さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

久保田城址の佐竹資料館へ

2016年07月03日 | 東北シリーズ



ここは久保田城址に造られた藩主・佐竹氏の資料館。入ってゆくと、例によって受付で
「お、きたっ!」と反応されるくらい、いつも空いている施設です。



このサイズの展示室が2つあるだけ、という小さな資料館。



でも、なかなかいい水墨画などを置いてありました。

  

これもなかなかいいよねェ。



さてさて、久保田城の址に向かいます。このお城は1880年の大火でほとんどが
失われたそうです。



ホレ、このとおりな~んにもありません。しかし1880年というと、イザベラ・バード
が来たのはその2年前だったから、そのときはお城があったはず。しかしどうやら
その頃には、ほとんどが廃墟になっていたようです。

廃藩置県があってから、お城には県庁が入ったことがあるようですが、それも短い
間で、廃墟になりつつあったお城など、彼女には関心がなかったのでしょう。
それよりも彼女は、明治に入って新しく西洋文化を取り入れながら造られた病院、
師範学校、絹織物工場などを訪れています。


イザベラ・バード、師範学校を訪れる

 
秋田という東京から遠く離れた僻地で、公共の建物だけは立派な庭がついており、そこには広い道路が整備されており(これは明治の近代になってようやく整備され始めた。何せバードは「道なき道」をやってきたのである)、その両側は石造りの土手になっている。なかでも師範学校は、素晴らしい建物であるとバードは感動しています。

 
師範学校設立は、おそらく明治政府がもっとも重視した政策のひとつでしょう。なにせ黒船がやってきて、日本は近代化がとても遅れていることを痛感した。それには国民の教育レベルを上げることが大切で、すべての子供たちを学校にやるには、膨大な数の学校と教員が必要であり、その教員養成機関を日本中に作らなければならなかったのです。それも立派なやつを。

 
優秀な学生を確保するには、貧しい子供たちにも開かれていなければならない。だから卒業後に教員になることを条件に、授業料がタダ!そうすれば日本中の子供たちが師範学校に入るために一生懸命勉強するでしょう。これだけ豊かになったのに、いまの日本てばなあ~!国立大学だけはタダにしろってば、ねェ。

 
さてバードは最初、訪問をすぐに受け入れてもらえません。パスポートを提示して、旅の目的を説明してようやく入れてもらえるのです。日本のお役所的高慢さに、バードはしばしばイライラするのです。

 
いざ会うとなると、校長先生と教頭先生が出てきて、バードを”lionise”します。「いやいやどうも、お近づきになれて光栄の至りでありますぅ」というような意味です。そのカッコウは慣れない洋服を着ているものだから、「猿みたいだ」と痛烈なお言葉。

 
校長先生はバードの日本語ぐらいひどい英語で話そうと一生懸命になり、その「グロテスクな試み」をようやくあきらめて、イトウに通訳を任せることになります。無理な背伸びが滑稽だったのですね。



コメントを投稿