小学校五年生くらいの時だったかもしれない。クラスメートのMさんのお姉さんが某名門校を受験し、そのときの出題に「小春日和とはどういう意味ですか」というものがあったという。
Mさんは利発活発で何でも良くできる生徒だったけれど、お姉さんも優秀なのだと羨んだ覚えがある。
そして後日、先生は「小春日和とはどういう意味ですか」とクラス全員に向かって質問した。当然Mさんが応えることを期待していたのだと思う。ところがシーンとして誰も答えない。その話を聞いていたわたしは仕方なく手を上げ答えたけれど、先生は予想外の展開に少しがっかりした表情を見せた。(わたしが答えてはいけなかったのか)正解したにもかかわらず、ひどく嫌な気分で腰を下ろしたのを忘れられない。
《贔屓/ひいき》・・・漠然とわたしは外れていることを悟った。
席決めがクラスで一番の成績の男子生徒の隣りだったある日、テストが行われた。室内をぐるぐる廻っていた先生は男子生徒に囁いた。「お隣に見せないようにしましょうね」と。
勉強とは無縁だったわたしの成績は決して良くはなかった。だからと言って・・・屈辱である。
「小春日和」という言葉を聞くたび胸に過ぎる思い出は少し悲しい。
Mさんは利発活発で何でも良くできる生徒だったけれど、お姉さんも優秀なのだと羨んだ覚えがある。
そして後日、先生は「小春日和とはどういう意味ですか」とクラス全員に向かって質問した。当然Mさんが応えることを期待していたのだと思う。ところがシーンとして誰も答えない。その話を聞いていたわたしは仕方なく手を上げ答えたけれど、先生は予想外の展開に少しがっかりした表情を見せた。(わたしが答えてはいけなかったのか)正解したにもかかわらず、ひどく嫌な気分で腰を下ろしたのを忘れられない。
《贔屓/ひいき》・・・漠然とわたしは外れていることを悟った。
席決めがクラスで一番の成績の男子生徒の隣りだったある日、テストが行われた。室内をぐるぐる廻っていた先生は男子生徒に囁いた。「お隣に見せないようにしましょうね」と。
勉強とは無縁だったわたしの成績は決して良くはなかった。だからと言って・・・屈辱である。
「小春日和」という言葉を聞くたび胸に過ぎる思い出は少し悲しい。