宮城県の栗原から福島県の勿来へ嫁いだ佐藤ふみ子は、このところ夜中に胸騒ぎのようなものを感じて目を覚ますことが多かった。
正確にいうと、胸騒ぎというより右胸のあたりに得体の知れないものが這い上がってきて、ざわざわと蠢いているような感覚なのだ。
(まさか、ムカデじゃあんめいな?)
ふみ子自身はムカデなど見たこともないのだが、船乗りである夫が寄港地の東南アジアで出合ったという大ムカデの話が忘れられないのだ。
暗闇の寝室でひとり目を凝らすふみ子は、ひとまず夏掛けから手を出して胸元をさぐってみた。
洗いざらしの木綿の浴衣が、ざらっとした感触を指の腹に伝える。
はだけた肌まで指先をのばすと、乳房のあたりがしっとりと湿り気を帯びていた。
勿来は海に近いせいか、栗原とは比べ物にならないほど温暖ではある。
この夜も六月のはじめというのに汗ばむほどで、三ヶ月ほど前に航海に出ていった夫の手でぐにゅぐにゅと揉まれたときの興奮が蘇ってきた。
(やだあ、おらどうかしている・・・・)
顔が火照って恥ずかしいと思いながら、もうムカデの存在など頭の中から消えでいた。
しかし、何かしら異変を感じて目を覚ましたのは事実だから、それが不吉な夢だったかもしれないと数分前の記憶を確かめてみた。
電灯を点けると何もかもがかき消されてしまう気がして、ふみ子は身じろぎせずに闇の奥へじっと目を凝らした。
すると、それまで目を覆っていた闇が闇のまま一方向へ流れるのが見えた。
霧のように細かい闇の粒子が、蛇のようにうねり始めた。
それはおばばから密かに聞かされていた、栗駒山の地底深くに潜むという龍神の姿のようであった。
物心がつく前から刷り込まれた話が、ふみ子の中でずっと生き続けているのだ。
(あ、あれは?)
龍神に寄り添って身をくねらすのは、小さな龍であった。
もしかして、あれはリュウジではないか。
ふみ子が嫁ぐとき、おばばは自分で書いた呪文の札を帯に縫い込んで持たせた。
「ややこができても、龍神さんが守ってくれるからな」
言葉に反して、リュウジと名付けた初子は高熱を発して一歳半で死んだ。
遠洋漁業から半年ぶりに戻ってきた亭主は、がっかりした素振りは見せずに「また作ればいい」とあっさり言った。
ふみ子を気遣っているのか、逆に冷淡なのか、よくわからないところがあった。
ただ、亭主が見せた態度は、子を死なせてしまったことに責任を感じていたふみ子の気持ちを多少なりとも和らげてくれた。
「年に一度、盆には栗原へ帰ってこいよ」
嫁に行く日の朝、おばばがふみ子を見上げるようにして微笑んだ。
「そったらこと言ったって、相手先の都合もあるんだから気にすんなよ」
傍にいた母親が、すかさず打ち消した。
遠くへ嫁ぐ娘を思うと、少しでも負担になるようなことを避けたかったのだろう。
「はっ、おらだって好き好んで言ってるんじゃねえのに・・・・」
あの時おばばが呟いた言葉が、闇の奥で三味線の文化譜のようにのたうっていた。
(おらだって・・・・)
おばばが不満げに鼻をそばめた理由は、ふみ子にもなんとなくわかる気がした。
それはおばばが交わしたという、龍神との約束を思い出させたからである。
龍神さんはなんでも守ってくれるが、年に一度は栗原の地に帰ってこないと機嫌を損ねるという囁きだった。
ところが、嫁いだ先の義母が病気がちで、一日たりとも目を離すわけにはいかなかった。
遠洋に出かける亭主から、くれぐれもおふくろの面倒を頼むと念を押されていて、たとえ盆でも家を空けるわけにはいかなかったのだ。
そんなこんなで里帰りを果たせなかったふみ子は、長男の死に直面しておばばの要請が切実なものであったことを深く心に刻んだ。
(龍神さま、リュウジの名前をいただいておきながら、約束を守れずすみませんでした)
心の中で詫びながら、今度もまた男の子をさずけてくれるようにお願いした。
その願いが、どうやら聞き届けられたようだ。
出航前に激しく睦みあった亭主の子種が、三ヶ月たった今うずら豆のように膨らみ始めているのを感じることができた。
(今度こそ、約束を守ります)
ふみ子は早々と市役所の福祉課に出向いて、八月に義母を一週間ほど面倒を見てくれる家政婦の紹介を頼んだ。
その日のために内職で稼いだ賃金と、漁業組合から振込まれる分配金の一部を支払いに予定していた。
田舎に持ち帰る土産は、やはり海産物がいいだろうと心づもりをしていた。
