠に途切れることないヒビキの網をかぶせたような音楽だった。
(あ、そうだ・・・・)
浩二は心の中で手を拍った。
ジュンの歌には、オカリナよりもハンドベルがふさわしい。
再び目を閉じて耳を澄ますと、宇宙から降る星屑のように音が降ってきた。浩二はジュンの奏でる音楽を脳裏に採譜した。
目を開けると、折りしも流れ星がひとつ、浩二への合図のように夜空を横切った。
「ジュン、ぼくも必ず会いにいくからね」
100億光年離れていようとも、ジュンの歌を携えて追いかける事を約束した。(たとえ650億光年先の星雲まで行き着いていても、ぼくは訪ねていくよ)
浩二はまたも図鑑で見た神秘な創造主の眼を思い浮かべ、その中心のブルーの瞳が放つまなざしの魔力に魅入られていくのだった。
(おわり)
少年と少女が淡い恋心を抱く。肩越しに少女が少年に何か教える。
そんなことって自分にもあったような、そう、郷愁を呼ぶような流れです。ぼくの場合、結局は付き合いも深まらず間柄は消え去ったけれど、このお話には星雲で少女の死後も固く結ばれているなんて……。
そして、少年には慕ってならない"じいじ"がいる。ぼくが生まれたときには、両方の祖父とも他界していたので残念でなりませんが、"パナマ帽を被ってピンと背を張ったじいじ"だったかもしれない。そんなことまで空想させられました。
こんなどこにでもありそうな、だけど、滅多にない純粋さを孕んだお話、いつかまた、よろしくお願いいたします。
宇宙って、現実なのか夢なのか判然としないところがありません?
星雲の画像を見ていたら、未来よりも過去へ遡る感覚が強くなりました。