どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

細身のジャック(7)

2010-09-10 03:55:25 | 連載小説
 
 山野正夫は、モーリーとキャッシーを伴って新宿東口に降り立った。

 通称グリーンハウスと呼ばれる芝生の近くには、立ったままの若者やプラボンドでトリップした少年たちがへたり込んでいた。

「じゃあね」

 正夫は歩を緩めずにモーリーを振り返った。「・・・・ぼくは、ちょっと寄るところがあるから」

 二人とは、ここで別れるつもりだった。

 いつまでもアパートに居座られてはたまらないから、駅の立ち食いそば屋で遅い朝飯を済ませ、流れで新宿まで来たのだった。

 (慣れたところがいいだろう)

 新宿を別れの場所に選んだのは、迷い込んだ野良猫を元の場所へ連れ戻すような気持ちだった。

 いきなりグリーンハウスとまでは考えていなかったが、東口から吐き出される乗降客との潮目へ二人を放ったことで、心の負担が軽くなった。

「山野さん・・・・」

 足早に去ろうとする正夫を、モーリーが呼び止めた。

「なに?」

「すいません、明日お返ししますので五百円貸していただけませんか」

「ええーっ・・・・」

 思わず不機嫌な声が漏れた。

「きょう、親から小遣いを渡されるんです。なんなら、今日中にお返ししますのでお願いします」

 そういうことだったのか。・・・・親の援助がなければ遊んでいられるわけがないと思っていたから、モーリーの言葉には説得力があった。

 納得したとたんに、隙が生じた。

「仕方がないなあ、あとで返してよ」

 正夫は雑踏の中で立ち止まり、布の札入れから五百円札を抜き出した。

「いつがいいですか」

 返却の日を気にしている様子だった。

「まあ、覚えておいてよ」

 モーリーと会う約束などすれば、深みに嵌る惧れがあった。

 曖昧に手を振って歩き出した正夫に、モーリーの方もあっさり方向転換した。

 元気を取り戻したキャッシーが、うれしそうにモーリーの腕にしがみついた。



 予定があるふりをした手前、正夫は高架沿いに西武新宿駅方面をめざした。

 夜の出勤までには大分間があるので、歌舞伎町の映画館街で評判の映画でも観ようと考えていた。

 『イージー・ライダー』や『真夜中のカウボーイ』は、正夫の好きな映画だった。

 『いちご白書』、『ファイブ・イージー・ピーセス』など一連のアメリカン・ニューシネマは、『ラスト・ショー』に至るまで見続けてきた。

 いまでも、デニス・ホッパー、ピーター・ボグダノヴィッチに憧れている。

 アンチ・ヒーローこそ、心の拠りどころだった。

 一部の評論家が激賞したニューシネマの異色作『虹を渡る少年』も、近日公開の予定となっていた。

 もうそろそろ封切られるかも知れない。

 ワクワクしながら人気の少ない路地を曲がると、いきなりガーンと体当たりされて雑居ビルの壁に身体を押し付けられた。

 (なんだ?)

 成りゆきが理解できないまま、振り返ろうとした。

 しかし、体格の大きな男に密着されて身動きできなかった。

「すまんけど、ワシにも金貸してもらえまへんか」

「?!・・・・」

「後輩思いのいい兄さんだと聞いとります。今度逢うたら必ず返しますんで、融通してくれまへんか」

 駅頭でのモーリーとのやり取りを、どこかから見られていたに違いない。

 正夫は、自分の不用意な行動を後悔した。

 成り行きとはいえ、衆人環視の中での金銭の授受が災いしたことは疑いの余地がなかった。

「こっちも貧乏してるんだ、無理だよ」

「そんなあ、嘘いうと閻魔様にべろ抜かれまっせ」

 大男は、正夫の頭の上で嘲笑った。

「とにかく、断る。・・・・自分の生活費さえないくらいだ」

「へえ、ワシ昨日から飯を食うて無いんですわ。そのせいか眩暈がしてたまりませんのや」

 大男は足がふらつく演技をしながら、正夫に全体重を預けた。

 再びビルの壁に押し付けられ、胸を圧迫された。

「うっ」

 息が詰まり、恐怖を感じた。



 グリーンハウスに集まるフーテン族は、群れることがあっても互いの身の上については無関心なのだ。

 この男がどういう素性であれ、正夫に危害を加えて姿を消してしまえば身元を追うのが難しい。

 目撃者もいないし、面倒なことに関わろうとする仲間も居ないだろう。

 警察だって同じで、フーテン族の内輪もめぐらいに受け止めて、親身な捜査などするはずもなかった。

「わかった、ちょっと放してくれ!」

 正夫は、背後の男に屈したふりをした。

 分厚い胸板の圧迫が緩められ、折りあらば逃げ出そうという気持ちが湧いた。

 振り返って大男の顔を見上げる余裕はなかった。

 横目で、路地の様子を窺った。

 視野の真中に、長髪をリボンで結んだ貧相なヒゲ男がいた。

 (なんだ、見張りがいたのか)

