さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

南三陸語り部バスツアー

2025年01月14日 | 東北シリーズ


ホテルが主催する震災語り部バスツアーに参加しました。朝1時間ほどの予定です。
時間になって行ってみると、なんと参加者は私ひとりでした。運転手さんと語り部
さんの3人。「いつもはこんな少なくはなく、今までに46万人も参加してくれたの
ですよ」とのこと。


まず最初に南の被災地に。町だったけれど、津波ですべて流されてしまったエリアに
バスは止まります。あの高台にある住宅までも被災したとか。津波が恐ろしく
高かったので、まさかここまで、と思うような高台からさらに奥の山を登って
上の神社に人々は避難していたとか。


高台にある以前は中学校だった校舎。いまは公民館になっています。当時は避難場所に
なっており、ここまでくれば安全と思っていたところ、やっぱりここにも津波が
来たのです。この右手が海なのですが、津波はこの高台をぐるりと回って、なんと
反対側の山のほうから押し寄せてきて犠牲になった人もいたそうです。。。

時計が14時48分で止まったままです。地震の2分後に停電し、そのままになっている
そうです。語り部さんはそのときもホテルに勤務しておりました。ホテルには沢山の
人がいましたが、しばらく電気が停まっていたので大変な思いをしたそうです。
生活用水にもすごく困ったとか。

ホテル観洋は海に面しています。地震後に、すごい引き潮があってホテルの前の
海底が見えて、そのときの写真を見せてくれました。ぞっとする写真です。これは
津波が来るなとわかって、上の階に逃げたそうです。


昨日離れたところから見た高野会館にやってきました。ここはホテル観洋の持ち物
だそうで、それで残されることになったとか。


屋上まで津波がきたのです。津波がくるだろうと思ったスタッフさんたちは、
利用客の人たちに外に出ず上に逃げるように指示。それで多くの人たちがぎりぎり
助かりました。すぐ隣に病院があり、そこは水没。多くの人たちが犠牲になり、
ベッドに乗ったままの病人が流されていくのも見えたそうです。


「出そう」ですよね。。。


昨日遠目に見た防災庁舎も見ました。ホテルに帰って新聞を見たら、被災した姿の
庁舎を残すかどうかで議論になった記事が出ていました。大槌町の旧役場も被災した
姿を残すかどうかで意見が真っ二つになっていましたね。これは全く難しい問題です。

最後に語り部さんは、自分は気仙沼から来てこちらのホテルで働いていたが、
震災時はあちらに家族がいて、数日間は電話も通じないし安否がわからない状態
だったと話しました。「それでどうだったのですか?」とはこちらからは聞けない
ですよねえ!少しドキドキしましたけれど、最後に「みんな無事だった」と聞いて
ほっとしましたw こういうのを引っ張っちゃダメですよォ~



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