『豊中・吹田今昔写真帖』が入っていますと千里山・佐井寺図書館から電話のお知らせがありましたので、立派な重い本ですが早速に借り出しをして一覧しました。
以前出版社の編集者が来られて写真探しの何かお手伝いをということでしたが、なかなか旧い写真を集めることは難しくお役に立てなかったこともあり、千里山関連の写真が少ないのは今になってみれば残念です。昭和32年の当時は終着駅であった頃の千里山駅の写真(野口昭雄さん提供)と、千二小学校関連の3枚そして関西大学関連でも3枚の写真が、現在の街並み風景と対比されるように掲載されています。
千里山以外でも吹田・豊中の多くの写真を見てみますと、全てが何処かで見たことがあるような街並みと人々の姿です。戦後の復興から高度成長期を経て現在にいたるまでに、いかに都市への人口の大移動が行われたかが実感として分かります。それ以前の写真は大阪近郊の和洋折衷の田園都市とはいえ、僕の故郷の徳島でも馴染みのある風景と営みそのもののように思われます。以前に『千里山70年のあゆみ』に掲載された旧い写真を通じて、一気に千里山が身近に感じられたことも想い出しました。
尚この『豊中・吹田今昔写真帖』には千里山西にお住まいの吹田郷土史研究会の佐々木進会長が共同監修・執筆をされております。また直ぐに返却をしておきますので日曜日にでも図書館にお出かけ下さい。
以前出版社の編集者が来られて写真探しの何かお手伝いをということでしたが、なかなか旧い写真を集めることは難しくお役に立てなかったこともあり、千里山関連の写真が少ないのは今になってみれば残念です。昭和32年の当時は終着駅であった頃の千里山駅の写真(野口昭雄さん提供)と、千二小学校関連の3枚そして関西大学関連でも3枚の写真が、現在の街並み風景と対比されるように掲載されています。
千里山以外でも吹田・豊中の多くの写真を見てみますと、全てが何処かで見たことがあるような街並みと人々の姿です。戦後の復興から高度成長期を経て現在にいたるまでに、いかに都市への人口の大移動が行われたかが実感として分かります。それ以前の写真は大阪近郊の和洋折衷の田園都市とはいえ、僕の故郷の徳島でも馴染みのある風景と営みそのもののように思われます。以前に『千里山70年のあゆみ』に掲載された旧い写真を通じて、一気に千里山が身近に感じられたことも想い出しました。
尚この『豊中・吹田今昔写真帖』には千里山西にお住まいの吹田郷土史研究会の佐々木進会長が共同監修・執筆をされております。また直ぐに返却をしておきますので日曜日にでも図書館にお出かけ下さい。