新島襄がここから密航したとw
1ヵ月半の函館滞在も最後の日となりました。通い続けた蕎麦屋、町中華、喫茶店、
そしてもちろん酒場、寿司屋、バーのみなさんともしばしのお別れです。一見の
旅行客と違って、長期滞在で繰り返し店に行くと顔や名前を憶えられたり、「花粉症の
人」だと認知されたり、情が移って少しばかり別れが寂しい。
街中は去年からほぼ歩き尽したので、散歩するのはほとんどこのベイエリア。そして
今回の滞在では森、江差、汐首とあっちこっちに一日がかりのバス遠足をしましたね。
たくさん本を持ってきたのだけれど、毎日いろいろあってカンヅメになってたくさん
読むほどにはなりませんでした。
2月14日にやってきて、雪が全然ないのに驚いた。一度吹雪いたときがあったけれど、
それも数日で溶けてしまいほとんど雪景色は見ませんでした。去年より来るのを
10日早めたけれど、花粉症はなんと12月から始まった。来年はもう1月から来るべき
なのか?ここの最後の1週間は暖かい南風が吹いたらやっと治まっていた症状が
ま~た始まった。まだ雪の残るうちくらいに北に逃げねばなるまいか。
ここは一番のなじみになった弁天寿司。最後の夜はここで大将とカウンターで飲む。
俺が十字街に住んでいると聞いたら、大将は近くにある喫茶店によく行くので
そこを紹介されました。行ってみると「花粉症の人が東京から来ている」とすでに
話をされていました。そこのママさんと仲良くなると、「こんどは二人で来て♪」と
言われ、大将と待ち合わせて行ったのでした。すると大将は俺がよく行く英国パブの
ママさんを誘っており、なんと4人そろったのでした。楽しいおしゃべりをしましたが、
俺が行く店の3人が一堂に集まるなんて不思議な感じで面白かったですよ。
そして最後の夜はここに来たわけですが、他の客が帰る頃、大将はカウンターの横に
座って一緒に飲み始めた。去年もこうなったわけですが、飲み過ぎて記憶をそこで失い、
翌朝アゴに裂傷を負って血だらけで目覚めた。何が起こったのか、怪我をしたのは
店を出てからなのか、どうやって帰ったのか全然わからない。
去年の9月に一泊だけ函館に寄ってこの店に来ましたが、そのとき大将は最後の晩の
ことをひと言も触れなかった。永遠の謎だと思っていたのだが。。。
ひょんなことから真相がわかりました。大将はどんな顛末になったのか、詳しく語って
くれたのです。詳細は省きますが、大将が泥酔した俺をタクシーに乗せて帰してくれた
そうです。。。 「なんで9月に再会したときに言ってくれなかったの?」と聞いたら
「言えないよー!もう懲りて来ないかなと思ってたんだよ」とおっしゃってましたw
こっちだって、寿司屋を出てどこか違う場所でトラブルがあったのか全くわからないん
だから、わざわざ自分から言えません。ま、大事に至らなかったことで幸いです。
だいぶご迷惑をおかけしたのですが、大将は笑って楽しい思い出だと言ってくれました。
だから今回は「冷酒はよそうな」と言って、控えめに燗酒にして、タクシーで見送って
くれたのでした。
また来年ねー!