続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

さようなら。

2012-06-30 07:23:39 | 日常
 突然の訃報。
「ちい散歩」の地井さん、いつも見ていた、空想の中の友達。そのくらい親しみのある、距離の近い印象だった地井さん、降板してからは気が抜けてがっかり。

(何の病気なの?)
 番組を降板されたということは、もしかして重病なの?まさかね、あんなに元気に歩いている地井さんが病気だなんて有り得ない。きっぱりした性格だから番組も降板したのに違いない。《一日も早く良くなって》そう思っていたのに、急いで向こうに逝っちゃうなんて、信じられない気持ち。


 心不全・・・。

 歩こう会でも、元気な人が「もう歩けないわ」と弱音を吐く事がある。こっちは足の不具合を押して歩いているのに。
 毎日早朝散歩を心掛けて、足には自信があるという友人の弱音。(どうして?)

「心臓がね、バクバクいって・・・」と、辛そうにしていた事がある。
 
 日常生活において心臓の存在を気にする事はほとんどないけれど、ある日、突然、心臓に異変が起きる・・・。悲しく辛い事実だけれど、生きて在る以上、あらゆる事故は想定内なのかもしれない。


 それにしても淋しい地井さんの逝去・・・「さようなら」地井さんを思って、わたしはまだもう少し歩きます。

同志!

2012-06-30 06:37:33 | 日常
 四人会の帰り、たとえ一停留所でもと歩き、焼木坂バス停で立っていると、向こうからわたしを見て笑みを浮かべて近づいて来た人がいる。近ごろは著しい視力低下のため判別が難しく(誰?)と思うことがママある状態。

 近づいて先日「歩こう会」にゲスト参加したYさんだと分かった。Yさんはサークル仲間の友人で、顔見知りである。
 集合場所に向かう電車の中で彼女は、
「今は東海道を順次歩いているし、三浦半島一周にも参加している。で、この会にも出てきたわけ・・・」
「・・・ええっ!(絶句)」だって、だって・・・。
「そう、以前歩けないことがあったから、今は頑張って歩いているの」
(わたしも歩けなくなって、整骨院のお世話になっている)

「すごいわ、(すご過ぎる)」と、わたし。


 そのYさんである。
「で、どうしてここへ?」二人同時に同じ疑問、笑ってしまった。
「今日は、本当は『半島ぐるり一周』の予定日だったけど、天気予報が雨だったから、お休みになってしまったの。だからYRP野比駅までバスで行って歩いて来たの」という。

(だからって・・・ひとり歩き、頑張り過ぎ)


 でもよく分かる。子供は息子さん一人、頼りの息子さんはお嫁さんの実家近く(他県)に住んでいて、いくら優秀なお嫁さんでもと気持ちの整理に戸惑いを見せている。

 確かにね、子供の伴侶は親に嫁いでくるわけじゃない。実の娘ほどの親密感もすぐには生じない。今の時代、親の権限なんてものは微塵に打ち砕かれて影もない。息子を持つ親は遠慮がち・・・。


《ならば、親は自立し、自分というものを自分で頑張るしかない》
 気力の続くかぎり頑張るしかない!

 Yさんが一生懸命歩くには、彼女なりの理由と覚悟がある。わたしも爪の垢でも煎じて飲めばいいのだけれど、彼女ほどの活力はない。ただ、覚悟だけは同じ、彼女は同志である!

『城』868。

2012-06-30 06:13:56 | カフカ覚書
彼は、ソルディーにと言ってイタリア人ですが、事情に通じているわたしから見ても、彼ほどの能力にめぐまれた人物がなぜいつまでも下っぱと言ってよいほどの地位にとどまっているのか、理解に苦しむほどです。

 ソルディーニ/Sordini・・・Sol/太陽神の暗示だと思う。
 ein→Ahn/先祖。
 イタリア人/Italiener→Itzig/ユダヤ人。
 下っぱ/untergeordnetetesten→enden ordnen testen/死ぬ、整理する、検査。

☆彼は太陽神として名高く、先祖のユダヤ人ですが、神聖であり、わたしから見ても彼ほどの能力に恵まれた人物が死の整理の検査の立場にとどまったままでいるのは理解に苦しむほどです。