勿来の駅前まで出れば、小名浜で水揚げされた鮮魚や干物を売る店がたくさんある。
帰省の前日に買い物をして、鮮魚は煮物や焼き物に調理する。
濃い目の味付けにしておけば、二三日は傷むこともない。
おばばと母が目を細めて喜んでくれるだろう。
近在から集まってくる兄弟や親類には、手土産に魚の干物をおすそ分けする。
まだ帰ってもいないうちから、久々の親族との再会に期待する自分の心持ちに、あらためて日頃の寂しさを反芻する思いだった。
普段亭主がいないことを当然と受け止めていたのだが、いったん里心が芽生えると、自分の置かれた立場があまりにも惨めに思えてきた。
一週間だけ義母から解放されるぐらいのことは、当然の権利だろうと自分に言い聞かせた。
いろいろと頭の中で思いを巡らすうちに、帰省の準備が明確になってきた。
栗原まで帰る交通の手段や時刻表も、ふみ子なりに調べて抜かりのないように整いつつあった。
あとは八月になって、実際に行動を起こせばいいようになっていた。
ところが、6月14日朝に予想もつかないことが起こった。
土曜日の9時前、ちょうど義母の食事が終わろうとしたとき、かなりの横揺れに見舞われた。
「地震だ!」
義母があわてて持っていた箸を味噌汁の椀に引っ掛けた。
幸い残っていた汁糟は僅かで、ちゃぶ台を汚したものの義母の衣服に飛び散ることはなかった。
「今の震度はどれぐらいだかな?」
地震に敏感な義母に答えるように、ちょうどテレビのワイドショーの画面でテロップが流れた。
震源地は岩手県奥州市と宮城県栗原市にまたがるあたりで、震度は6強と推定されるという。
リモコンでNHKに切り替えると、全面的に地震関連のニュースが流れていた。
各地の震度が表示されていて、いわき市では震度4ということであった。
「ここらは震度4だとよ。だけど栗原のあたりが震源らしくて、おら心配だ・・・・」
「おまえのところは近いのか」
「大土ヶ森の登りかけだ。昔は鉱山で賑わったとこなんだが・・・・」
気もそぞろで、オロオロするばかりだった。
「とにかく電話してみろや」
むしろ義母の方が落ち着いていた。
「そうだな、通じるか通じねえか、それが問題だ・・・・」
呟きながら、玄関の下駄箱の上にある黒電話に向かい、「あれ?」とか言いながら何度もプッシュボタンを押し続けた。
やがて、ふみ子は気落ちした表情で茶の間に戻ってきた。
「ダメだ、かからねえ」
おばばも母親もみんな古家の下敷きになってしまったような、悲惨な状況が眼裏に浮かんでいた。
「ああ、どうしよう・・・・」
リュウジのことが頭にこびりついているものだから、龍神の怒りはまだ収まらないのかとショックを受けていた。
「今年こそ、盆には帰ると約束したのに・・・・」
なぜ許してくれなかったのかと、龍神さまに恨み言を言いたかった。
「ふみ子さん、すぐに支度して栗原に戻りなさい。後のことは、おら一人でもなんとかなる。だから、戻りなさい」
義母が予想もしない言葉をかけてきた。
「だって、まだ家政婦も頼んでないし、お義母さんの面倒をみる人を急に見つけることなんてできないんだから」
ふみ子は驚いて義母の言葉を遮った。
「なあに、粥ぐらい自分で作れるさ。・・・・わたしも少々あなたに頼りすぎていたんだわ」
今までに見たことがないような柔和な表情だった。
これまでも表面だって仲違いしたわけではなかったが、嫁として献身的に尽くしてきたことに報いがないような虚しさを感じることはあった。
それが、こうした危急の場で情けをかけられ、急に目の中に涙が溢れてきた。
心配と安堵の気持ちがぶつかり合って、抑えきれない感情が激しく渦巻いていた。
(おかあさん・・・・)
目の前の義母にかけるべき言葉だったかもしれない。だが、嗚咽で言葉にはならなかった。
また、鉱山会社の食堂で長年賄い婦として働き続けてきた実の母親には、心配のあまり呼びかける言葉を探し当てられなかった。
(そうだ、細倉鉱山に問い合わせてみよう)
思いついて、もう一度電話機に向かおうとしたとき、テレビが岩手県と宮城県の一部で電話がつながりにくくなっていることを報道していた。
考えが輻輳すると、何も考えないのと一緒だと誰かに聞いたことがある。
たしかに、今は落ち着かなければいけない時なのだ。
二時間もすれば現地の状況がはっきりしてくるし、電話もつながるかも知れない。
