続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

バス停にて。

2014-07-26 06:45:54 | 日常
 わたし自身は無のような存在でありたいと思うのに、他人に関してはどういうわけか関心があって、バス停などで隣り合わせると話しかけずにいられない性質である。(云わば、うっとおしい存在)

 先日バスに乗り遅れた30分の空白は、どこか近隣で見かけたことのある老婦人とのおしゃべりで過ごした。
 聞けば案外近くのご婦人、母親が小さな弟妹を残し若くして亡くなったので子守をしたり、親戚に預けられたりで、「青春なんて無かったんですよ」としんみり話された。
「齢、八十になりますが、今が一番楽しいです。」
「本当にね、若いころ・・・というか子供のころと気持ちは変わっていませんものね」と、わたし。
「そうですよねぇ、わたし午後は町内会館に行って、盆踊りの練習をするんです。踊っていると何もかも忘れますが、ただ、疲れて満足には踊れません」と笑った。


 老いて、身体は疲弊、痛みも歪みも出る。でも、気持ちは若いころと寸分も違わない(幼稚な気持ち)。
「年寄りらしい気持ちって何?」反対に聞きたいくらい。(成長の止まってしまった者の言い分?)

 明らかに黄昏を迎えようとしているわたし・・・「落陽って眺めるほどに美しい」なんていう気分じゃないけど、《終り良ければ全て良し》とか《有終の美》って言葉は聞いたことがある。


 そう、《終わりの美学》というテーマがある。
 楽しく笑って踊るように歌うようにあの世の階段を上っていく。(そうありたい)四人に一人、三人に一人の高齢者社会の到来(まさかこんな時代になるなんて/予想はされていたけど・・・)

 真面目に年を取っていく・・・ぐうたらしているわたしだけど、時間は待ってくれない。
 バス停で隣り合わせになった人もわたしも、同時代を生き同じ空気を吸っている。来世でバッタリ会ったときには、「向こう(現世)では、お祭りのような楽しい人生でしたね」と笑いあいたいな、是非!

『ポラーノの広場』407。

2014-07-26 06:36:55 | 宮沢賢治
「いや、おはひりください。詳しくお話しませう。」デステゥパーゴはさきにたって小さな玄関の戸を押しました。するとさっきから内側で立って見てゐrたと見えて一人のおばあさんが出迎へました。


☆照(あまねく光があたる=平等)は和(争いを収める)律(きまり)がある。
 照(あまねく光があたる=平等)の源を貫く故に、往(人が死ぬ)の題(テーマ)は息(生きている)律(きまり)を兼ねて現れる。
 逸(かくれた)図りごとは、推しはかる芸(技能)がいる。

『城』1693。

2014-07-26 06:25:06 | カフカ覚書
夜中にあなたのところへ鍵をいただきにいくことはできませんでしたし、主人は、縉紳館のほうへ行っていました。もしかしたら、一晩帰らないかもしれないとおもったので、わたしひとりで決心をしなくてはならなかったのです。


☆小舟の手掛かりを持ってくることも出来ませんでしたし、大真面目に大群のハロー(死の入り口)の死を区別することもできませんでした。