晩秋の一日、夕子が日焼けした顔をほころばせて正夫のアパートを訪ねてきた。
正夫にとっては起きぬけの時刻で、夕子が手にするビニール袋の中身が気になった。
「うな丼よ」
正夫の視線のゆくえに気づいて、ちょっと持ち上げる仕種をした。
「おお、ありがたい」
飢えた動物のように反応し、渡された袋の中を覗き見た。
「あれ、自分の分は?」
「わたしは、電車の中で食べちゃった・・・・」
相変わらず屈託がない。
話を聞くと、常磐線に乗ってから車内販売の弁当を二つ買ったのだという。
お腹がすいたので、そのうちの一つをさっさと平らげたと笑って説明した。
「だって、きょうは先生がお出かけだし、私も食事抜きでお暇してきたの。ちょっと気になることがあって、蒲田まで行く途中よ」
ホウボクシャで知り合った女性運動家の手伝いで、何かの実態を調べるのだと正夫に伝えた。
「なに、それ、牧場でもやってる人?」
「でしょう、知らない人はそう思うわよねえ」
関係者ならともかく、『抱撲(木ヘン)舎』という名称を思い浮かべられる人は少数であると、夕子自身が強調した。
住井すゑから聞いた話では、夫の犬田卯が小川芋銭から贈られた書を額装して、訪問者との面談や集会に使用する建物に掲げたのだという。
老子の書物が出典だという、芋銭揮毫の三文字。
夕子が滞在した松林の中に建つ研鑽の場には、同じ墨跡を刻み込んだ石碑も立っているという。
夕子は、入れ替わり立ち代り訪れる訪問者の世話をしながら、畑仕事の手伝いもこなしていたようだ。
「わたし、お芋が大好きだから、サツマイモの収穫で大活躍よ」
小川芋銭の書が見下ろす一室で、夕子は素朴な心の大切さを身をもって体験してきたと誇らしげに説明した。
さまざまの人間と接しながら、相手の思惑や真意をあるがままに感じ取る。
前向きで明るい夕子の性格は、素直さと注意深さを兼ね備えていて、臨時の秘書役ぐらいに重宝されたのだろう。
先生と呼んでも許される存在として、夕子は住井すゑの信頼を勝ち取っていたのである。
買い置きの瓶詰めを空け、うな丼に胡瓜漬けを添えた。
「あら、しっかりしてるじゃない?」
からかうように言って、慣れた手つきでお茶を出してくれた。
一ヶ月を超えるブランクが、苦もなく埋められている。
わずかに残っていた正夫のこだわりが、嘘のように消えていた。
(どういう性格なんだ・・・・)
あらためて思い返すまでもなく、夕子といることで安心感を得ることが多い。
飯田橋の郵便局でガラス越しに手を振っていた夕子との再会から、恒例となった突然の訪問に至るまで、いつも彼女は向こうからやってくる。
神楽坂の名曲喫茶でも、ここ中野のアパートでも、自分の欲求を素直に伝え、正夫の横へするりと滑り込んでくる女だった。
だからといって、特有の執着や束縛を感じさせることがない。
自らも思いのままに旅立ち、相手に規制される隙を見せなかった。
「正夫さん、大学へはいつ戻るの?」
そんな夕子が発した予想もしない問いかけに、電流が走ったような衝撃を受けた。
「ああ、そうだよなあ・・・・」
思えば身柄を引き取りに来た長兄への反発から、授業料その他の援助を断り、休学を選択したのが始まりだった。
アルバイト先を見つけ、当面の生活を確保した。
がむしゃらに学資を貯めるところまでは自分を追い込まず、『風月堂』や並びにある『ウィーン』で安息をむさぼった。
モーリーと知り合い、フーテンに興味を持ったのも、自分の弱さと関係していたかもしれない。
しっかりとした目標もなく、新宿の街を西へ東へとさまよう正夫を、夕子は辛抱強く見守っていたのだろうか。
愛を交わしながら、愛に気づかず、無関心に近い関心しか示さないこともあった。
そうした経緯の中、正夫は復学の意志を訊かれたのをきっかけに、いまさらながら夕子の存在の大きさに思い当たった。
なにげなく傍にいて、いつも安心をもたらしてくれる存在。
石塊を取り除いた沢の岩清水のように、夕子に対する愛おしさがふつふつと湧き出してきた。
夕子は大学に通う一方、住井すゑの勉強会で知り合った女性運動家とともに、東京での活動を強めていた。
高度経済成長の後ますます拡がる男女の身分格差を、女性の立場からアピールするのが目的だろうと、正夫は思い込んでいた。
ところが、時たま中野に戻ってくる夕子の様子を見ていると、誰にも明かさない秘密の部分が隠されているように感じられた。
(なんだろう?)
