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どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

テスト・コースの青春(7)

2009-04-28 01:56:45 | 連載小説



 夕刊の配達が終わって、バイクの手入れが済むと、気になっていた三面記事を探した。
 <測量士の男が強盗未遂>
 短い記事の中に、佐藤某の実名が印刷されていた。
 谷田部テスト・コースの現場でスタッフを担いでいた佐藤の名も、記事のものと同じだった。
(まさか・・・・)
 胸さわぎがした。
 測量士という特異な職業と姓名の二つとも合致する男は、雄太の知っている限りあの男しかいない。
 ただ事件現場は、都内の飲み屋街だった。深夜帰宅途中のサラリーマンを脅して金品を強奪しようとしたところを、警戒中のおまわりに捕まったということのようであった。
 佐藤の赴任先は群馬の地方都市で、多目的遊園地の開発に先立つ測量チームの一員として参加しているはずなので、人違いの可能性もあった。
(同姓同名ということもあるし・・・・)
 平凡な姓名ゆえに、偶然符合する要素が多かったのかもしれない。
 もしも人違いでないとしたら、とんだ悲劇が待ち構えていたものだ。
 記事では簡単に、類似犯罪の一つとして警鐘を鳴らしていたが、実際のところ何があったのか見当もつかなかった。
 雄太は夕刊を持って、近くの定食屋まで出かけた。アジフライに食いつきながら紙面を読んだ。
(本当にあいつがやったのだろうか)
 繰り返し三面記事に戻って、首をひねった。
 雄太は佐藤の眠ったような表情を思い浮かべ、やはり疑念を払拭できない気持ちに傾いていた。
 本来なら日に焼けて精悍に見えるはずなのに、顔の筋肉の動きが緩慢で、煤けた仮面を目前にしているような印象が強かった。
 当然、心の中が読みづらい。何を考えているのか分からずに、面と向かって苛立ちを口にしたこともあった。
「洞口さん、ずいぶん熱心に読んでるじゃない」
 カウンター越しにオヤジが声を掛けた。「・・・・なにか、いいこと出てるの?」
 雄太は慌てて大盛り飯をひと口掻き込んだ。箸が止まったところを見られていたようだ。
「ううん、逆。・・・・物騒な世の中になったと思ってね」
 自分の会話の中には滅多に登場しない言い回しが、思わず口を衝いて出た。
 オヤジの興味を逸らすために、深夜の飲み屋街での事件を手短に話した。
「まあ、君子危うきに近寄らずだね。飲むならウチみたいなところで、シシャモでもしゃぶりながら一杯やるのが最高ってことよ」
 照れた様子で、ケケケと笑った。
 部屋に戻って、ラジオをつけた。前任者からの引継ぎ物品だった。
 もともと新聞店に備え付けのもので、ラジオ大学講座の受講のために店主が買い与えたもののようだ。
 雄太は教育放送はいつも素通りで、民放の音楽番組を探し出して流しながら、日記代わりのスケッチ・ブックに定食屋オヤジの照れた顔と笑い声を描き止めた。
 職業柄、銭湯に入ったあとは早めに眠る習慣になっていた。
 翌朝起床する頃には、ちょうど朝刊の準備の時刻が迫っている。
 それより早く目覚めることがあると、スタートしたばかりの土居まさるの深夜放送『真夜中のリクエストコーナー』にダイヤルを合わせる。
 文化放送に寄せられる電話リクエストの数々が、いま、この瞬間、ともに起き、ともに働いている仲間との連帯感を呼び覚ます。
 若者はいつも不安に揺れ動くもの。それなのに佐藤は、何を鬱々と悩んで事件など引き起こしたのか。
 もしも、それが本当に佐藤の仕業だとしたら、奴もラジオを聴いていればド壷に嵌ることはなかった。
 若さが放つ前向きなエネルギーを汲み取っていれば、事態は変わっていたはずだし、なんでそうしなかったのかと、文句の一つも言いたくなる。
 わざわざ確かめるほどの意欲はないが、雄太の中では、荒野にぽつねんと突っ立っていた佐藤の不祥事と信じかけている。
 以前から感じていた彼の優柔不断さが、うじうじと招き寄せ、勝算もなく引き起こした事件なのだと結論づけていた。
「ヘイみんな、たくさんの仲間が応援しているよ」
 明るく軽快なパーソナリティーの声が、布団の中で縮こまる雄太の血管にずんずん注ぎ込まれのを感じていた。

