続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

緑のカーテン。

2014-07-18 06:25:30 | 日常
 夏の恒例、緑のカーテン。
 ここのところゴーヤを数年続けている。実はすでに三本を収穫、次々になるところを見るとゴーヤに限り連作の心配は無用なのかもしれない。
「苦さをとってくれれば食べられるんだけどな」と、夫。無言でわたしばかりが食べている。
「どこかへあげたら」というけれど、好き嫌いが多い食品、むやみに「どうぞ」というわけにもいかない。

 ゴーヤを思いっきり食べると、(痩せる)・・・この思いがわたしを支えている。
 かつて鈴木その子さんの著書『痩せたい人は食べなさい』を読んで感動したことがあるけれど、「肉は湯通ししなさい」など結構手間のかかる食べ方だったので、いっぱい食べる前に疲れてしまい長続きしなかった。
 ダイエットを意識したことはなかったわたし、でも、ふと気付いたら(ほんの少しだけれど)痩せていたと実感できたのはゴーヤを無茶食いした結果だけ。だから・・・今夏も。(えへへ・・)

『ポラーノの広場』400。

2014-07-18 06:10:53 | 宮沢賢治
「デステゥパーゴさん。しばらくでしたな。」
 デステゥパーゴはぎくっとして棒立ちになりましたがわたくしを見ると遁げもしないでしょんぼりそこへ立ってしまひました。
「ファゼーロをたづねてまゐったのですがどうかお渡しをねがひます。」
 デステゥパーゴははげしく両手をふりました。
「それは誤解です。あの子どもはわたくしは知りません。」
「いったいそんならあなたはなぜこんなところへかくれたのですか」
 デステゥパーゴはまっ青になりました。


☆某(なにがしかの)律(きまり)が現れる。
 惇(まこと)の図りごとは、霊(死者の魂)の趣(考え)を語(ことば)で開くことであり、語(ことば)で解(問題をとく)試みは緻(細かく)省(注意してみること)である。

『城』1686。

2014-07-18 05:57:53 | カフカ覚書
 むろん、子供たちをおもしろがらせるために言ったのではなかった。子供たちのわめき声や笑い声は、もうとどまるところを知らず、これ以上さそいの水をかけたり、油をそそいだりする必要はなかったし、なにか言ったところで、言葉が聞えるわけでもなければ、反響をよぶわけでもなかった。


☆むろん、子孫のためなどではなく、噂(悪評)はとどまる所を知らず、これ以上の誘因、あるいは刺激(促し)は必要なかったし、言葉を貫くことも影響を与えることもなかった。