正夫はショルダーバッグにジャック・ナイフを忍ばせ、出勤前に大男のフーテンを探した。
若者が集まる『穂高』やジャズ喫茶『びざーる』で時間を潰し、街の隅に首を突っ込んでいそうな連中をみつけては、目当ての男の所在を探り出そうとした。
探し当てたらどうするのか、具体的な手順も浮かばないまま、とにかく所在を突き止めたかったのだ。
「うーん、ガタイの大きな奴と言ったら、ラリタケとかウドカリあたりかな」
「チンケなヒゲ男とつるんでいる奴だ」
正夫自身、かなり砕けた言葉遣いに慣れてきたと感じていた。
「いやあ、それは分からないけど・・・・」
野宿慣れした感じの二人連れは、正夫の調子を下ろした態度にかえって戸惑っているようだ。
「そいつら、どこへ行ったら会えそうかな?」
正夫が食い下がる。
「ラリタケは喧嘩っぱやくって、目立つわりにはシケ込むのが上手いらしいです」
「へえ・・・・」
「万博から流れてきた食い詰めだそうですから、そういつまでジュクで、たむろっちゃあいないと思いますよ」
大阪で開かれていた大イベントの終了を機に、新宿の街に転がり込んで来たということで、あらたな群れを求めて再び移動すると見ているようだ。
逆算すると、フーテン族に紛れ込んだのは去年か一昨年のことだろう。
カツアゲで食っているとすれば、たしかに一箇所に止まるとは考えづらかった。
一方ウドカリは、「10円貸して」が口癖の、ちょっと足りないノッポ男だそうである。
他にタカシやケンジ、大将、チョロなどの名も挙がったが、波に運ばれてきた貝殻のような存在だから、所在も正体も判然としなかった。
フーテンの間で流される噂には、はったりや誇張が混じっている。
東大の学生からドロップアウトした青年とか、小説家志望の男とか、自称他称の目立ちたがりが紛れ込んでいる。
ワルと勝手とナマケモノが同居している世界だから、他人の経歴など本気で信じるわけにはいかない。
社会の出来事だって、一皮剥けば胡散臭いところがいっぱいだ。
「大阪万博は、安保から目を逸らせるための国家的策謀」という裏読みなども、あながち無視できない見方かもしれなかった。
正夫を襲った犯罪者の軌跡が、偶然にも安保や大阪万博とリンクする可能性もある。
正夫や夕子が、反体制の側で揺れ動いていた頃、その男は目先の食い扶持を得ることに熱中していたのかもしれない。
(あの男、クズには違いない・・・・)
犯人にたどり着くまえに、正夫の描く人物像が固まってきた。
強く壁に押し付けられた際の恐怖が胸と背中に残っていて、怖い一方やはり許してはいけない男だと憤りが再燃する。
正夫は、二人連れに別れて新宿通りを横切った。
路上でアクセサリーを売るヒッピーの前を、次のたまり場へ向けて憑かれたように移動していった。
ショルダーバッグに沈めたジャック・ナイフを庇うように、合成皮革の上から腕を回していた。
目当ての男を見つけたのは、四日目の夜だった。
歌舞伎町の児童公園に隣接する名曲喫茶『王城』から、神田の勤め先へ向かうため新宿駅へ向かう途中だった。
午後十時の始業時刻に間に合うように、時間を計って新宿を離れるつもりだった。
この夜は、立寄った喫茶店から駅までの距離が遠いので、九時を少し回ったところで席を立った。
コマ劇場の裏手を通って、ネオン街を突っ切ろうとしていた。
バーや風俗店が軒を接するさくら通りの片側に、一瞬その男の幻影が浮かんだ。
「あっ・・・・」
眩い光と赤と緑の毒々しい電飾の色に染められて、男のがっしりした体躯が浮かび上がった。
汗臭い胸の厚みが、数メートルの距離を隔てて感じられた。
ヒッピー風のスタイルから、風俗街のお仕着せに切り替わっているのが生々しい。
点滅する百の電球に飾り立てられた店の入口で、その男はせわしなく動き回っていた。
向かいも隣もネオンが瞬き、上気した頬を染めた酔客や冷やかしの男たちが、泳ぐように流れていく。
「おとうさん、今日は飛びっきり上玉の姐ちゃんが入ってるよ」
相手を見て掛ける言葉もさまざまだ。
客の気を引くひと言と、振り向いた男を巧みに引きずり込むタイミングの好さが客引きの身上だ。
「チャージ料なし、二人以上は特別割引だよ、兄ちゃん」
