確かにこの月は在る。しかし、見たことがない。
何故か。
真昼に月は見えないからである。三日月は太陽が沈んだ夕刻になって現れ(見え)二十六日の月は明け方に見えるが、日の出とともに消え失せてしまう(見えなくなってしまう)。
三日月も二十六日の月も、地平に垂直に立つ時刻(南中)は、真昼に相前後するから、太陽の光に遮られて見ることは適わない。
だから、マグリットはあえて、星まで描いてこの月をこの形(地平に垂直に立つ)を選択したのである。(真昼に星は見えない)
《見えない月を見えるように描く》つまりは有り得ない空間を出現させたのである。
鳥(鷲or鳩)の形態を模した山岳、不毛の地であれば生物は育たない。
にもかかわらず、鳥の卵がある。いくら鳥に酷似した岩石でも卵は生めない。無機質は残存を可能とするが、有機質は死滅(消失)の定めにある。卵の置かれた開口部も人為的な建築物の一部である。
これら条件の摩擦、不具合、不条理の極みを描き出して『アルンハイムの地所(領地)』と題したのではないか。
「想像力(イメージ)の限りをもってすれば、究極の虚空間(幻の場所)はあたかも存在を可能とする」という強いメッセージを感じる。
生と死、深夜と真昼の交錯、『在るけれど、無い。無いけれど、在る。』
目に見えるものを信奉するけれど、眼に見えないものも確かに在るのだと。真昼の月を闇の中に描き出したマグリットの深い凝視の眼差しが、この作品に隠れている。
精神界はこのように解放されている。イメージの限界なき世界である。
(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)
何故か。
真昼に月は見えないからである。三日月は太陽が沈んだ夕刻になって現れ(見え)二十六日の月は明け方に見えるが、日の出とともに消え失せてしまう(見えなくなってしまう)。
三日月も二十六日の月も、地平に垂直に立つ時刻(南中)は、真昼に相前後するから、太陽の光に遮られて見ることは適わない。
だから、マグリットはあえて、星まで描いてこの月をこの形(地平に垂直に立つ)を選択したのである。(真昼に星は見えない)
《見えない月を見えるように描く》つまりは有り得ない空間を出現させたのである。
鳥(鷲or鳩)の形態を模した山岳、不毛の地であれば生物は育たない。
にもかかわらず、鳥の卵がある。いくら鳥に酷似した岩石でも卵は生めない。無機質は残存を可能とするが、有機質は死滅(消失)の定めにある。卵の置かれた開口部も人為的な建築物の一部である。
これら条件の摩擦、不具合、不条理の極みを描き出して『アルンハイムの地所(領地)』と題したのではないか。
「想像力(イメージ)の限りをもってすれば、究極の虚空間(幻の場所)はあたかも存在を可能とする」という強いメッセージを感じる。
生と死、深夜と真昼の交錯、『在るけれど、無い。無いけれど、在る。』
目に見えるものを信奉するけれど、眼に見えないものも確かに在るのだと。真昼の月を闇の中に描き出したマグリットの深い凝視の眼差しが、この作品に隠れている。
精神界はこのように解放されている。イメージの限界なき世界である。
(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)