続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『傑作もしくは水平線の神秘』

2015-07-26 07:29:00 | 美術ノート
 三日月を頭上に浮かべた三人(もしくは一人の分解)の紳士。

 日暮れだろうか…日暮れといえば三日月、ゆえに夕刻である。しかしこの三日月は地平に水平に立っている。この三日月が南中(頭上)にある時刻は正午を少し過ぎたころのはずだから、有り得ない光景なのである。(その前に月が三つ並ぶこと自体、そして、一人の人に酷似した三人というのも非現実的である)

 遠くに見える街並み、人のにぎわう現世がある。
 右を見、左を見、街の方を見ている、明らかに一人の男の分解である。
 
 空は青い、日中の提示かもしれない。時刻を明らかにしていない空である。
 彼ら(彼)は《見えないものを見ている》明らかに在るはずの真実を想起していると換言してもいいかもしれない。

《見えるもののずっと奥深くに見えないけれど、存在する真実がある》
 三人の分解された男の視線の先は、東から上り、南中し、そして西へ下るという方角への凝視である。三日月と呼ばれるこの月は、東・南・西の経路を確かに辿って存在している。西を向いた男だけが顔を明らかにしているのは、日が沈んだ夕刻の西にはっきり見えるという暗示かもしれないが、傾き加減に少々違和感がある。


 マグリットの《見えないものを見る、見えない真実への追及》を描いたという自負はまさに傑作であり、月が回っているというより、この月の運動は地球の自転により見える景色であって、真実は地球を巡る水平運動である。
 見るということ、目に見える景色には神秘の魔法がある。
 見えることの裏に潜む真実というものをイメージすることも一考ではないかと、マグリットは微笑む。

(上の写真は『マグリット』㈱美術出版より)
(下の写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

 

『鎌倉からはじまった』PART2.

2015-07-26 06:49:08 | 日常
 1951年に開館という神奈川県立近代美術館/鎌倉。
 新館への小さな橋を渡った記憶は鮮明で、水の上を跨いであちらへ行くという感覚は新鮮だったし、館内のロフトへの階段もオシャレに感じたのを覚えている。

 何に対しても関心度の薄いわたし・・・それでも、
(そうか、もう無くなってしまうのか)と思うと、こんなわたしでさえ、寂しさが過る。まして関係者の方々や美術ファンの方々の思い入れには格別の感慨があるに違いない。

 水沢館長さんのお話からもその熱意が伝わってくる。
「七年前には、ここを総て更地に戻すということでしたが、現在は少々状況が変わり、少なくともこちら(本館)のほうは文化財として残存させるという方向になっています。五十選のこの景色は新館と併せたものですから是非双方とも残してほしいのですが、秋(九月)には決定が下される予定です。
 この美術館は遠くからも人目を引くというような派手な企画こそありませんでしたが、地道に内容の深い企画を催してきました。また作家の存在を際立たせた(育てた)という自負もあります。・・・」

 水沢館長さんのお話には、学芸員としての仕事の総決算たる思いが言葉の端々にこもっていて、迫るものがありました。ありがとうございました。


※帰り際、「水沢館長さんにファンレターです」と言って長門学芸員に何かを渡している女の人がいらした。(そう、もうお会いすることもないかもしれない・・・)
「わたしのエアー・ファンレターも渡してくださいな」そう言いかけてその場を通り過ぎたけど、「水沢館長さん素敵でしたよ、若いころから」
 遠巻きの隠れファン、美術館(鎌倉本館)が閉館になるよりも淋しいかもしれません。
 ありがとうございました。

『城』2033。

2015-07-26 06:16:31 | カフカ覚書
というのは、あのときあいつからあんな応対を受けたからこそ、それ以後万事がこういう方向をたどりようになったのかもしれぬという事実を忘れてはならないからだ。


☆あんな歓迎を受けたので、たぶん次にはすべてを質すことになったのかもしれないという点を忘れてはならない。