続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

巡り来る冬に。

2014-11-20 06:35:49 | 日常
 とうとう炬燵を出した。一番安上がりな暖房かもしれないけれど、埃を払う手間を考えると少々憂鬱。晴れた日には上掛けも下敷きも陽に干す。若いころは毎日でも苦にならなかったことが、今ではプレッシャー。

 それでも、出してみるとこの温もりは他に変えがたい。《ああ、冬が来たんだ》この柔らかい掛け布団は亡母の手作り。今までもったいなくて大きな毛布を上掛けに使っていたのだけれど、それも劣化、とうとう去年廃棄。母が作ってからすでに四十年も経過してやっと使うなんて、わたしの物惜しみにも呆れる。

 同じ理由で、何年か前に九十九歳で亡くなった伯母が、わたしと妹にそれぞれ作ってくれた綿入れの半纏、もったいなくて今年も陽に干して再び収納。(来年こそ着用しようと去年は思っていたのに)

 何で今さら・・・母が恋しいのだろう。母や優しかった伯母はもう居ないのだと思うと、胸に突き上げてくるものがある。
 炬燵の温もり、新品同様の掛け布団は四十年の時を経てわたしを泣かせる。

 この布団を見ると思い出す母の苦労。お母さん、わたしも妹も元気やっています、不出来であなたを喜ばせることのなかったわたしだけれどあなたの享年を越し、まだ現世に留まっています。

「勉強しようかな」と言ったら、あなたに「何を今さら」と鼻で笑われたわたし。そんな程度の人間ですが、何とか無事に過ごしていますから安心して下さい。巡り来る冬の前で、ずっと凍りついたままのわたしの気持ちは炬燵の暖かさで融け始めている予感がします。

『畑のへり』14。

2014-11-20 06:22:22 | 宮沢賢治
「何だあれは幽霊でも何でもないぜ。あれはたうもろこしといふやつだ。おれは去年から知っているよ。そんなに人が悪くない。わきに居るのは幽霊でない。みんな立派な娘さんだよ。娘さんたちはみんな緑色のマントを着ているよ。」


☆化(形、性質を変えて別のものになる)に誘(いざなう)例(たぐい)である。
 過(あやまち)を許す念(思い)を致(まねき)和(争いを収める)を拠(よりどころ)にしている。
 有(そんざい)の両(二つ)を留めることを把(つかむ)状(ありさま)を帖(書きつけること)が掩(隠れている)式(やり方)で記している。

『城』1800。

2014-11-20 06:02:01 | カフカ覚書
ところが、ドアをさっとあけてみると、はいってきたのは、なんとバルナバスではなくてさきほどちょっとKに話しかけようとした小柄な少年だった。しかし、Kは、この子のことを思いだしてみようともしなかった。


☆企てを概観すると、入って来たのはバルナバス(北極星)ではなくて、さきほどの記号(汚点)として推定した新しい小舟に違いなかった。しかし、Kはそのことを思いだしてみようともしなかった。