 前年の東京オリンピックの熱気は、谷田部にいた雄太には一歩距離を置いた形で伝わっていた。
 テレビに釘付けというわけにはいかず、翌朝のニュースや新聞の記事によって結果を知るという時間的ずれがあったせいかもしれない。
 10月開催へ向けて急ピッチで進めていたオリンピック会場づくり同様、テスト・コースの現場も必死に工事を進行させていた。
 それぞれの地元では恩恵をこうむる自治体もあったはずだが、雄太の知る限り、一部の地域、一部のゼネコンを除けば、彼ら働き蜂の労働者には大した実入りの増加もなかった。
 首都高延伸や主要国道の整備、ホテル、競技場の充実など形に残ったインフラも少なくない。しかし、庶民の生活は日々の暮らしが精一杯で、自動車をたやすく手に入れて、高速道路を突っ走ることなど夢のまた夢だったのである。
 そうした中、雄太と同じ住み込み新聞配達員の井岡は、メグロ350ccを駆って休日の度に遠出をしていた。
 名神高速道路の部分開通に続いて、東名高速道路の計画が噂されていた頃だ。
 それが出来上がれば、井岡は逸早く試乗に出かけるに違いない。
 関東近県の道路作りも活発で、どこからか情報を得て、そこに繋がる山道を走りに行く。
 数名の仲間と行動を共にすることもあるが、大概は単独で出かけることが多かった。
「ほんとうは二、三人のツーリングがいいんだけど、日程を合わせられないんでね」
 連れが居れば、危険に遭遇したとき援けあうこともできる。一方、単独では大変な困難に曝されることがあるという。
 オートバイを目の敵にして幅寄せしてくる車や、カミナリ族の一団に追いかけられた経験もあるらしい。
「まあ、一般の自動車なんて100キロも出せばハンドルがぶれてくるんだから、追いつけっこないよ。オートバイ相手なら、こっちも嫌いじゃないから、オイデオイデだし・・・・」
 ただ本当に困ったのは、山岳道路で土砂崩れに巻き込まれたときだという。「あのときは、生きた心地がしなかったよ」
 深刻な状況を伝えながら、井岡は誇らしげに笑うのだった。
 雄太は屈託のない井岡の表情に素直に共感した。
 もっとも、そうした出来事を云々するより、井岡が一番の誇りに思っていたのは、カワサキに吸収される前の名車レックス・アーガスを所有していたことだろうと察知していた。
「こいつの上は、白バイ仕様のZ・スタミナとセニアしかないからな」
 それぞれ500cc、650ccという大型自動二輪車で、東京オリンピックの警備やマラソンの先導を果たした日本屈指の車両なのだ。
 業績不振から合併を余儀なくされ、東京オリンピックを花道にメグロの名は消えていったが、性能はもとより貴族然とした風格は類のないものだった。
 そのメグロの形見の一つともいえるレックス・アーガスが、井岡のパートナーなのだ。
 たかだか新聞配達の稼ぎしかない井岡が、何故そのような高級バイクを乗り回せるのか。
 どうやら理由は、親からの仕送りによるものらしかった。
 正当な根拠があってのことか、嘘をついたり騙したりしているのか、そこまで立ち入って聞くことはできなかったものの、なんとなく彼の生き方の正当性は納得できた。
 容姿といい、気風といい、明るく、格好がよくて、井岡先輩の話は雄太にとって頬を伝う風のように心地よいものだった。
 クルマ好きの雄太としては、井岡からオートバイの魅力を聞かされる度に、自らも重心移動を繰り返すライダーの体感を追体験したような錯覚にはまり、憧れを膨らませていくのだった。
(オレも乗ってみたい・・・・)
 中古でも手に入れば、井岡に頼んで遠乗りに連れていってもらおうと考えている。
 青い風、白い雨、時には赤い夕日を裂いて弾丸のように走ってみたい。
 一般道路だけでなく、谷田部のようなテスト・コースをスロットル全開で突っ走ってみたい。
 1.5kmの直線走路二本を繋ぐ最大45度角のバンク部分。設計速度180キロの限界までGを感じてみたい。
 理論的にはハンドルに手を添えた程度で高速周回できるはずの自動車と比べ、オートバイの場合は400Rの抵抗は半端じゃないはずだ。
 手足の伴わない幼児のようなジレンマを感じながら、雄太は空想のライダーに自分を重ねてみるのだった。
 夏になると、宴の終わった後の不況は現実のものとなった。
 闇雲な開発の反動で、一時的に景気の翳りが見られたのだ。同時に、日本的な暮らしの良さを軽視する風潮が台頭していた。
 拝金主義が当たり前のように社会を毒し始め、剥き出しの欲望を恥じらいもなく刺激する風俗が跋扈した。
 モータリーゼーションの世界では、メグロやカワサキなどの老舗を尻目に、後発のホンダが急速に力をつけていた。
 それまで富裕層の若者にしか手に入らなかったオートバイが、比較的手ごろな値段で量産されるようになった。
 アメリカの暴力的風潮が持ち込まれ、公道での集団示威行為も世間を騒がせるようになっていた。

