続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『哲学者のランプ』

2015-07-20 06:31:36 | 美術ノート
 もっとも狡猾であるとされた蛇。

 「おまえは、この事をしたので、すべての家畜、野のすべての獣のうち最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう。」『創世記』より


 この曲がりくねったロウソクは蛇の具現化ではないか。
 狡猾であるとされた蛇をマグリットは純白(無実)にし、光りあるものに変えている。

 
 そうして自身はパイプで鼻息を吸っている。息を鼻へ送り込んでいるのかもしれない。つまりは自身の中での循環である。
 巡る思いは黙秘している。「これはパイプではない」と明らかにパイプを描いて否定したマグリットの真意は否定と肯定の錯綜にある。表裏一体とも異なる、熟視の眼差し。

 真意を明かさない。真意は明かすことで綻びを見せないとも限らない。それほどに微妙な差異と、ある種の危険を伴うからである。

 自身の中でのみ答えは噛み砕かれ、外部への吐露は自身が禁じている。どこまでも自身の内的、秘密裏の告発であれば、自身の発した問いは、自身で引き受けなければならない。



 もっとも狡猾とされた蛇の罪を払拭し、自身は目を反らして黙秘している。
「可哀相な蛇よ、わたしもまた哀れにも口を噤んで世間に対峙しているのだよ。」

『哲学者のランプ』は熟考の果ての自嘲かもしれない。


(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

『銀河鉄道の夜』22。

2015-07-20 06:02:05 | 宮沢賢治
こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒即ち星がたくさん見えその遠いのはぼうっと白く見えるといふこれがつまり今日の銀河の説なのです。


☆法(神仏の教え)の講(はなし)を交え、流(広める)則(きまり)の章(文章)を兼ねている。
 迫(近づく)と現れる教(神仏のおしえ)は化(形、性質を変えて別のものになる)を吟ずる考えで接(つないでいる)。

『城』2027。

2015-07-20 05:47:15 | カフカ覚書
役人的高慢さといっても、助教員という彼の現在の地位から見てきわめて不釣合いなものであった。むろんそれがたいていろくな結末にならないことは、すでにKも体験したとおりであった。


☆明らかに現在の立場は全く悪い状況だった。もちろん、大抵は預言者の思い通りにはならず、Kもまた経験したとおりだった。