<水木しげるさんを送るの辞>
千住・お化け煙突
(ウェブサイトより)
昨日(11月30日)、水木しげるさんの訃報が伝えられた。享年93歳とのことである。
調布のお住まいに近い布田天神商店街には、チェック柄のちゃんちゃんこを着た鬼太郎のオブジェが寒空の下に佇んでいた。
アニメの『ゲゲゲの鬼太郎』や、奥様の書いた『ゲゲゲの女房』ドラマ化などで国民的な人気を博した水木さんは、文化功労者の表彰を受けるなど晩年になって長年の苦労が報われた。
一方、21歳の時に召集され、パプアニューギニアに送られた水木しげるさんは、激戦地ラバウルで爆撃を受け片腕を失うなど瀕死の状態で中隊に帰還した。
その際たった一人生き残った水木さんに、上官は「おまえも死ね」と唆したらしい。
戦争漫画『総員玉砕せよ』で、死んでいった戦友を悼みつつ、自分は上官からの命令に抗して生き抜くことを願ったと記している。
「おまえも死ねなんて、バカバカしい話じゃないですか」・・・・何かのインタビューの中で水木さんが発した言葉の中に、単なる反戦よりも強いメッセージを感じるのである。
80歳の時に「食うために働いていたら、いつの間にかこの歳になってしまった」と答えた言葉が忘れられない。
復員したのち、紙芝居の絵描きさんから貸本漫画家、そして現在へとここでも必死の生き残りを図った。
あの面構え、飄々とした受け答え、水木しげるの全身からは生命力が溢れ出ていた。
ぼくが『ガロ』誌上で出会う前に、水木さんは奔流のような人生を歩んでいたのだ。
月並みながら心から哀悼の意を表し、戦争の悲惨さを語り継いでいきたいと思っている。
さて、同じ時期『ガロ』に登場したマンガ家の一人つげ義春も、貸本漫画からの転身である。
『お化け煙突』は、つげ義春が昭和33年(1958年)にスリラー漫画誌「迷路」に掲載した短編漫画で、この時からすでにこの作家の才能が現れている。
「貸本マンガ史研究」などを見ると、当時貸本漫画誌として人気のあった『影』や『街』に掲載されていた辰巳ヨシヒロや松本正彦の作品に影響を受けて描いた作品らしい。
全編を覆う雨の描写の裏に、つげ義春が抱き続ける厭世的な心象が垣間見える。
この作品を評価し絶賛した白土三平は、青林堂の長井勝一とともに立ち上げた『ガロ』(1964年)に、つげ義春をいざなう。
その後のつげ義春の活躍は、ガロ掲載の作品だけでも十指に余る。
沼・チーコ・初茸がり・山椒魚・李さん一家・紅い花・長八の宿・オンドル小屋・ほんやら堂のべんさん・ねじ式・ゲンセンカン主人・・・・と、つげ義春ファンにとってはどれも伝説的なものばかり。
その原点に『おばけ煙突』があることに、ぼくはなぜか目の前の空間が共振するような思いを感じる。
ぼくは第二次世界大戦が始まる前年に、東京の北千住で鉄道員の子として生まれた。
姉二人と兄の4人兄弟で、5歳の時に疎開するまで、生家での記憶はほとんどない。
ただ一つ覚えているのは、風の強い日に二階の廊下に干した洗濯物があおられるのを、不安の思いで見ていた光景だけである。
次の記憶は疎開先でのもので、そのあたりのことは以前どこかに書いている。
ところが、もう少し長じてからの記憶として、千住のお化け煙突を眺めたことを書いておきたい。
たしか、一度きりではなかったはずだ。
東京から汽車で常磐線を下って行くとき、4本の煙突が3本になったり2本になったりするのを、期待と寂しさの中で見たのだった。
1964年秋(東京オリンピックの年)までは立っていたそうだから、父とともに疎開先から東京へ遊びに行った折に見たのだろう。
浅草の仲見世通りで迷子になった時の心細い記憶も絡んでいるから、たぶん小学校低学年の頃のことだと思う。
東京へ向かう時にも見えるはずだが、なぜか上り列車からの記憶はない。
上野を出た列車が北千住に差し掛かるころ、車窓から食い入るように煙突の変化を見つめていたのだろう。
心の奥底に、生まれた地への愛惜と、容易には受け入れられなかった疎開先への思いが交錯していたのかもしれない。
他愛ない話ではあるが、水木しげるさんの死に接し、妖怪やお化け煙突にかこつけて、霞んだ風景を背景に見送りの辞を記した次第。
滝田ゆうが去り、辰巳ヨシヒロが逝き、水木しげるが亡くなり、つげ義春は居ながらにして境界線上を超えたり戻ったり、ふしぎなヒントを与えてくれる。
今さらながら、『ガロ』はマンガ界・劇画界の磁場だったと、思いを新たにしたところである。
(おわり)
「ガロ」を通じて滝田ゆう、辰巳ヨシヒロ、水木しげる、つげ義春の世界に精通していた窪庭さんならではですね。
どの一人もジャンルの壁を超える存在としてこれからも永くアートの世界で語り伝えられるに違いない巨人といえます。
一時期劇画を描いていた私には軽々しく語ることのできない大きな存在であり、沈黙あるのみです。
ひとつだけ水木さんをさらに深く知るための資料をご紹介して、合掌の代わりにしたいと思います。
『別冊新評 水木しげるの世界』(1980年10月 新評社刊)
水木さん自身のエッセイ「わが狂乱怒涛の時代―そして奇妙奇天烈な興味の日々」をはじめとして、佐藤忠男、鶴見俊輔、赤瀬川原平、羽仁進など錚々たるメンバーが水木ワールドの秘密に迫っています。おすすめです。
辰巳ヨシヒロ、水木しげる、滝田ゆう、つげ義春、永島慎二、そして手塚治虫や楳図かずおら斯界の巨人たちと直接交流のあった (知恵熱おやじ)さんを前に、身のほど知らずにも哀悼の辞を載せさせていただきました。
更には『別冊新評 水木しげるの世界』をご紹介いただきありがとうございます。
調べましたら古書店に若干のバックナンバーがあるようですので、さっそく注文したいと思います。
いつもたくさんのアドバイスをいただき、感謝しております。
この一冊を読めば、水木しげるさんの世界がいかに奥深く、人間としての醸成がなされていたか、知ることが出来るように思います。
また、昨夜のフジテレビ金曜プレミアムで「ゲゲゲの鬼太郎」実写版を観たのですが、随所にあらわれる原作者のメッセージが素晴らしく、妖怪をも血肉化して見せられる背後には、膨大な研究の蓄積があったのだろうと推察するところです。
取り急ぎ御礼まで。