どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

テスト・コースの青春(6)

2009-04-21 00:40:08 | 連載小説



 一瞬、目の前が揺れた。
 捕らえていたビル群の映像が跳ね、暗い雨空が踊った。
「危ないじゃないですか!」
 雄太は怒鳴り返した。積み重なった不満が火のように噴出した。
「おまえ、身分もわきまえずに女なんかといちゃついているから、ボーっとして間違えたんだろう」
 侮蔑的な言葉が覆いかぶさってきた。罵られたことより、神山に知られていたことの方がショックだった。
 そうなれば当然、田代も知っているはずだ。
 知っているとしても、田代のいる前で揶揄されることは耐えられなかった。
 カッとして、ブレーキを踏んだ。踏みながら、少し緩めていた。
 左側に退避スペースが出てきたので、急ハンドルでクルマを寄せた。
 二度三度ブレーキを踏み分け、最後に思いっきりサイドブレーキを引いた。全員の体が前のめりになった。
 ワイヤーが伸びたのではないかと思うほど、力いっぱいレバーを引き上げていた。
「やってられねえや」
 運転席のドアを開け、捨て台詞を残して飛び出した。
 後続の乗用車にクラクションを鳴らされたが、進行してきたのと反対方向へ歩き出した。
 背後で何かを喚く神山の声がしていたが、いっさい振り向くことなく壁際を歩き続けた。
(どうなろうと、知ったことじゃねえ)
 田代の会議のことで胸を締め付けられたが、神山が代わりに運転すれば済むことだから、なんとかなりそうな気がした。
 あとは自分のことだ。
 幸い給料をもらった後だから、寮に戻れば蓄えの貯金通帳がある。先のことは真っ暗だが、二度と神山の前に顔を見せるつもりはなかった。
 緊急避難のための階段を使って、一般道に下りた。
 京浜東北線で上野まで出て、土浦行きの急行で引き返した。
 バスで谷田部までたどり着き、古くから営業している地元タクシーを頼んで自動車高速試験場に帰ることができた。
 雄太は、ロッカーから貴重品と身の回りの品物を取り出し、私服に着替えて待たせておいたタクシーに乗った。
「親父さんが危篤だっちゅうなら、急いで行った方がよかっぺ。土浦まで格安で行ってやっから、乗ってけ・・・・」
 運転手はメーターを倒さず、『迎車』の表示で駅前まで突っ走った。
 谷田部まで戻る料金に少し色をつけた程度で、送ってもらった。嘘をついたのは心苦しいが、今の状況では格好をつけていられなかった。
 大型のボストンバッグ一つに、彼の日常生活がほぼ詰め込まれていた。貴重品のほかは下着やジャージーなど身の回りの衣類ばかり、寮生活が多かったから余分なものは極力買わないようにしてきた。
 例外は小ぶりのスケッチブックに、本屋で見つけた略画帳だ。草花、動物、人物など、デッサンの基本を教えてくれるB5サイズのテキストだった。
 雄太は人知れず似顔絵を描くのを趣味にしていた。
 赤羽や田代の顔も密かに記録してある。顔だけではなく、体形や仕種の特徴まで描き込んだものだ。
 特に柳田老人の後ろ姿は雄太自身も気に入っていた。胡坐をかき、ワイシャツの腕を捲り上げ、盃を目の高さに掲げてカンパーイとやっている場面だ。
 濃い目の線描で、後頭部の禿具合など結構よく描けていると、自画自賛したい心境だった。。
 ほかに飛行機、帆船、クラシック・カー、オートバイなど、近代的なマシーンにも興味がある。雑誌の写真を元に、イラストを起こすのも得意としていた。
 いまとなっては、スケッチブックにとどめた人物画が、雄太の想い出に取って代わりそうだった。
 もやもやと頭にある記憶よりも、下手なりに思いをこめて描いたスケッチのほうが鮮明に人物像を浮き上がらせていた。
 佐藤の姿も描きとめてあった。
 スタッフを持って風に吹かれている、頼りない体の捩れが、雄太の抱く佐藤のイメージだった。
 衣類の間に、本やスケッチブックが放り込まれている。ズシリと重いのは、それらの本のせいだろう。
 最後に、悦子にもらったマグカップを押し込んだことで、さらに重みが増したかもしれない。
 当てもなく東京をめざして走り始めた急行の車中で、雄太は悦子にどう説明しようかと新たな悩みに襲われていた。