 井岡に悲劇が訪れたのは、まもなく夏休みが終わろうとする八月末のことだった。
 大月から富士五湖へ向かう一般道路で、カミナリ族の一団に襲撃されたのだ。
 かねてから目をつけられていたのか、追跡するグループを振り切ったと思った矢先、先回りしていた仲間に包囲され転倒させられた。
 井岡が信頼していたマシーンも、ナナハンを擁する街道レーサーたちにとっては猫の前のネズミだったのかもしれない。
 井岡瀕死の重傷の報は、雄太を驚かせた。
 第一報は家族に行き、家族の誰かから新聞店にもたらされた。
 店主は、大月の市民病院に担ぎ込まれた井岡を見舞うこともなかった。公共に携わる仕事の関係から、一日たりとも販売店を離れることはできないのだと言い訳した。
 雄太もまた、仕事を休んでまで病院に駆けつけることはできなかった。
(勇気がないなァ・・・・)
 一週間後に井岡が死んだとき、雄太はやっと大月の斎場に向かった。店主から預った香典をジャケットのポケットに入れて。
 告別式が日曜日だったから行けたが、朝夕刊の配達があるウィークデーだったら許可されなかったかもしれない。
 その場合、店主に逆らって仕事を休むことができたであろうか。
 雄太は、悲嘆にくれる井岡の両親を脳裏に甦らせながら、物事の判断に生じるブレの正体を憎んだ。
 普通の人の素直な反応に立ちはだかる障害の数々。世の中の仕組みや、個人のエゴ、習慣など、思い通りに行かない制約が幾重にも張り巡らされている。
 戻ってきて、井岡のいなくなった仕分け場でチラシ差しをしていると、急に配達の仕事が色あせて見えた。
(いかん、いまは落ち込んでいるからつまらなくなっているが、すぐに若い仲間が現れる・・・・)
 テスト・コースを離れた経緯を思い出し、辛抱することを自分に言い聞かせた。
 店主に物足りない思いを抱いたとしても、暴君的な神山とは比較にならない。気分は鬱々としていたものの、いま身の回りに起こりつつある現実を見据えるのが先で、癇癪を起こしてもどうにもならないことを意識していた。
 それにしても、佐藤と思しき男の強盗未遂事件に始まり、井岡の事故死に至っためまぐるしい状況の変化は、雄太にショックを与え沈み込ませた。
 青春が内包する過激なエネルギーは、制御不能の怪物なのだろうか。
 雄太が神山に向かって叩きつけた感情など、愚にもつかないものに見える。
 カミナリ族やストリートギャングに秘められた抑え切れない闘争本能は、若者を狂気に駆り立てるのだろうか。
 井岡の走りは正当で、襲った集団の行為は犯罪だと雄太には理解できる。
 しかし、捜査に当たった警察は、犯人たちが逃走してしまったこともあって、井岡をも広い意味での暴走族と判断していた。
 死を目前にしたわずかな証言で、当日の井岡の行動の断片が浮かび上がったが、それを素に捜査範囲を広げるといったことは行なわれなかった。
 転倒に結びつく原因が、誰かの意図的妨害だったとしても、それを証明する手段がない限り、街道ライダー井岡のスピードの出しすぎとして処理された。
 当時の社会通念としても、スピード違反を繰り返すような若者は、形態のいかんに関わらずカミナリ族の一派として片付けられる宿命にあった。
 

     
 
 
 
 

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2 コメント

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見事な作家魂 (丑の戯言)
2009-04-28 16:15:24
作者の時代考証の綿密さに頭が下がります。
東京オリンピック直前の地域状況や世相などが手に取るように蘇りましたよ。
「メグロ」や「カワサキ」も懐かしいし、その前の土井まさるのディスク・ジョッキーなんてどこから掘り起こしたのでしょうか。
それこそ作家魂ですね。
その時代の若人の心理の揺れ、これからどうなりますか。
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若者に活力があった時代 (窪庭忠男)
2009-04-30 21:23:48
(丑の戯言)さま、コメントいただきありがとうございました。
あと数回、よろしくお付き合いください。
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