
小布施再び・『高井鴻山記念館』を観る(4)
まずは、井戸についての説明文を再掲する。画像が小さいので、たぶん読み取れないだろうと思うからである。
<小布施は扇状地のため地下水が低く、井戸を掘ることが困難であった。村内の井戸は数える程しかなく、住民は日常川の水を用いた。
高井家の井戸は殊に水量が豊かで「上町の井戸」と呼ばれ、事あるごとに付近の住民に利用された。
ある年、松川の洪水で用水がかれ、住民が水に困っている時、この井戸水で風呂をたて、鴻山にすすめたところ、鴻山は「皆が飲み水にも事欠いている時、自分だけ風呂に入ることはできない」と家人をたしなめた。>
偉人の生涯には、よくこういった美談が付きまとう。
ちょっとした言動に尾ひれがつけられ、実像以上に大きく見せようとする無意識の作用が働くから、多少割り引いて考えた方がほんとうの姿に近づくのである。
しかし、この井戸に関するエピソードは、等身大の鴻山を伝えているものと確信する。
誰が言ったからということではなく、『井戸』に出合った瞬間、井戸がそう語りかけてきたからだ。
黒い瓦に、白い壁、凛とした柱が支える『脩然楼』の傍らに、ひっそりと佇む高井家の井戸。
東門から小路を通って水を貰いに来る村人に、あまり気兼ねのいらない中庭に掘られている。
「どうぞ、どうぞ」
家人か下働きか、温和な女性の声が聴こえてくるようだ。
井戸に寄り添う秋咲きの草花が、百数十年前の営みを想い出させるように影を揺らす。
移ろう真昼の陽光が、白壁に痕跡ともならない時間の跡を写しこむ。
誰も来ない静寂の刻を得て、微風の中しばらく立ち尽くしていた。
『脩然楼』(ゆうぜんろう)の展示物は先に紹介したとおりで、もっと画像を入れられれば好いのだが制約があってそうもいかない。
次は④の『碧い軒』(へきいけん)だ。
「い」の漢字=さんずい+けもの偏+奇・・・・なのだが、この小さな建物は天保13年(1842年)江戸から鴻山を訪ねてきた葛飾北斎のために造られたアトリエで、北斎はここに滞在して絵の構想と制作にあたったといわれている。
狭い空間と『脩然楼』との微妙な距離が、北斎の求めたものか、鴻山の配慮かは判らないが、いずれにしても稀代の天才絵描きが何もかも忘れて制作に没頭できる小宇宙という印象を受けた。
中庭を挟んだ反対側に、⑤の『歩廊』がある。文字通り屋根つきの細長い廊下のような場所で、ここには現在<六町祭り屋台、小布施風情>等が展示されている。
隣接するのが、⑥の『屋台庫』で、北斎の天井絵で有名な上町区の祭り屋台を収蔵していた庫である。
北斎の画稿が多数展示されていて、卓越したデッサン力に真実追究の迫力を感じた。
鴻山の画も見ることができ、かなりの技量にも思えたが、北斎の下絵をもとに描いたとされる作もあり、あらためて北斎の偉大さに圧倒された。
とはいえ、多方面に関心を抱き、いつも最善の努力を惜しまない鴻山の生き方が色あせることはない。
(つづく)
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