続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

アートテラーさんを応援する。

2012-03-24 06:55:02 | 日常
 アートテラーさんのブログは欠かさず見ている。
 建築、絵画作品、立体・・・なんでもござれの関心度の高さ。ごく平たい視線の中の細心の注視にはいつも驚かされている。

 普通の中の普通でない生真面目・・・。
 平塚市美術館、横須賀美術館、神奈川県立近代美術館にも訪れた様子・・・何処へでも足を運ぶ探究心には脱帽。わたしに彼ほどの行動力があったとしても、とてもあそこまで観察する根気がない。(行動力にしてほぼゼロ状態)

 スゴイよ、偉いよ、普通じゃないよ。
 美術系の雑誌が一般的でなくなった昨今、学者のような専門家は別として、美術史家とか評論家は育ち難いのではないか。美術の門戸を広げるアートテラーさんの活躍を期待したい。

 山梨県のツアーだって参加したかったし、浅草にも行きたいと思ったけど・・・行動力ゼロのわたし。


《でも、アートテラーさんの活躍、ご発展を心から願っています!》

写真展。

2012-03-24 06:14:25 | 日常
 雨の中、義兄と姉さんたちが迎えにきてくれて文化会館へ写真展を観に行ってきた。

 義兄の趣味、カメラは自ら現像するほどだけど、デジタルになった現在はどうなのか・・・。とにもかくにも毎年恒例の写真展だと思ったら、もう一つ別のサークルに入ったので、恒例の方は来月再びあるのだという。

「昇陽」と題した燈明堂からの景色。早朝からカメラを構えて何時間もそこに佇む義兄が目に浮かぶ。同好会の誘いであちこち出かけては写真三昧の日々らしい。
 人は撮らない・・・というか撮れない。夫と同じで人と話すことが苦手なので、花や景色が主対象。

 それにしても義兄の写真への入れ込みようには感心してしまう。展覧会場へは昨日も来たと言っているのに、一枚ずつ熱心に見て廻る様子から・・・明日も・・・期間中はなんども足を運ぶらしいことも察しがつく。


 何に対しても関心が薄いわたしなどは理解できないくらいの熱心さ。

 会場内で見ていると「それはわたしに作品です」と近づいて説明してくれる人もいて、ただぼんやり見ている自分が恥ずかしくなってくる。



《もっと熱意を》わたしの日常生活の中でもっとも欠けている熱意を教えられた写真展でありました。

『風の又三郎』268。

2012-03-24 06:03:14 | 宮沢賢治
少し行くと一けんの藁やねの家があって、その前に小さなたばこ畑がありました。たばこの木はもう下のほうの葉をつんであるので、その青い茎が林のやうにきれいにならんでいかにも面白さうでした。

☆照らす光が溢れている。
 光に化(形、性質を変えて別のものにする)ける全ては消える。
 将(あるいは、もしかすると)鬼(亡霊)は過(あやまち)を抱いているが、陽(太陽)の精(こころ)を敬うことで淪(しずむこと、落ちぶれること)を免れていると吐く(言う)。

『城』770。

2012-03-24 05:38:54 | カフカ覚書
「測量師さん、餞別にまだ申し上げておかなくてはならないことがありますわ。なにしろ、どんなごりっぱな演説をおぶちになろうと、また、お婆さんのわたしをどんなにくそみそにおっしゃろうと、あなたは、なんと言ってもフリーダの未来の良人ですからね。

 どんな/welche→Welt/世界、現実。
 くそみそに~/beleidigen→bereirigen/(誤解などを)解決する。

☆測量師(土地の無いことに気付いた人)さん、まだ方法のことで申しあげておかなくてはならないことがあります。予感かもしれませんが、現実の話です。古来から自由であるわたし(天の番人)の(誤解を)解決しようとしているあなたは(K)は、なんといってもフリーダ(平和<自由)の来たるべき(未来)の人間ですからね。