 一晩、上野の簡易宿泊所に泊まった。
 翌朝スポーツ新聞を買って、新聞配達の仕事を探した。
 池袋にある販売店の面接を受けて、翌日から住み込み従業員として働くことが決まった。
 いまは住まいを確保することが先決だった。
 人の良さそうな店主は、勤労学生のよき理解者として国から表彰されたことを誇りにしていた。
 新聞の仕分けに使っている板張りの部屋に、額に入った感謝状を掲げて、配達員を元気づけていた。
 雄太は主人の話を聞きながら、できれば自分も来年から夜間大学に通ってみたいと希望を述べた。
 店主の熱意にほだされたこともあったが、佐藤でさえ測量士になるべく挑戦していることへの対抗意識が湧いてきたのだ。
 心にもないことを口にしたたつもりはなかった。
 ただ、後ろめたさはあった。現在は悦子とのことが加わって、進学どころの状況でなかったから。
 先の見えない状況を前にして、自分に焦りがあることを自覚していた。
 三、、四日、先輩に連れられて配達区域をまわった。排気量50ccのスーパー・カブを貸与され、その練習も兼ねていた。
 雄太は、苗字を書き入れた配達地図と照らし合わせながら、朝夕繰り返し頭に叩き込んだ。
 小回り重視のバイク操作も、慣れてみるとそれなりの面白さがあった。乗ったまま受け箱に差し込むワザが、彼らの優秀さのバロメーターになっていた。
 一週間ほどして一本立ちすると、しばらくは新聞店に腰を落ち着けられるとの自信がついた。
 半日上がりの日曜日の午後、雄太はやっとシャレードの悦子に電話をかけた。
「ごめん、俺いま東京にいるんだ」
「元気なのね? 赤羽さんから聞いて、心配してたわ」
 手短に説明して、谷田部には戻れないことを告げた。
「いいのよ、無理しないで自分の道をみつけて・・・・・」
 雄太に負担をかけまいとする気持ちが、控え目な言葉に滲み出ていた。
 期待を持たないことで痛手を軽くしようとする、それが悦子の習い性かもしれなかった。
 あっさりし過ぎるほど淡白な物言いが、逆に雄太を焦らせた。
「いまはムリだけど、必ず会いに行く。エッちゃんも元気で待っててね」
 口先だけの慰め言葉ではないのだと、強い決意を込めようとしていた。
「ありがとう。ほんとにありがとう・・・・」
 やっと繋がっていた糸が、この出来事で切れてしまうのか、細々と保たれていくのか、二人とも確信の持てない状況のまま受話器を置くことになった。
 切羽詰るとどんなことでも対応ができる。雄太は困難な局面でもなんとか打開できる自分に、揺るぎない自信を持っていた。
 逆に事態が落ち着くと、繰り返される日常に嫌気が差し、単調さに耐えられなくなる癖を持っていた。
 これまでに幾つ職業を変えたことか。二十五歳になった時点で五回目の転職をしたことになる。
(テスト・コースだけは、完成を見たかったなあ)
 早朝、星を仰ぎながらスーパー・カブを走らせていると、谷田部の原野を闇雲に疾駆した最初の感覚が甦ってきた。
 枯れ草をなぎ倒すバンパーの抵抗感のほか、ランドクルーザーの地を嚙む手ごたえが、シフト・レバーを通して重々しく伝わってきたものだ。
 四輪駆動ならではの操縦性の硬さが、いまも掌に残っている。クッションの固さも、癇症のつよい荒れ馬を御すようなマシーンの印象に加味されていたかもしれない。
 もともと野性味を帯びたクルマだった。
 雄太の生き方に刺激をもたらす、ゴツイ自動車だった。
 いまは似ても似つかない原付自転車ホンダ・カブに乗っている。
 これはこれで人間の手足に近いシンプルさに面白みを見出してはいるが、やはり日本初の本格テスト・コース建設に関わった日々が、郷愁とともに思い出されるのだ。
 それだけに、切望していた施設の竣工に立ち会えなくなったことは、返す返すも悔やまれるのだった。
(頭を叩かれたぐらいで、任務を放棄した俺は、責められるべきだろうか)
 雨の首都高速道路でクルマを降りた状況を、何度も思い返していた。

