続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

変革への願望。

2015-07-11 07:11:14 | 日常
 今日のわたしは昨日の続きである。したがって昨日までの情報の集積をもとに、そのデーターに頼り、なぞって今日という日を踏襲していく。

 すっぱりと昨日までのわたしを切り捨ててみたい。昨日までのわたしが今日のわたしを動かしていると思うと、なにか手垢のついた複製の日々という気もしなくはない。

 (仕方ないのだ)むしろ当然のことだよと、わたしの中でつぶやく声がする。

 単に努力が足りないから、そう言う愚痴が出るだけであって、空想妄想の中で自分を弄んでいるに過ぎない。昨日と違う今日を望むなら、それなりの情報を収集し選択の幅を広げなくては何も始まらない。
 けれど昨日の続きを軽んじてはいけない、昨日までの経験が今日の自分を支えているのだから。


 いろいろ机上の空論を繰り返す。
(ダメだ、この机にかじりついているから見えてこないし、次のアクションを起こせない)

 さあ一歩を踏み出し、昨日までの未練を断ち切りたい。あの未知の青空を自由の名のもとに共有したい。自分を変える、変革は若者の特権ではない。余命が知れた年配者の希望でもある。

梅雨の晴れ間に思うこと。

2015-07-11 06:29:28 | 日常
 雨が続くと、ぐうたらしている人間にとってはこの上なく都合がいいのだけれど、ひとたび青空を目にすると、やっぱり動き出さずにはいられない。

 トイレ・風呂・下水の清掃、布団干し、掃除機を掛ける・・・等々、毎日やっても当たり前のようなことをまぶしい日光にさらされると発作的にやり出す。床を拭くときなどは腰をついていざっている、まことに情けない風情。
 お盆も近いからお墓参りのための花も予め購入。今日あたりを予定しているけど早め早めでないと、逆に忘れてしまう不安で急かされてしまう。
 
 台風も接近しているらしい…(何か、し忘れていることはないか。)考えても仕方ないのでボオーッとやり過ごしている。
 押入れやタンスの中を全部出して風を入れ収納し直すということが、年に二度ほどの慣習だったものが、今では開ける度に軽い眩暈と動悸に襲われている。「ああ、年は取りたくない」とつぶやいていた過去の先輩方、人は順繰り年を取っていくもんなんですねぇ、つくづく・・・。


 老眼が進んでいるので、埃や汚れに疎くなっている。この状況に甘んじるというのが年配者の正しい生き方だと解釈し、晴れた日は適当に動き、後は目をつむっている。

 《今日出来ることを明日に延ばす》
 《物忘れを恐れず笑い飛ばす》この切り替えが肝要であると思いたい。

『銀河鉄道の夜』13。

2015-07-11 06:18:41 | 宮沢賢治
 ジョバンニはまっ赤になってうなづきました。けれどもいつかジョバンニの眼のなかには涙がいっぱいになりました。さうだ僕は知ってゐたのだ。勿論カンパネルラも知ってゐる。それはいつかカンパネルラのお父さんの博士のうちでカンパネルラといっしょに読んだ雑誌のなかにあったのだ。


☆釈(意味を解き明かすこと)を含む類(たぐい)を朴(ありのまま)に知(感じとる)。
 物(事柄、亡くなる、死ぬ)を論(筋道を立てて説き)知らせる。
 普く魄(たましい)の詞(ことば)を独りで蔵(おさめ)試みている。

『城』2018。

2015-07-11 05:51:48 | カフカ覚書
ただ、彼女がべつに異論もとなえずにシュヴァルツアーを許容してやっていることだけは、あきらかだった。しかし、彼女は城の執事の息子に青されることの名誉がよくわかっていないにちがいなかった。


☆ただ、彼女はべつに異論をとなえずシュヴァルツァー(影の人)に耐えていた。しかし彼女は先祖の城塞の太陽神であるということの価値が分かっていないようだった。