続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

秋愁。

2014-11-01 06:36:19 | 日常
 月の最終週の金曜日、粟田の夢庵に集うようになって三年。内心渋々賛同したこの集い(長沢会/四人会)に欠けることなく出向いている。
 三人の話に耳を傾けている内、多くの共感感動を得て自分の狭い偏屈を恥じ、なにより食いしん坊のわたしは上げ膳下げ膳の気楽さに開放感を感じているからかもしれない。

 四人はそれぞれ長沢、粟田、ハイランド、大矢部と居住地区が異なるので、話題も比較的気兼ねなく言いたい放題の自由。

 もちろんある程度の節度を持っての茶話会ではあるから、仲違いもなく続いている。そんなひと時の愉しみ・・・「何より楽しい」と言っているAさんが風邪のために欠席、先月に引き続いての二度続けた欠席に(もしや重病では)と電話をしてみた。

「何とか大丈夫よ、本当はタクシーに乗ってでも駆けつけたかったの。でも、倒れたりして迷惑かけたらそれこそ大変だから・・・。風邪の方はね、治ったの。でも治りかけでハイキングに出かけて悪化させてしまったみたい。年のせいね・・・若い頃は何でもなかったのに・・・来月はどんなことがあっても行くわ。あなたも風邪にはくれぐれも気をつけてね」


 若い頃と今では確かに違う。わたしも今夏は眼科・皮膚科・整形・内科・外科と医院巡りをした。こんなことは未だかってなかった経験である。

「年のせいね・・・」淋しく響いたその言葉。
 人の身体は物であれば月日の営みに劣化するのは自然の理・・・このことを踏まえて気を確かに持たねば・・・ため息の秋愁である。

『ポラーノの広場』496。

2014-11-01 06:31:30 | 宮沢賢治
それは一つの厚い紙へ刷ってみんなで手に持って歌へるやうにした楽譜でした。それには歌がついていました。


☆逸(かくれた)講(はなし)は詞(ことば)で察(明らかにする)趣(考え)である。
 字で化(形、性質を変え別のものになる)絡(つながり)を、普く加(その上に重ねていく)。

『城』1783。

2014-11-01 06:16:39 | カフカ覚書
「そういうことは、なにひとつ知らなかった代。ただ何とはなしにそういう気配が察せられたので、助手たちを追いだしたんだよ。しかし、彼らはもういなくなったのだから、これからは、なにもかもうまくいくだろうよ」
「ええ、やっとのことでいなくなってくれましたわ」と、フリーダは言ったが、その顔は、どこか苦しげで、嬉しそうな所はなかった「ただ、あの人たちが何者であるか、わたしたちにはわかりません。


☆そういうことは何も知らなかったよ。ただ先祖の予感があったので追い払ったのだよ。しかし彼らはもういなくなったのだから、これからは多分全てうまく行くと思う。「ええ、結局いなくなってしまいました」と、フリーダ(平和)は言ったが、その幻影は苦しげでうれしそうではなかった。「ただあの人たちがどんな存在なのか知りません。