報道各社のヘリコプターもすでに飛び立っただろうし、いずれ上空からの映像がテレビの画面を通してもたらされるだろうと推測された。
栗原は山地だから、十数年前に起きた阪神淡路大地震のような大惨事にはならないだろうと思われる。
しかし、一関や栗原など栗駒山一帯は昔から地震が多く、崖崩れなどの土砂災害が起きやすい場所として知られている。
ふみ子の実家は崖下に当たるような立地ではないが、古い木造家屋だけに震度6強では倒壊しても不思議のない揺れだったはずだ。
だが、再び不安が湧き起こる前に、ふみ子はいわき市の福祉課に連絡を取り、八月予定の家政婦派遣を前倒しで手配できないかと相談した。
当然、理由も申し述べなくてはならなかった。
今朝震度6強に見舞われた栗原まで実家の様子を見に行きたいのだと告げると、心配する気持ちはわかるが今すぐ行動するのは無理だと止められた。
道路状況もわからないし、交通機関が止まっている恐れもある。
それらが判明してから、ご実家に行かれてはどうですか。
その間に、家政婦協会に連絡しておきます。
個々の契約は当事者同士のことになりますが、市としてもできるだけのサポートを致しますので安心してください、ということだった。
その後、テレビの画面で栗駒山周辺で起きたいくつもの山体崩壊の現実を目のあたりにすることになった。
中でも一関市の山地に架かる祭畤(まつるべ)大橋の崩落現場は、目を疑うほどの凄まじさだった。
現代の最先端技術を駆使したであろう高架橋が、足元を掬われ途中でポッキリ折れて崩落しているのだ。
この瞬間にバスや自家用車が通行していたとすれば、谷底まで投げ出されてほぼ即死といった状況が想像された。
阪神淡路大地震のとき、高速道路の継ぎ目から危うく転落しそうになったバスの映像が網膜の裏でダブって見える。
(こりゃ、たしかに家までたどり着けるかどうかわからない)
それまで焦りまくっていたふみ子も、すぐに駆けつけるのは不可能と悟ったのだった。
その夜、ふみ子が床についたのは十一時を過ぎていた。
義母を寝かせつけ、風呂を使って寝間着に着替えるとたちまち睡魔に襲われた。
明け方、再び寝苦しさに目覚めると、この時もまたうねるように身をくねらせた龍神が、沈痛なうめき声をあげながら闇の粒子を波動させた。
「今度の地震は、わしのせいではないぞ。抑え込めなかったのはわしの力不足だが、みんながわしの力を奪っていったまま戻してくれないからダメなのだ」
ふみ子は、龍神の弱音を聞いて愕然とした。
自分だけでなく、閉山となった細倉鉱山の社宅からは何十所帯もの人びとが消えていった。
鶯沢町全体で見ればもっとたくさんの人が流出し、ふみ子の実家に近い文字放森(はなれもり)地区からも住民は減少する一方だ。
龍神の声を聞くことができるおばばだからこそ、ふみ子に龍神さまの思いを伝えることができたが、この地を去ったたくさんの人びとは気づいていたかどうか。
かつては盛んだった田舎神楽や有名な山伏神楽でさえ、年々祭りの勢いは衰えているのだ。
それもこれも余所へ出て行った人びとが、盆の先祖供養にさえ帰ってこないで平気でいるからだ。
念じる心が衰退すれば、異能の魂に集まるエネルギーも減少する。
龍神とて同じこと、力が衰えれば地下深くで暴れる地霊も抑え込めなくなる。
「龍神さま、ふみ子はリュウジの位牌を持って近々帰ります。ですから、どうかおばばや母に罰を与えないでください」
今度生まれてくる子には、もう龍神に因んだ名前はつけまいと思った。
(リュウジの魂は、里帰りした機会に位牌とともに坑道のどこかに収めよう)
腹の中のややこは、どんな困難があろうともすべて自力で育てていくことを決意するのだった。
(おわり)
(2015/06/21より再掲)
参考=奥州市・栗原市地震による山体崩壊の画像
(橋梁崩落)
私にも父母が待ち望んでいた”年に1度の里帰り”が出来なかった時期がありました。
年齢的にも仕事上最も忙しい時期で、結婚して子供も出来て・・・
多分、竜神様も怒っていたと思います。(-_-;)
そういえば熊本地震も凄かったですね。
断層の規模は想像を絶するものでした。
広域地震とは違った被害で、のちのちまで復興が進まなかったですものね。
こういう地域限定で起こる地震は「竜神」に例えられるかも。
コメントありがとうございました。