いつになく、気になった。
機動隊から身を挺して庇った夕子を、幾日も探しまわって以来のこだわりだった。
再会し、慣れてしまうと、夕子のリードに身を任せ、相手次第の楽な関係に終始してきた。
夕子は、正夫が休学をした際にも取り立てて意見を言わなかった。
復学のことも、彼女が何も言わなければ、そのまま放置して、なし崩しに中退という結果になった可能性がつよい。
「大学へは、いつ戻るの?」
問われた際の驚きが、繰り返し頭の中でひびき渡る。
正夫とて、再びキャンパスに足を踏み入れる日のことを考えなかったわけではない。
しかし、荒廃した学園の現状、緊張を強いられる付き合い、金銭的負担、嫌な思い出、それらに立ち向かう気力を掻き立てられなかったのだ。
だが夕子のひと言で、心のうちの基盤が変わった。
彼の中の夕子が、にわかに大きくなったのだ。
(来春からの復帰を考えてみよう)
夕子を失いたくない気持ちが、安易な生活からの脱出を後押ししてくれそうだった。
「ぼく、事務局でいろいろ訊いてくる」
正夫がボソリと呟いた。「・・・・条件があるはずだから、それを確かめないと」
「うわー、よかった。一緒にがんばろう」
ウン? と促すように、彼の顔を覗き込んだ。
「キミも、忙しくしているけど、ちょっと心配だな・・・・」
気がかりが、つい口に出た。
「えっ、どうして?」
夕子が、びっくりしたように問い返した。
「なんだか、疲れているように見えるからさ」
「へえ、そんな風に見えるんだ・・・・」
彼女は、ごまかすように言った。
「女性問題って、けっこう複雑なんだろう?」
めんどうな調査とか、支援の手続きとか、お人好しの夕子が利用されているのではないかと疑っていた。
住井すゑは信用できても、周りに集まる活動家といった種族に対する疑念のようなものが、彼の中から払拭できないでいた。
「もちろん、大変なこともあるわ。だけど、いま一緒の人は大学の講師だし、ときどき雑誌に記事を書いている方だから」
そうした活動が、夕子の判定基準のようだった。
それでも、正夫には、彼女の行動が、危うげに見えて仕方がなかった。
復学への準備は、順調に進んでいた。
来年の四月一日からの復帰を目指して、書類と納入金を整えるばかりになっていた。
あとは、提出された申請書を教授会が審査し、正式に復学が決定される。
まだ、慌てて提出する時期ではないが、一番の難関は年間を通しての資金計画であった。
そうした矢先に、母危篤の連絡が入った。
十二月初めのことだった。
大家からの取次ぎで、急ぎ受話器をとると、しばらく連絡のなかった長兄から沈鬱な声で、すぐに病院へ向かうよう指示があった。
電車を乗り継ぎ、故郷の佐久に着くと、駅前のタクシーを拾って総合病院に駆けつけた。
連絡を受けてから、すでに半日が過ぎている。
母が移送されたのは、農村医療の先駆的存在として知られ、近隣の市町村はおろか全国的にも評判の高い病院だった。
設備のよさもさることながら、患者に対する親身なケアが知れ渡っていた。
医師や看護婦への教育も抜きん出ていて、それもこれも院長の方針によるところが大きいといわれていた。
偶然にも正夫は、夕子の話から、住井すゑがそこの病院長を尊敬していることを聞いたことがある。
恵まれない農村部の人々に対して、患者としてだけでなく、心身の健康を保つための啓蒙活動を進めていることに敬服していたらしい。
(たしか、若月なんとかという有名な先生であったが・・・・)
佐久の中心街は何度か訪れたことがあるが、正夫が知っていたころより徐々に整備が進んでいるように見えた。
母は、数年前に改築が済んだという東病棟に収容されていた。
受付で教えられた病室に駆けつけると、扉の前で長兄が怒ったような顔で突っ立っていた。
「えっ・・・・」
表情で、すべてが明らかだった。
「間に合わなかったよ」
同情する声音ではなく、こんなときにも間に合わない駄目な弟に対する非難の調子が入っていた。
もともと心臓が悪かった母親に、要らぬ心配をかけた出来損ないとの思いもあったのだろう。
普段からこまめに帰省していれば、親の死に目に会えない不始末も、多少は許してやれるのに・・・・と、冷ややかに見つめているようだった。
(つづく)
今回は若い男女の醸し出す愛情の温かさが主流。その流れで、彼の、そして彼女の身辺事情がさりげなく滲み出ていました。
あの時代の若い男女の友情や恋愛は、そんなものだったかもしれませんね。
そこのところを強調するでもなく、さりげなく表現するところが好もしい。
そして、行く末もチラリと暗示したり。
しかし、肉親兄弟の話がちょっと出てきて、次回からの波乱万丈を示唆してもいるようで。
連載小説を書く楽しさ、読む楽しさを覗かせているようも思えました。
(くりたえいじ)様、ありがとうございます。
一見バラバラの登場人物がどこかで繋がり、もつれ合いながら、人間の聖性と獣性を露呈していく。
60年代末から70年代前半の若者は、口をつぐんだり、口を拭ったりしただけでは生きていけなかった。
どんな形であれ、参加し、加担することを要求されていた。
そこが、現代の青年の無気力な生き方とは異なるところでしょう。
一人ひとりの行動を追っていけば、おのずから時代が浮かび上がってくる。
そう信じて、全体像を思い描いているところです。