続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

井の中の蛙。

2014-11-13 06:36:19 | 日常
 Mさんとの待ち合わせは「横浜そごう時計の下」だった。
 京急横浜駅の改札を出て左に曲がり階段を降りたらそこにある、という確信に似た安心は横浜駅ホームに降り立った途端消えてしまった。
《ここはどこ、どこどこどこ?》

 いつものあの中央通路はどこにいってしまったの?北、あるいは東口の文字・・・ああ、どこをどう行ったら目的の場所に辿り着くことができるの・・・呆然。

 闇雲に通りがかった人に尋ねた。(教えてお願い!)顔をあげた男の子は何と優しげな美男子。イヤホーンを外し、わたしの問いを聞くと、反対方向であるらしいのに「ぼくがそこまで着いて行きましょう」と歩き出した。こちらはビックリして「いえいえ、いいんです。この階段を降りて左を真直ぐ行った所でまた聞いてみますから」と、親切に胸がいっぱいになりながらも遮ってしまった。
 なんて親切な男の子なんだろう、おばあちゃん子かもしれない。お年寄りに優しく出来るなんて!それにしても見るからに頼り無げな田舎のお婆さんに見えたのに違いない。わが風体を恥じながらも、優しさにほだされてしまった。


 ようよう辿り着いた《そごう時計台の下》
 やってきたMさんの美しく若いこと、(こんなきれいな女の人がわたしと一緒に歩いていいの?)この違和感。ああ、足を引きずったこの年寄り然とした姿のわたし。
 毛皮をあしらったコートをステキに着こなす彼女と発砲スチロールでこしらえた首飾りのわたし、《やだ、もう、一緒に歩くの辛いよ》
 
 気をとり直し、自分らしくでリセット。(井の中の蛙でいいの)

『畑のへり』7。

2014-11-13 06:30:36 | 宮沢賢治
 蛙がちゃうど五百ばかりはねたときもう一ぴきの蛙がびっくりしてこっちを見てゐるのに会ひました。
「おゝい、どうしたんだい。いったい誰ににらまれたんだ。」


☆吾(わたくし)は、語(ことば)の飛躍を逸(隠している)。
 亜(二番目)を兼ねる解(問題をとく)を推しはかる。

『城』1793。

2014-11-13 06:18:58 | カフカ覚書
ぼくは、そうおもうと、ときどき悲しくなって、すべてを失ってしまったような感じがする。そういうとき、いまやっとこの村にやってきたばかりのような気持ちになる。


☆いくつかの汚点にわたしは悲しくなり、すべてが失われたような感じがする。そういうとき、はじめて来世にやってきたばかりの気持ちになる。