 秋が終わり、初冬を迎えていた。
 雄太は、新聞仕分け場の真上に住んでいる。配送のトラックがバックで入ってくる音を聞いてから、身支度をし階下に下りていく。
 慣れたとはいえ、板の間の冷えは身に堪える。電気ストーブだけでは暖が足りないのだが、紙を扱う商売に石油やガス系の暖房器具はご法度のようであった。
 雄太は黙々と新聞を捌き、チラシ類を組み込んだ。
 オリンピックが終わって景気の反動が囁かれる中、安売りのチラシだけは増えている。
 無意識のうちに手を動かしながら、色とりどりに印刷された再生紙の角を指サックをした親指で引き出した。
 テストコースの現場では白い手袋に保護されていた指先も、いまは紙に擦れささくれ立っていた。
 思えば初めて谷田部の地に足を踏み入れてから、季節はいつの間にか一巡りしたことになる。
 自分の行為を自分に問うた迷いも消えて、雄太自身いまでは吹っ切れた気分になっていた。
「悔いはない。あいつに、現場をそっくり叩き返してやる」
 口にこそ出さないが、サイドブレーキを思い切り引いて決別を告げたおのれの行動を追認していた。
 雄太が目にした谷田部の変貌は、網膜に深々と刻み込まれている。
(あの人は、俺に憎しみを抱いている・・・・)
 神山の冷酷な眼差しが、後頭部に突き刺さったままだ。
 背後から平手で殴られた衝撃が、並みの力ではなかったことを、何度も確認していた。
 中途半端でなかったことが、むしろ雄太に踏ん切りを付けさせた。
 暴力の対象が、従姉だけでなく、雄太にまで向けられていたのは確実だ。仕事の場に、妙に陰湿な要素を持ち込まれた感覚が耐えられなかった。
 開拓者時代のガンマン同様、後ろから撃たれたから撃ち返した。
(俺はビリーザキッドだ)
 捨て台詞を残して、後ろも見ずに立ち去った。
 銃を向けられたら、抜く手も見せずに撃ち返すしかないではないか。世紀の早撃ちになったような快感が、彼を包んでいた。
 考えてみれば、自動車高速試験場の落成セレモニーに参加できないというだけで、実質的なコース完成を間近まで見届けたきた。
 寄せ集め組織の未熟さも余さず見て来たし、一方で活力に満ちた人間集団の汗のにおいを実感することもできた。
 さばさばした気分の中で、雄太の五感にしみこんだ感覚は、誰にも触れることのできない余禄のように残っている。
 三つ並んだ個室の右端が雄太の部屋、他の二つにはそれぞれ地方出身の青年が住み込んでいて、思い思いの生活を営んでいた。
 一人は店主お気に入りの夜学生、もう一人は休みになると関東近県の山岳ロードに乗り出す三歳年上のライダーだった。
 雄太はタイプの異なる二人の先輩を横目に、少年マガジンや少年サンデーを読みふけっていた。
 読むものがなくなると、記録を兼ねたスケッチブックを引っ張り出して、オートバイにまたがった革ジャン姿のライダーを描きとめたりした。
 外見だけでなく、男の体に刻み込まれた雰囲気が、みずみずしく匂い立つようだ。
 スケッチブックにとどめた日常生活の断片が溜まるにつれて、さまざまなキャラクターを持った人物が、雄太の心の中で動き出していた。
 おとなしく年を越し、春を迎えた。
 いつもどおり夕刊の組み立てをしているとき、三面記事の欄に気になる見出しを見つけた。
 <測量士の男が強盗未遂>
 記憶にとどめて、仕分けを急いだ。
 配達が終わってから、ゆっくり読もうと思った。
 販売店には、かならず余部がある。配達漏れや臨時の購読希望者に対応したものだ。
 また、破損や水濡れによる差し替えが生じることもある。二、三日は過去記事も手に入るよう配慮をしていた。
 

     
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2 コメント

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テンポアップ (丑の戯言)
2009-04-22 16:31:09
若い恋人が「いいのよ、自分の道を見つけて」のひと言、泣かせますねえ。青年は「ビリーザキッド」になった気分というのも、物語を引き締め、躍らせていて痛快です。

それにしましても、今回でこの物語が急にテンポアップしてきた感じです。そうなると、もうこの先どうなるかを楽しみにするばかり。
若人の息遣いを心地よく読ませてもらいます。
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ありがとう (tadaox)
2009-04-24 01:28:55
(丑の戯言)さん、コメントありがとう。
青春はとかく予測のつかないもの。
引き続き、よろしく。
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