続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

「歩こう会」に助けられている。

2014-07-02 06:25:38 | 三浦半島
 今日は、京急浦賀駅に集合。
(ああ、歩けるかな・・・不安)

 だらしなくみんなの後を付いて行くわたし。先頭を切って歩いていく人たちには《なんてだらしない奴なんだ、お荷物だってこと気がつかないのか》と、思われているのではないか。

(ああ、嫌だ、いやだけど、やっと何とか来ているんですよ)といった態度に、《来なくたっていいんだよ》と言いたいのを我慢しているのではないか・・・。

『歩くのが好きだから三浦半島一帯の近場を廻って楽しく散策している』そういうグループである。
(なのにリハビリ感覚で、のろのろよろよろ着いて来る不届き者がなんで混じっているんだ?)客観的に見ると確実にそういう立場のわたし。

 や、止めようか、(何度か考えたことがある) でも、もう少し・・・万が一、百才まで生きることがあったとして三十年余りを家の中で這い廻るのは、あまりに悲惨で辛い。


 嫌がられても、嫌われても(そこを何とかお願いして)着いて行くべきか、いえ、「是非着いていかせて下さい!」と懇願するレベルかもしれない。


(やっと来ているの)という顔はご法度、(参加させていただいてありがとう)この気持ちを貫きたい、本心なのだから素直に感謝したい。

『ポラーノの広場』384。

2014-07-02 06:19:57 | 宮沢賢治
 あかりをつけてゐる家があるとそのおぢいさんはいちいちその戸口に立って叫ぶのでした。

 家はカと読んで、化。
 戸口はコ・コと読んで、己、講。
 立ってはリツと読んで、律。
 叫ぶはキョウと読んで、経。


☆化(教え導く)己(わたくし)の講(はなし)の律(基準となる決まり)は、経(不変の真理を説いた書物)である。

『城』1670。

2014-07-02 06:05:52 | カフカ覚書
フリーダは、それでやっと気持ちを落着けて、シュミーズとスカートを着ただけの恰好のまま、平行棒と木馬でこしらえた囲いのなかからとびだして、せめてテーブル・クロースだけでもとりもどして、これ以上よごされるのを防ごうとした。


☆フリーダ(平和)は、それを何とか理解したが、不信心者や女たちが囲いから飛び出したのを覆い隠し、これ以上の混乱を防ごうとした。