雨上がりの朝である。
起床後、ごみを集積場に置きにいってから即洗濯、そしてベランダは満艦飾。
眩しい陽射しに、自分の内まで見透かされているような気がしてうつむき加減になるわたし・・・だからかもしれないけれど、雨の陰鬱のほうに親しみを感じてしまう。
雨の閉鎖的な空気のなかにいるとホッとする。ずっとこのまま降り続いて欲しいと、心のどこかで願うほど雨が好きだけれど、洗濯物が室内にぶらさがっているのだけは少々心痛の種。非現実と現実的な思惑に揺れながらの老境。
《もう、何もかもから自由なのだ、自由にさせて欲しい。着衣など仙人のように一年中同じもので構わない》と、ここまで割り切れたら、わたしの日常も解放的になるかもしれない。
そうもいかない・・・朝が来て夜になるまでに《~しなければならないこと》が山のようにある。
校長先生を父親に持つ友人が「わたしが掃除は嫌だと言ったら、お父さんが『では、昨日ご飯を食べたから、今日はもういいのかね』っていうの」と、話をしてくれたことがあった。
なるほど・・・。妙に感じ入ってしまった。
シジィフォスの神話を待つまでもなく、人は毎日繰り返される行為の中を生きている。そのことに対しての不満や諦念は人の資格を失わせる要因になる。しがみついても毎日訪れる困難(仕事)を敢行しなければならない。
経済の仕組みが大きく変化し、小さな業種は青息吐息どころか首を絞められている。インタビューを受けた店主は「土砂降りですよ」と応えていた。
昨日と同じことを出来れば幸福なのだと思う。(小さな幸せだけれど・・・)
世界全体が幸福になる雨上がりはあるのだろうか。
起床後、ごみを集積場に置きにいってから即洗濯、そしてベランダは満艦飾。
眩しい陽射しに、自分の内まで見透かされているような気がしてうつむき加減になるわたし・・・だからかもしれないけれど、雨の陰鬱のほうに親しみを感じてしまう。
雨の閉鎖的な空気のなかにいるとホッとする。ずっとこのまま降り続いて欲しいと、心のどこかで願うほど雨が好きだけれど、洗濯物が室内にぶらさがっているのだけは少々心痛の種。非現実と現実的な思惑に揺れながらの老境。
《もう、何もかもから自由なのだ、自由にさせて欲しい。着衣など仙人のように一年中同じもので構わない》と、ここまで割り切れたら、わたしの日常も解放的になるかもしれない。
そうもいかない・・・朝が来て夜になるまでに《~しなければならないこと》が山のようにある。
校長先生を父親に持つ友人が「わたしが掃除は嫌だと言ったら、お父さんが『では、昨日ご飯を食べたから、今日はもういいのかね』っていうの」と、話をしてくれたことがあった。
なるほど・・・。妙に感じ入ってしまった。
シジィフォスの神話を待つまでもなく、人は毎日繰り返される行為の中を生きている。そのことに対しての不満や諦念は人の資格を失わせる要因になる。しがみついても毎日訪れる困難(仕事)を敢行しなければならない。
経済の仕組みが大きく変化し、小さな業種は青息吐息どころか首を絞められている。インタビューを受けた店主は「土砂降りですよ」と応えていた。
昨日と同じことを出来れば幸福なのだと思う。(小さな幸せだけれど・・・)
世界全体が幸福になる雨上がりはあるのだろうか。