『辺見庸の起承転結』
とりあえず辺見庸の出発点は、共同通信社の記者時代にあった。
彼自身が述べているところによれば、入社したのは「父親も新聞記者で、ある意味、知らない職業ではなかったから」ということである。
当時、反体制の若い人たちの間では、「まともに就職するヤツはおかしい」と思われていた時代で、入社したことについて安心感と同時に失意もあったという。
入社早々支局の警察担当になり、公安事件や爆弾テロの取材に没頭したそうだ。
取材相手は連合赤軍など彼と近似的な若者たちで、「それを警察を通して取材するという構図は、自分の体内に深い断層をこしらえましたね」と述べている。
体制側に立ってみて分かったのは、新聞と、政治や警察など権力とは対立した関係ではなく非常に融和的であるということ。
「ジャーナリズムを信じていたわけじゃないけど、シラケましたね・・・・」といっている。(以上2011年11月14日付夕刊紙)
さて、同じ記者時代のことを哲学者高橋哲哉氏との対談集『私たちはどのような時代に生きているのか』では、次のようにいっている。
「・・・・近年、出来事のリアリティーが見えなくなってきている。換言すれば、隠ぺいが非常に上手になったということです」
マスコミの会社に入社して以来ずっと感じてきたのは、むき出しの風景が少なくなってきたということ。
原質を隠す役割をいつのまにか自分がするようになっていたりもする。
そこから想像力の射程を延ばし、世界のマチエールを表現し、出来事のリアリティーをつかんでいくのは至難の業になっているという。
辺見庸の仕事は、どのようなジャンルであっても、隠ぺいを暴き、事の本質に迫ろうとする行為である。
欺瞞と策略に満ちた世の中にあって、コトバという刃を以ってさまざまな事象を腑分けし、われわれの目の前に突きつけてくる。
起承転結に則していえば、「中学生の頃の夢は刑事になること」だったそうだが、結局成就したのではないか。
足で歩き、社会や人間の隠ぺい欺瞞を暴く言論のデカになって、影響力を与えている。
記者としては中国報道で日本新聞協会賞、小説では『自動起床装置』で芥川賞、つづいて『もの食う人びと』で講談社ノンフィクション賞。
他にも詩集『生首』で中原中也賞、『眼の海』で高見順賞など、評価はとどまるところを知らない。
ただし、このような受賞が辺見庸にとってどれほどの意味を持っているかは分からない。
評価されて嬉しくないことはないだろうが、あるいは体制の演じる茶番と受けとるかもしれない。
前回も引用したが、照れとも本気とも両様にとれる中原中也賞受賞の際のあいさつ文がなんとも面白いので、再度掲げておく。
「高名な夭逝詩人の名前を冠した賞を、流連荒亡をかさね、 彼よりすでに二倍以上生きて、ここまで老いさらばえた私が頂戴するというのは、なにか道理がたたないような、筋がとおらないような想いがいたします。
いつわらざる内心の声は「よせやい!」でありますし、中也も同じヤジを天国から飛ばしていることでありましょう。
ただ、生きているとこんなこともあるのだな、という引き攣ったようなおどろきもなくはなく、今夜もまた埒もない詩をひとつこしらえようとおもったことです。言祝ぎ、言祝がれるのをきっぱりこばんだはずの詩集『生首』が言祝がれるとは、まことにこの世は面妖であります。」
2004年3月に脳溢血で倒れ、現在は闘病中だが、どうも普通の病人ではなさそうだ。
NHKのEテレの映像などを見ると、歩行障害などかなりの後遺症が残っているにもかかわらず、その眼光と言葉の訴求力には衰えがない。
もっとも「病気の後、書くものは少し変わったように思います。書こうとしている方向性は変わっていないけど、静かに書こうとしてはしていますね」とのこと。
若い頃はアジテーションとかメッセージを入れたがる癖があったが、今はそれを消そうとしているそうだ。
脳溢血の後、がんもみつかり、「死ぬことを頭の中では考えるが、体の奥底で考えることはない」と語る。
年をとり、欲は減ったが、「ええの、書けないかな」という欲望は残っているという。
短い文章でもいい、納得のできる文章を書けない限り、自分を作家だと認められないと自分に厳しいのだ。
辺見庸の作品に出会うたびに衝撃を受けてきた身としては、静けさを増した文章の醍醐味をじっくり味わえたらいいなと大いに期待している。
(おわり)
にほんブログ村
三菱重工爆破事件・確定死刑囚大道寺将司の全句集『棺一基』の刊行に、自らの体の後遺症を押してまで奔走する逸見さんを追うTVドキュメントも見ましたが、これはと思い定めると自らの作品だけではなく他の人についても同じなんですね。逸見という人は。
窪庭さんの凝縮された記述で、あらためて逸見庸の厳しさを思い知らされました。
しかしこういう誰にでも出来るようなことではない厳しい生き方は、いつか自分のこころと肉体に何らかの形で戻ってきて深い傷を与えますね。
だからこそその文章は読むものに、ただならない震えのようなものをもたらすのでしょうが。
さて記者時代、取材を通して出合ったポルポト勢力による虐殺(白骨死体)、連合赤軍の容赦ない内ゲバ殺人・・・・そういう不条理を目のあたりにしたときの経験を、彼は「目を焼かれた」と表現しています。
それでいて「経験主義には絶対くみしたくありませんよ」と念を押す。
「問題はやはり、どうやって自分の記憶のなかにリアルな出来事をちゃんと着床させ、深めるかでしょう」
本や記録を読んで追体験するのではなく、身体的記憶として受けとめる、それが知恵熱おやじさんのいう<辺見庸という生き方>なのだと思います。