続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『葡萄摘みの月』

2015-10-05 07:06:54 | 美術ノート
『葡萄摘みの月』屋外から室内を覗くというより見ている同列の男たち。一人の男の分解と見ていいのだろうか。同じ顔、同じ着衣、同じ背丈である。並んだ複製・・・。
 室内は暗く、屋外はどんよりした雲に覆われている。日中と思われるが、朝昼夕の判別は難しい。少なくとも外から室内へ光が差し込んでいるという明確さはない。外の方が明るいらしいという差異であり、微かな光は左上からであることが両開きの窓の陰影で察せられる。

『葡萄摘みの月』である、月はまだ明るいうち(夕刻)に昇ってきているのだろうか。
 葡萄摘み…9月から10月の季節であれば、秋の月ということになる。空気中の水蒸気が少ない秋は大気がぼやけないので、どの季節にもまして美しい月を望むことが出来る。


 どこの誰にも万人に、平等に見ることのできる月。
 月は一年中同じ方向の顔を見せるが、《この月の月》と詠われるほどに葡萄摘み(秋)の月は美しい。

 毅然とした男たちの整列は、自然への讃歌だろうか。並べて等しいこと(平等)への憧憬だろうか。
 そうあるべき室内に人影はない。
 屋外の男たちは葡萄摘みの月を拝し、空虚な部屋(社会)へ沈黙の抗議をしているのだろうか。


 答えは見つからない。しかし、この作品に描ききれなかった上空に『葡萄摘みの月=美しい月』が在ることだけは確かなようである。


(写真は『マグリット』㈱東京美術刊より)

『銀河鉄道の夜』99。

2015-10-05 06:50:02 | 宮沢賢治
つりがねさうか野ぎくかの花が、そこらいちめんに、夢の中からでも薫りだしたといふやうに咲き、鳥が一疋、丘の上を鳴き続けながら通って行きました。


☆夜に架かる謀(計画)の柱は訓(教え導く)であり、詐(つくりごと)の詞(ことば)が逸(かくれている)。
 必らず照(あまねく光が当たる=平等)の命(めぐりあわせ)があり、属(たくしたもの)は、二つの講(はなし)にある。

『城』2104。

2015-10-05 06:37:43 | カフカ覚書
Kは、こうして嫉妬からまぬがれ、したがってまた、手きびしい文句を浴びせかけられることもないのがうれしかった。彼は、誘いかけることもなく、横柄でもなく、つつましく安らぎ、つつましく我慢しているオルガの青い眼をのぞきこむのが好きだった。


☆まさに対抗心からは遠く、そのためあらゆるきびしい行為もKにとって興味をそそられず、横柄でもなく遠慮がちに安らぎ、耐えているオルガの青い(平和な)眼を見ることはKの幸福だった。