続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『大家族』

2015-07-04 07:04:10 | 美術ノート
 なぜこれが「大家族」なのかと論議される作品である。

 大家族・・・(聖書における)ノアの洪水の後。
 
 水がひいたかどうかを見ようと、彼の所から、はとを放ったが、はとは足の裏をとどめる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。水がまだ全地のおもてにあったからである。彼は手を伸べて、これを捕え、箱舟の中の彼のもとに引き入れた。それから七日待って再びはとを箱舟から放った。はとは夕方になって彼のもとに帰ってきた。見ると、そのくちばしには、オリブの若葉があった。ノアは地から水がひいたのを知った。(略)

 ・・・あなたは妻と、子らと、子らの妻たちと共に箱舟を出なさい。あなたは…(略)これらのものが地に群がり、地の上にふえ広がるようにしなさい。

 あなたがたは、生めよ、ふえよ、
 地に群がり、地の上にふえよ」。(創世記より)


 この景色ではないか。
 もはや彼のもとには帰ってこなかったという「はと」。鳩の形にくりぬかれた空間は雲の散在する青空=自然である。
 マグリットは、ノアの逸話を否定も肯定もしていない。しかし、鳩が抱くのは「予測不能な大自然の宙=真理である」

(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

『銀河鉄道の夜』6。

2015-07-04 06:43:41 | 宮沢賢治
「ジョパンニさん。あなたはわかっているのでせう。」
 ジョパンニは勢よく立ちあがりましたが、立ってみるともうはっきりとそれを答へることができないのでした。

 勢はセイと読んで、省。
 立ちあがりはリュウと読んで、流。
 立ってはリツと読んで、律。
 答へるはトウと読んで、等。


☆省(注意して見る)と、流れに律(物事の基準となる決まり)が現れる。等(平等)である。

『城』2011。

2015-07-04 06:34:21 | カフカ覚書
ふたりは、いまもまだそこにいる。Kが橋屋で聞いた話によると、シュヴァルツアーは、城の執事の息子でありながら、ギーザに惚れこんで、もう長いこと村に住みつき、自分のコネに頼って、ついに村から助教員に任命してもらったのである。


☆二人とも、いまでもまだそこにいた。Kがハローへの橋(死の入り口)で聞いた話によると、シュヴァルツアー(影の人)は要塞である太陽でギーザ(総体)に愛され、もう長いこと来世にいて自身のつながりから助教員(空虚の救済)にしてもらっていた。