 希望があっさりと消えた。

「わかった、お金あげるよ」

 どうせ取られるのだから、回りくどい言い方はやめてもらいたかった。

「ちょっと兄さん、ワシら金を恵んでくれなんてひと言も言うとらんで。お借りするだけ、ただそれだけやがな」

 どこから流れてきたのか、東京にはない肌合いが気味悪く感じられた。

「じゃあ、千円だけ貸しますよ」

「そんな相場ですかいな」

 男は正夫の財布を覗き込んだ。

「千円が相場というなら、その役兄さんにゆずりますわ。残りはワシらということで、どうでっしゃろ?」

「えっ・・・・」

「愛は平等に、富は公平にって言いますやんか」

「・・・・」

「古い仕来りに縛られとっては、権力の思う壺でっせ。ワシらは、価値判断の革命起こして新世界をつくろうと思うておるんですゥ」

 男は布の財布から千円札を五枚抜いて、ズボンの尻ポケットにねじ込んだ。

 正夫の手元には、千円と財布が戻った。

 腹立たしかった。

 すぐにも駅前の交番に駆け込んで、カツアゲ被害を届けたかった。

「兄さん、借りたものは返しますよって、勘違いはせんといてくださいね」

 アメリカ先住民の狩猟着をまとった大男が、ヒゲの小男をともなって悠然と立ち去った。

 たしかに、こんなことで権力におもねるわけにはいかなかった。

 かつては、機動隊と対峙したこともあるのだ。

 (あの下司野郎、どうしてくれよう)

 もはや、アメリカン・ニューシネマを見るどころの騒ぎではなかった。

 呼吸を整える場所が必要だった。

 正夫は、いつかモーリーとキャッシーを連れて行った喫茶店に入り、そこの椅子に沈み込んだ。

 風月堂から始まった関係が、今日の事件までつながっているのを意識した。



 神田で山手線に乗り換え、御徒町で降りた。

 自衛のためのナイフを下見するためだった。

 まだ、仕事開始までには、数時間ある。

 アメや横丁を上野方面へさかのぼって行くと、輸入専門の刃物店があった。

 ○○と号する看板をくぐると、たちまち目がくらんだ。

 ガラスケースや平台に所狭しと並べられたナイフ類が、鋭利な切っ先を誇らしげに輝かせ、一方匂うような革のケースに収まってその正体を夢想させる。

 正夫が子供の頃は、『肥後の守』と呼ばれた折り畳みのナイフを買ってもらい、鉛筆を削るにも、ヒゴを削るにも、大切に使ったものだった。

 大学に入ってからは、仲間と海に繰り出し、キャンプ地で誰かが持ち込んだシース・ナイフを用いて貝や魚を調理したこともあった。

 だが、いま目の前に展開する金属の本性は、男の本性に直接働きかけてくるのだ。

 チーン、グサッ、ドバッ・・・・。

 音の聞こえる代物はまだしも、シーンと静まり返ったままガラスケースに収まっているボウイ・ナイフやダガー・ナイフに魂を奪われた。

 値段の表示を見ると、想像するほど高価ではない。

 これなら、カツアゲされたとはいえ、ズボンの隠しベルトに潜ませた高額紙幣を取り出せば、すぐに手に入れることができる。

 正夫は店員に近づき、それぞれのナイフの特徴を聞き出した。

 アメリカ製、スイス製、ユーゴスラビア、イギリス、モロッコ・・・・出身地を確かめるだけで興奮してくる。

 美人コンテストがスタイル・マナー・教養を競うように、形や機能を超えて能力を誇る刃物たちがそこに居る。

「なんだか、目移りがしてしまって・・・・」

 正夫は溜め息をついた。

「皆さん、最初は悩むんですよ」

 種類によって警察への届けが必要なものもあり、持ち歩きに条件が付くもの、制限されるものなどさまざまらしい。

「お客様は、どのような用途でお使いになるのですか」

「ええ、そうですね。・・・・主にアウトドアで。だからほんとうは、ジャック・ナイフが欲しいと思っていたんですが」

「ああ、ジャック・ナイフねえ。・・・・折り畳み式のナイフではあるんですが、飛び出しナイフと誤解されているところがありまして」
 
「へえ、違うんですか」

「まあ、裕ちゃんの歌が原因といわれています。でも、フォールディング・ナイフがご希望でしたら包装した状態でお持ち帰りできますよ」

 正夫は唾を飲んだ。

 護身用などといったら、絶対に売ってもらえない。

 いったん躊躇したら、二度とこの店に来られないと思った。

「すみません、持ち運びに気をつけますので、売ってください」

 正夫は、店員が包装する間に、ベルトのバックル近くからジッパーを引いて、高額紙幣を抜き出した。


     (つづく)




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4 コメント

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街の鼓動 (くりたえいじ)
2010-09-10 11:06:35

いよいよ何かが始まりそうで、この回は巧みに次回への余韻を残しましたね。


そしてその間、時代背景を巧みに散らしていく面白さ。
曰く〈五百円札〉〈「イージーライダー」など当たった映画作品〉〈裕ちゃんの歌〉がそれに当たります。
こういった創作には自体背景を説くのも大切なんですね。


もうひとつ。
全編に描き出された会話の妙があります。各々のセリフで、人物や事情などを語っていくのは、なかなか難しいようですが、さらりとやってのけている感じがします。


あの時代の街の鼓動がまた、伝わってきました。
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物語が動き出す予感・・・ (知恵熱おやじ)
2010-09-12 23:31:51

正夫がナイフを手に入れたことでやっと物語が動き出す予感がしてきました。

軍隊だろうが人個人だろうが、武器を手にするといつか必ず使うことになるといわれますから、彼もきっと。何時かどこかで。

今後の展開を楽しみに。
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時代背景と会話・・・・ (窪庭忠男)
2010-09-12 23:36:33

(くりたえいじ)様、ともに大切にしている要素に注目していただき、ありがとうございます。
そろそろ収束に向かって、物語をまとめたいと思います。
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ナイフに唆される・・・・ (窪庭忠男)
2010-09-13 00:32:24

(知恵熱おやじ)様、お説のとおりナイフを手にした以上、何かを仕出かすことになるのでしょう。
モノとしてのナイフに、それ以上の働きを与えたいと思うのですが・・・・。
コメントありがとうございました。
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