さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

宮崎滔天と、息子夫婦・龍介と白蓮 31

2015年04月28日 | 九州シリーズ



「草枕」の舞台となった小天にある前田案山子の家を見ました。案山子は熊本藩の
名士であり、自由民権運動の創始者のひとりで、その家には中江兆民や植木枝盛、
また中国から孫文をはじめとする、多くの活動家たちが訪れたことは前述しました。

前田家にまつわる自由民権運動の活動家のひとり、宮崎滔天は、アジアがヨーロッパ
の列強国に侵略されつつある当時の状況を憂慮し、その危機を脱するには東アジア
文明の中心である中国が、自由民権を保証されたしっかりした近代国家として独立
することが必要であると考え、何度も中国に渡って革命運動を支援しました。また
東京でも亡命してきた孫文や蒋介石という大物を援助したのです。孫文は「中国革命
の父」と呼ばれる中華民国臨時大統領、蒋介石は孫文の後継者で、中華民国の
統一を果たした初代中華民国総統です。

その滔天が、前田家の3女、槌(ツチ)さんと結婚しました。上の画像の中央に立つ
女性です。「草枕」のヒロイン・那美さんのモデルとなった、豪傑才女・卓(ツナ)
さんの妹です。生まれた息子が宮崎龍介、上の画像の一番左です。

その龍介が、炭鉱王である伊藤伝右衛門の奥さん、7歳年上の燁子(白蓮のことで、
「あきこ」と読みます)を奪ってしまうのです。(上の画像で龍介と槌さんの間に
立つ美女が白蓮さんです。前に立つふたりの子供が、龍介と白蓮の長男、長女)
大正天皇の従妹にあたる白蓮が、旦那さんへの絶縁状を新聞に出したりするもの
だから、当時最大のスキャンダルとなりました。。。そのときは「姦通罪」、
すなわち人の旦那さんや奥さんと関係を結ぶと罪になる法律があったのですw

親父の滔天は画像に入っていませんね。まあほとんど家には寄りつかない国際的
活動家で、子供のことなど一切関知しなかったようです。お嬢様育ちの槌さんは、
生計を立てるのと子育てで苦労したとか。家族には無責任だった親父さん、新聞に
白蓮さんの絶縁状が出ているのを見て、息子の龍介には「いいのか、お前、こんな
ことをして…」と言ったらしいです^^;

そんな波乱の人生を送った龍介・白蓮夫妻ですが、中華民国の成立に力を貸した
宮崎家の家族ですから、何度も国賓として招待されているのです。1956年には、
孫文誕生90年の祝典があり、このご夫妻は招待されて、毛沢東や周恩来と同席した
んですよ。



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