互いに顔を見合って腰が引けているサラリーマンを、背中を押すように誘い込む強引さも求められる。
その男の声こそ聞こえなかったが、客を追って右往左往する動きが、光と影の狭間で見え隠れしていた。
正夫は、客引きの後ろ姿を入念に確かめ、意を決したしたように背後から近づいた。
「お兄さん、こんなところに居たんですか」
カツアゲされたときのセリフを、そっくり思い出していた。
バッグの中に入れた手が、ナイフを握っていた。
「・・・・?」
振り向いたのは、紛れもなく正夫を壁に押し付けた大柄の男だった。
「先日お貸しした五千円、そろそろお返し願えませんか」
声は震えていたが、びっくりした男をあの日の場面に呼び戻したことはたしかだった。
「な、なんだ、オマエ・・・・」
不意を衝かれると、さしものワルでも動揺するようだ。
カツアゲした相手が、まさか反撃してくるとは思わなかったのだろう。
それでも、正夫の手元に視線を走らせたところは、さすがに喧嘩馴れした狡猾さをうかがわせた。
「カネ返してください」
正夫は、怖さも危険も感じない夢想の世界に入っていた。
先制したことで、優位な位置に立ったことを感じていた。
(フーテンが、馬の尻尾になりやがった・・・・)
肩まで伸びていた髪を、ゴムで束ねている。
数日前までヒッピー風の衣装を身に纏っていた男が、いまは黒ズボンに白いワイシャツ姿だった。
外形だけでなく、ワルなりの野放図な生活圏を狭められ、ついに風俗の末端に取り込まれた様子が無様に思えたのだ。
途中で何があったのかは知らないが、組の者とも平気で喧嘩する豪胆さが認められたのか、それとも墓穴を掘ったのか。
とにかく正夫は、目の前の男を<馬の尻尾>と感じた。
こんなに変化しても見分けた自分の執念が、不思議に思えた。
数秒間沈黙したあと、男は「ヨッシャ、返しまひょ」と横を向いた。
「・・・・カネはロッカーにありますんや、一緒に中へ行きまへんか」
瞬間、正夫の頭の中で警告ランプが点滅した。
もともとボッタクリの風俗店らしいから、普段から罠を仕掛けているのは明らかだった。
したたかなワルの誘いに乗ったら、貸したカネを取り戻すどころか、五倍十倍の料金を吹っかけられるだろう。
払えなければバッグの中を検められ、隠し持ったナイフを発見される。
想像することさえためらわれる、悪夢のような展開だ。
「いや、ここで受け取るから、取って来てよ」
正夫は、自分が別人に思えるほど主体的にふるまった。
握ったままのナイフが、魔法の杖のように感じられた。
正夫の声が、若干大きかったのかもしれない。
息詰まるような沈黙の中、くるくる回る電飾看板の陰から黒服の若い男が現れた。
「なんだ、どうかしたのか」
客引きの元締めが、新米を叱る調子で詰問した。
「いや、このお客さん、よう値切りますんや」
男は自分が抱えるトラブルを知られたくないのか、リーダー格の黒服に言い訳した。
正夫も、その場の状況が一変したのを感じた。
夢遊の中にあった意識が、急に覚醒した。
「ああ、お金が足りないんで、また出直してくるわ・・・・」
客引きに背を向け、踵を返してネオン街を通り抜けた。
中途半端の無念さはなかった。
大男の所在を突き止めた満足の方が大きかった。
駅へ、駅へと足が逸る。
快速電車に乗れば、勤務開始時刻にも間に合いそうだ。
とりあえず、状況に流されることなく、大事な日常を取り戻した安堵が、正夫の足取りを軽快にしていた。
改札口で定期券を取り出そうとして、まだ右手の指がナイフに掛かったままであることに気づいた。
飛び出し機能を制限することの意味を噛み締めながら、硬直した指を解き放した。
小走りに階段を登り、発車間際の東京行き電車に乗った。
正夫は勤め帰りのサラリーマンに並んで、つり革に掴まった。
都会の空を背景に、電車の窓が鏡となって疲れた男たちを映し出していた。
正夫は、鏡の中の自分と向き合っていた。
性懲りもなく不満を抱き続けてきた人生が、いやな目つきで彼を見つめ返してきた。
(つづく)
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