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小布施再び・『高井鴻山記念館』を観る(5)
北斎の下絵をもとに鴻山が描いたとされる画の中で、極彩色の四曲屏風<象と唐人図>はもっとも有名である。
北斎が江戸の見世物ででも見たのであろうか、象の巨大さが驚きと共に表現されている。
樹木との丈比べ、象使いとの大きさ比較、誇張というより目の当たりにした存在感の率直な表現であろう。
その下絵をもとに、鴻山は存分の筆づかいをみせた。
鴻山自身も象を見たことがあるのかもしれないし、そうでなくとも北斎の受けた感銘をわがものとする能力が備わっていたのであろう。
東門の入口通路を挟み⑥の屋台庫と向き合う⑦の『穀蔵』は、酒造のための籾を収める貯蔵庫の一つであった。
ここには、鴻山オリジナルの<妖怪山水画>が展示されている。
近頃は、水木しげる先生の妖怪マンガが引っ張り凧だが、円山応挙らの幽霊画とは別路線の、神韻たる妖怪画に開眼したのはどんな理由だったのだろうか。
何らかのヒントがあったものと思われるが、団扇絵として評判を呼んだ画稿がたくさん残っているから、鴻山の内面だけでなく世相や庶民の暮らしとの関係を調べてみるのも一興であろう。
京都遊学中に画を習得した鴻山は、山水画において高い評価を得ていたといわれるが、いつからか<無情のものである山河草木に憑依があって、妖怪に変ずる>との境地に達し、妖怪山水画の世界に入っていったといわれている。
深山幽谷に囲まれた信州にあって、人々は物の怪を身近なものとしていたに違いない。
現代のわれわれでさえ、風のささやき、木々の話し声を聴くことがある。深夜出歩く森の精に、背後からじっと見られた幼い頃の記憶もある。
人の世も無常、鴻山は目の前のことに情熱を傾けながら、幻のように過ぎ去る時代の非情を感じていたのかもしれない。
黒船の来航以来、騒然としてゆれる国の存亡を間近に感じて、要所要所で持てる財力を惜しみなく注ぎこんだ高井鴻山。
品川のお台場建設に協力したのも危機感の現れだし、その一方で維新に際して教育立県を強調し、自ら東京や長野に私塾を開いて教育活動に邁進したのも、日本の将来を考えての裏表一体の思想であった。
祖父や父に倣い、不作の年には窮民を救い、北斎をはじめとする文人墨客を招いて小布施を文化の香り高い地に育んだ。
記念館の端から端(①~⑦)まで見てきて、ついに最初にくぐった東門を出ることになった。
ここから『北斎館』に至る小路を、<栗の小径>と呼ぶのだそうだ。
たしかに小布施は栗の町、歩く道すがら実をつけた栗の木を多数見た。
小径に転がった毬(イガ)がぱっくりと割れ、真っ白の裏地を見せている。よく見ていくと、幸運にも艶々とした大粒の実が一つ拾い手を待っていてくれた。
「ラッキー」
ポケットに仕舞い、土産物店の角を曲がった。
(おわり)
高井鴻山という方のこと、毎回窪庭さんの懇切な文章と行き渡った観察眼で、まるで自分がそこに臨場するがごとくたっぷり愉しませていただきました。
前回の井戸を巡るエピソードもふくめ左右どちらの勢力とも隔てなく一人の人として交わっていく高井という人物・・・これこそ本当の自由人というものなのでしょうね。
どのような時代にも日本にはこういう真っ当な人間がいてくれたことに、誇りのようなものを感じます。
そしてどのような立場年齢になろうとも、変に成熟し収まりきったりせず、象や妖怪などに素朴な驚きを感じる感性に正直でいられる高井氏という人の生き方には、いろいろ教えられます。
シャッポを脱ぎます。
ありがとう。こういう人物を教えてくださったことに感謝です。
知恵熱おやじ
歴史の表舞台から一歩引いた位置で、真実を見極めようとした日本の<父性>に、感銘をうけています。
前回コメントをいただいた中に、「見返りを期待しない絶対意志・・・・」との表現があり、あらためて鴻山の大きさに気づかされました。
ありがとうございました。
この人物を浮き彫りにするとともに、その時代を温かい目で映し出し、言うことなしです。
画像も、先の「からくり」と言い、館と言い、今回の絵画と言い、惹きつけられました。
もっと画像の数が多ければと思うのは、わがままかもしれません。最小限に抑えてこそ、個々の映像効果が滲み出るのでしょう。
その画業においては、北斎の薫陶か影響を受けているらしいのも、心温まりました。小生は北斎の大ファンだものですから。
ともかく、信州の一角にこんなに魅力的で、考えさせられるスポットが現代社会にも息づいていること、とても大都会では及ばないことでしょう。
長編ルポ、ありがとうございました!
北斎の評価は世界が認めるところで、フランス印象派に与えた影響と共に、画業一筋の生き方ゆえに様々の奇行(?)も伝わり、興味が尽きません。
一方、今回『高井鴻山記念館』を観て、鴻山もまた別の意味で凄い人物だと思いました。
展示されている書画、思想、文化的業績を主に見たものですから、そちらの紹介に重点を置きましたが、彼の活動の背後には商売に徹する弟や番頭の陰の力があり、それらも含めた人間力でも真似のできない大物なのでしょう。
さしずめ北斎における娘の阿栄の役割を、鴻山は肉親、縁者に求めたのかもしれません。
大儀に生きる者とそれを支える者、それぞれの分を弁え、弁えさせた関係は、より人間臭く面白そうですが、別のジャンルということになりそうです。
ありがとうございました。
ちょっとした間違いなら気にしないのですが、これでは意味が正反対。訂正します。